真意
第四十話 真意(一)
その人物は、窓の外に広がる大海を背に三人を真正面から出迎えた。長い碧地の装束が床に広がり、絨毯の紺碧色を飾る。布に精緻に織り込まれた玉虫色の飾り糸が裾に波形を描き、散りばめられるように縫い取られた金銀の粒の一部が、帆船と南十字星を描きだす。テハイザ国の紋章である。
男性としてはあまり背のある方ではないが、真っ直ぐに顔を上げた立ち姿は体格以上の存在感を覚えさせる。部屋に射し入る陽光を受けて
クルックスが片膝を折り、床に片手をついた。カエルムの脳裡に幼少時の記憶が蘇る。父に連れられて来たテハイザ国。臣下が唯一、王と王妃のみにとる最敬礼。クルックスの仕草はそれだった。
「シレア国次期王位継承者、カエルム殿ですね」
海の深淵を思わせる濃紺の瞳が、カエルムの蘇芳の瞳を迷いなく見据える。カエルムとロスもクルックスと並び、国の最敬礼を取った。
「どうぞ、お顔を上げてください。クルックスも直りなさい」
やや高い、透き通るような声はまだ若い。柔和でありつつも芯の通った響きだ。
「お初にお目にかかります、テハイザ国王陛下。シレア国第一子第一王子、カエルム・ド・シレア、陛下に拝謁叶いましたこと、心より喜び申し上げます」
「いや、そのように仰っていただくような立場には無い。貴殿には随分と回りくどく……我が国の勝手な都合で大変なご迷惑をかけたという自覚くらいは、愚かな私にもあります」
言い終えるとテハイザ王は衣を押さえ、膝を折って深く頭を下げた。
その王の動きを見て、もう少し横柄な人物を想像していたロスの頭には、若干の驚きと共に「迷惑どころじゃない」という言葉がよぎり、恐らく王が平伏するなど見たことがないクルックスの顔には動揺の色が走った。
カエルムは、といえば、泰然たるまま面を上げるよう促し、膝を床につけたままの王の方へ進み出た。
「何らかの事情がおありとお見受けします——大体は予想がつきますが」
手を取られて立ち上がったテハイザ王の眼には苦渋の色が浮かんでいた。
「このような形でお会いするのは本意ではないのですが……城の内情がそれを許す状況になく」
「内部分裂、ですか」
カエルムの言葉は質問というより確認だ。テハイザ王は頷いた。
「古参の者をはじめとして、意見が合いませんでね。先代までが行っていたような対外政策には、物心ついて国政の教育を受ける中、ずっと疑問を持っていたのです」
ここ数代、テハイザ国王は諸外国に対して圧迫的な態度を取り続けていた。領土の拡大を図って自国の軍事力をちらつかせ、実際に武力的方法で支配下に入れられた小国もある。
「特に隣国のシレアは、テハイザにはない山の豊かな自然が魅力的なのは確かです。我々からすれば位置的にも貴国ほど理想的な地は他にない」
「ただし、絶対中立を誓うシレアの防護に隙はない」
中立国として、他国に攻め入るための軍事力は持たないシレアであるが、その防衛はけして弱くはない。テハイザのような厚い城壁がない代わりに、周りを覆う森が国を守り、侵入者は天に向かって立つ時計台から即座に見つけられる。国の安寧が危ぶまれれば城下の東西に立つ二つの塔が平時の役割から一変、下界に眼を走らせ、森に踏み入る危険分子を知らせて互いに合図を送り合う。
そうは言っても、諸外国とは概ね良好な関係にあり、戦に縁遠いのもシレア国である。戦況における真の実力は発揮されずに時の経つこと久しく、だからこそいっそう、噂される高い防衛力は外の者に未知数だった。諸国は裏で「眠れる獅子」と畏怖の念をもってこの内陸国を呼んだ。
そのような状況でなかなかシレアへ攻め入るに踏み切れないテハイザが歯軋りしながら隣国を睨んでいたのを、シレア側も常々感じ、警戒の眼を光らせていた。その緊張状態をいい加減に終わらせようと行動に移したのが、カエルムの外遊である。
「本来なら私としても早くに貴国との友好交渉を行いたかったのです。しかしやはり城の中には、依然としてシレアに侵攻し、テハイザの属国にしようと愚かな考えを持つ輩がいる」
「先代のテハイザ国王陛下の側近ですか」
「仰るとおりです。こちらにいらしてから、彼らの態度には貴殿も随分とご不快になられたでしょう。このような状況で貴国との友好を結んだとしても、結果、貴国に失礼になるばかりか彼らがシレア国に害を及ぼす可能性も大だ」
そう言うとテハイザ王は力なく脇の椅子に腰を落とし、背もたれに体を預けた。微笑して客人にも椅子を勧めるが、その表情はどこか血色が悪い。肘掛に腕を預けながら、王は心労を滲ませ溜息を吐くように続けた。
「先代からのしがらみです。穏やかでない考えを持つ者たちが城の中に増えすぎました。しかもご存知の通り、私は即位してから日も浅い上にまだ若輩だ。恥ずかしいことにこの
「確かにお会いした大臣殿はかなりのご年配ですね。しかしながら決定的な理由もなく、そう簡単に彼らを罷免できない、と」
椅子を勧められてもなお、他の二人と共に立ったままの姿勢で、カエルムは思案顔で顎に手を当てた。テハイザ王はゆっくりと首を縦に振る。
「私の意見を聞かないからと言うだけで、城の大多数の官吏を罷免すれば暴君と同じでしょう。その後の抵抗なくして彼らを政治中枢から外すには、何らかの正当な理由が必要だ」
それを聞き、カエルムは王に含みのある笑みを向けた。
「なるほど……テハイザ国王陛下も、なかなかに人が悪い」
「こうするのが最も早かったのです。貴殿の評判は我が国にも入っております。それに賭けました」
心底申し訳無さそうに、テハイザ王は顔を歪めた。
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