第十八話 交渉(三)
「わたくしは自分の業務に戻ります。何用かありましたら、二人に申し付けて下さい。我々にすぐ伝わるように致しましょう」
二人を自分の前に並ばせ、近衛師団長は一本調子に続ける。話しやすいとまではいかないが、大臣よりはまだ普通の会話ができそうだ。カエルムは見た目の上では普段通りの温和な調子で頭を下げた。
「御礼申し上げます。では早速、書庫に参りたいのですが」
まずは二人で、とカエルムは付け加えた。それを聞いたロスも、椅子から離れて間口のところに立つカエルムと並ぶ。
要望を受けると、近衛師団長は若者たちに顎で合図した。横に並んでいたスピカが礼の姿勢で背中を折っているままの青年を小突く。
「承りました。それではご案内致します。書庫は北の棟ですから、かなり歩きますけどね」
***
部屋を出たところで、近衛師団長は辞を述べて天球儀のある部屋の方向へ、他の四人はそれとは逆の、城の北側へ向かった。
クルックスの言葉は大袈裟ではなかった。廊下を北側へ行くこと長く、カエルムの居室があった比較的高い階層から階段を四層降り、さらに回廊を曲がって、クルックスとスピカはようやく一つの扉の前で足を止めた。書物と定規、羽ペン、秤、それらが扉の上の壁に、騙し絵の手法で立体的に描かれている。
「着きました。採光があまりないですけれど、どうぞ」
クルックスが扉を開けると、中は日中だというのに
窓は一方——光の位置からして恐らく東側——に一つだけ、胸より高い位置に開き窓があるのみで、それが室内で唯一の光源らしい。
「これは……圧巻です。歴代の王の中には並外れた読書家が何人もいらしたと聞いていますが……」
丈高い棚を見上げ、ロスが嘆息する。
「まだここに並ぶのは一部ですよ。地下書庫にさらに蔵書があります。低層にあるのは、上の方に書庫を作ると本の重みで床が抜けると言われたらしいとかなんとか……言い伝えですけれどね」
クルックスが笑い混じりに言い、スピカに「ほら」と声を掛ける。それを合図にスピカはさっと長机へ走り寄り、卓上用の照明を指差した。
「本が変色しちゃうから、明かりが入らないようにしてるんですって。でも読むなら灯りを点けるし。何読みたいの、王子さま?」
書棚をぐるりと見回して感心していたカエルムは、正直なところを言えば、棚の端からゆっくり物色して選びたかった。しかしそう悠長なことも言っていられない。これだけの数の中から目的のものに辿り着くには探すよりも聞いた方が早い。
「まず興味があるのは昔話の類ですよ。古い歴史書とか、伝説とか、古来から伝わる御伽噺とかですね」
大臣たちの前で述べた書物の類とは少し異なる。何か意図があってのことだろうとロスは会話の様子を見守った。先とは違うことを言ったのは、ロスが二人に邪念は無いと感じているのと同じく、カエルムも素直に要望を述べても構わないと踏んだのに違いない。
「なんだ、機密文書を見たいのかと思ったのに。見せられないけど」
冗談めかして言うスピカを、クルックスが「こら」と軽く嗜める。だがスピカの口は塞がらない。
「そっち、扉の横の列が歴史系の本。御伽噺とか伝説とかは窓側よ。他のおはなしと一緒に並んでるの。うんと古いやつ? そういうのがいいなら上の方」
そう言いながら爪先立ちをし、棚の上方を指差す。確かに下方の書物と比べて古びた装丁で、背表紙には
「ありがとう。出来たらあの興味深い天球儀のことが読みたい。いつ頃からあるものなのか、この国の歴史の中で、どんな役割を持っていたか、そんなこととかを」
「ああ、それなら」
扉近くに立っていたクルックスが数歩右に体を動かし、梯子に足を掛けた。慣れた足取りで身軽に上まで上がると、分厚い布張りの書物に手をかけ、細身の青年には意外なことに片手でそれを引き出した。クルックスは重さに耐える素振りもなく数段梯子を下がると、自分の下にやってきたスピカに本を手渡す。
自分の顔ほど大きな書物を両手で頭の上に乗せ、スピカがそれをカエルムに届けた。
受け取って表紙をめくれば、古語で『
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