第三十六話 秘事(三)

 翌日、待たされることしばらく、昼を過ぎた頃にようやく大臣自らが応接間に現れた。初対面の時と全く同じ冷徹な態度で、王が求めに応じて会談する、とだけ述べると、大臣は二人について来るよう仕草で促した。


 昨夜の嵐は何処へやら、陽光が照らす床で石の中に嵌め込まれた貝が玉虫色に光る。窓から望む海は空の青を映して冴え、その上に流れる雲の白が目に眩しい。


 大臣は部屋を出て以降、無言無表情で眉の毛一つ動かさない。視界に入る戸外の美しさは絵の中のものかと疑われるほど、異様に緊張した空気の中、カエルムとロスは昨日と同じ道を城の南端まで進む。


 城の最上階、円弧を描く形で海側にせり出した一室では、テハイザ宮の諸官、軍人と思われる者たちが、天球儀を中心に壁に沿ってずらりと並び、二人を出迎えた。

 扉口に一番近い左手にクルックス、その隣には昨日の会談で臨席していた者のうち、軍人と思しき男が立つ。細身のクルックスと比べると、体格が一回り大きい屈強な男である。右手前の男は初顔だ。

 居並ぶ面々に対し、カエルムとロスは国の最も格式の高い礼を取った。身にまとう長い羽織りから片手だけを胸の前に出し、上半身を折る。衣が揺れ、光沢のある濃い紅葉色の布の上で、銀糸で縫い取られたシレアの国章が光った。

 姿勢を直すようにとの言葉を待って、頭を上げる。そして改めて室内中央へ進み出ようとすると、右手前の男が手を上げてロスを制した。あくまで王と王子の会談だ、という意思表示だ。

 部屋の最奥よりやや手前には剣を佩いた近衛師団長が腕を組んで侍していた。訪問者が室内に足を踏み入れると顔を上げ、カエルムを真っ直ぐに睨みつける。


 その手前、天球儀の横に、昨日と同じテハイザの国章を示す長衣に身を包んだ男が立っていた。男は紫の瞳を細めて、ゆっくりと口を開く。


「昨晩はよくお休みになられただろうか。シレアの王子」


 何を白々しい、と、ロスはカエルムの後ろで小さく舌打ちし、主人がどう出るか見遣る。ロスの予想通り、カエルムの方は盗人猛々しい言葉を聞いても人畜無害に微笑を浮かべて答えた。


「お心遣いに感謝申し上げます。また、本日の会談を承諾いただいた御寛容にも。この天球儀については、まだ解決していないにも関わらず」


 カエルムの言う通り、天球儀は昨日の位置から全く動いていなかった。文字盤が日の光を弾き、描かれた星辰の碧玉の粒が球面を飾る。異変が起きていると知らなければ、ただただ不思議と吸い寄せられる美しさをたたえた球体である。


「しかし……憚りながら申し上げますと、この天球儀が異常をきたしても、貴国の王城の皆様方は御冷静のようですね」


 顔だけは笑みのまま、カエルムは尋ねた。国の一大事として、本来ならもっと諸官の表情や態度に焦燥がうかがえてもいいはずだ。それなのに昨日、一昨日と、城の中の者たちにはあまり混乱が感じられない。

 皮肉とも取れる言を聞いて特に気を害した風もなく、男は琥珀色の長い髪を肩越しに払って尊大に言う。


「異常を軽く見る気はない。しかし現状、取る手立ては見出せていないし、そこに貴殿からの会談の要請だ」

「それはそれは、心から謝辞を述べるべきところでしょうか。先には我々と会談も出来ないほどの事態のようにうかがっていましたが……その落ち着かれようは見習わないといけませんね」

「何をこのくらいで動じる必要があるかな? これが止まったところで、具体的な害が生じたわけではない」


 近衛師団長がぴくりと眉を釣り上げたのとは対照的に、王は淀みなく言葉を続けた。天球儀を理由にした対応の遅れはシレアとの交渉を渋るための口実か、という言外の非難には気がついていないらしい。


「まあ、多少の困惑は避けられないだろうが、それが何だ?」

「拠り所となる指針を失った時以上に、民の困惑が大きくなることはそうありませんよ」


 薄ら寒い嗤いを浮かべる男に対し、カエルムの声が低く、重くなる。


「そもそも上に立つ者には人心の安寧を保つ義務があるはずです」

「それをそこまで懸念する必要はなかろう? まさに国民の生活を可能にしているのは上に立つ我々が司る政治、財政、国を守る軍事力だ。これが揃っていれば、多少の秩序の崩れなど」

「その政治、財政、軍事は国民に支えられているものだ。上はそれを責を持って預かるに過ぎない。それに、些細に見える綻びが広がるのは驚くほど早い。混乱が暴動に繋がるのは歴史を見ても明らかです」


 口調こそ淡々としているが、その声は強く、空気を切るように室内に響き渡った。壁際の数名が畏れを顔に浮かべたが、相対する男の高慢な態度は変わらない。


「暴動が起きれば制圧すればいい。訳のないことだろう」


 その一言が、徐々に冷たくなるカエルムの感情を極限に至らしめた。先までの笑みが顔から消え去り、侮蔑露わな言葉が、冷ややかに吐き捨てられる。


「貴方のような愚劣な人間の相手をしていても拉致があかない。話す相手を変えます」


 鮮やかな蘇芳色の瞳が、鋭く相手を射抜いた。


「そろそろ、殿とお会いしたいのですが?」

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