第十七話 交渉(二)

 客間に戻った二人は、どちらからともなく椅子に腰を下ろし、しばし沈黙した。

 ——何を考えていると思う?

 ——読みきれませんね。

 ——謁見を先延ばしにして、何か時間稼ぎをしていやしないか。

「……そう思いますか」

 互いに視線だけで会話したのち、ロスが居心地悪そうに姿勢を変えた。椅子の肘掛けを二本の指で叩きつつ愚痴をこぼす。

「明日、力づくでも謁見に漕ぎ着けないと。少なくとも殿下だけはお帰りにならなければ」

「そのつもりだ。だがどう考えても向こうの態度もおかしい。それと、気にかかることも増えている」

 カエルムは窓を開けた。髪を煽る風は昨日より強く、聞こえる波の音は速く大きい。空の灰色は朝よりも暗く厚く、湿気を含んだ空気も重くなっている。

「そもそも殿下、テハイザ王に会ったことはあるんですか」

 カエルムの背中にロスが問いかける。

「実は、無い」

「はぁ?!」

 遠慮のないこの従者の中でも特に珍しい素っ頓狂な声があがった。部屋の中に向き直って窓の縁に寄りかかり、カエルムも仕方なく説明する。

「父上についてテハイザには来たことがあるが、この国はどうにもこうにも秘密主義みたいだな。思い返してみると、王位継承者は表に出て来なかったよ。まあ私も子供だったし、現王も私とさして大きく歳は離れていないだろうから、子供のときに会っていても今の王が分かるかは疑問だが。もう随分と外見も内面も変わられただろうし」

「でも面影とかはあるでしょう。肖像画も」

 そう言う殿下の内面は根底が昔から変わっちゃいないと思ったが、普段なら口に出しても今は時間の無駄だ。心中だけにしてロスは問いを重ねる。だが主人は首を振った。

「歴代、原則として現王しか肖像画が外に出回らないのがテハイザだ。ほかの王族も公務で他国へ来ることはほぼない。王妃だけは表敬訪問に伴うこともあるが」

「それでは今の王については顔も分からない……そういうことですか」

 ロスは眉を顰めて無意識に顎に手を当てた。思案する時の彼の癖だ。

 風が強くなり始め、机上の敷布がはためく。カエルムは風圧で外側に押されて行く窓を引き戻し、留め具を締めた。

「それを踏まえての条件だ。すまないが力を借りるよ」

「何でもやりますよ。貴方あなたが無茶しないという条件ならね」

 困ったな、と全く困惑した風もなくカエルムは苦笑して、一呼吸置いてから言葉を継いだ。

「それはそうと、下働きと言われるとあの兄妹しか思い浮かばないな。もしそうだとしたら、それはそれでやりやすそうだが」

「あれ、殿下はまだ聞いてないんですか。あの二人は兄妹ではないですよ」

 意外だとロスが顔を上げた。やはりやや驚いた表情のカエルムと視線がぶつかり、続けて説明する。

「スピカに兄がいるのは本当ですけどね。彼女の実兄は城にはいないそうで、外で働いているとか。あの青年——クルックスというらしいですが、彼の親友だそうですよ」

「ほとんど兄と同じくらいに慕っているという意味か。道理で雰囲気が違うはずだな」

 年相応と言えば相応の小生意気な態度で、起爆剤か鉄砲玉か、いつでも元気よく駆け出しそうなスピカと、穏和で性根からお人好しそうな——芯の強さは別として——クルックスは対照的だった。

「そうか……そういう風に性格が正反対の兄妹もいるけれどな。私と妹もそうだし」

「お二人はこっちが呆れるくらいにそっくりですよ。一応、言っておきますけど姫様に城下遊びの入れ知恵しないでくださいね」

 半分職務、半分本心として釘をさしておき、ロスもクルックスとスピカの風貌を頭に思い描く。

「まぁ、あの二人は髪とかの色もちょっと別種ですしね」

「両親どちらかのを片方ずつ受け継いだかと思ったが、そういう事情か」

 言われてみれば、目鼻立ちもあまり似通ったところはない。理由は判然としないが、スピカの方がカエルムの印象に強く残る顔立ちをしていた。

「青年の親友、か。あのくらいの若者が一人外に働きに出るのは珍しくないが……」

「ええ、あの歳で兄貴と離れるのは寂しいでしょうよ」

「明るく振る舞ってるのも、心細さを紛らわすためか」

「だとしたら健気で……」

 その途中でロスは言葉を切り、カエルムを直視した。カエルムの方も立てた指を口に当てて頷き、扉に視線を動かす。会話を止めた室内に足音が届き、近付き、扉が叩かれた。

「どうぞ」

 カエルムの返答を受けて取手が回る。

 姿を現したのは先の近衛団長官だった。意外にも大臣は伴っていない。

「お待たせしました。先に承諾した通り、書庫へ付き添う人間を連れて参りました」

「それは恐れ入ります。書庫へ、ということは城内は自由に散策してもよろしいと?」

 望みは薄いと解ってはいたが、敢えてカエルムは尋ねた。長身のカエルムさえ見下ろす近衛団長官の瞳の色は冷えており、内にある考えを微塵も語らない。

「テハイザ城は広大です。供をつけます」

 簡潔な返答が、二人を城内で自由にはしないと言外に語る。恐らく機があれば自分に回ってきただろう暗躍は無理だと理解し、ロスは顔には出さずに脳内で舌打ちした。

貴方あなたお一人のようにお見受けするのですが、御案内してくださる方とは?」

 カエルムが首をわずかに動かすと、近衛師団長が少しばかり体を横にずらした。

 すると、人影が二つ現れた。近衛師団長はその体躯と身の丈も並ではないが、身に付けていた羽織も幅広く、彼を一回り大きく見せていたらしい。そのためカエルムとロスには後ろに人が控えているなどまったく気がつかなかった。

「この二人を付けます。若いが、普段から城内を走り回って仕事をしている。城の内部には詳しい者たちです」

 姿を見せたのは、生真面目に口を結んで丁寧な礼をとるクルックスと、大きな目を瞬きもせずに開いて、じっとこちらを見つめているスピカだった。

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