火焔

第四十六話 火焔(一)

 上階から降りて窓硝子ガラスを割り武装した男たちが部屋に乱入してくる。怒号をあげ得物を振りかざし向かってくる先から、ロスとクルックス、そしてテハイザ王は床に打ち倒していっていた。

 日はとうに沈み、外はもうすっかり闇に覆い尽くされている。新月の今日、月明かりもない。

「大人しそうに見えてなかなか、こういうのにも慣れてるじゃないか」

 ロスは走り込んで来た男の足をすくい、後ろに倒して気絶させると、横に並んだクルックスに顔を向けた。さっきからこの調子で立て続けに入ってくる襲撃者を黙らせてきたので、部屋の数か所に気絶者が重なり山を作っていた。

「ロスさんほどではないですよ」

 クルックスも別の男を手刀で床に崩れさせたところだった。

「それに、外に出た僕の親友の方がよっぽど強い。僕は弱いから国に残ったんです。でもあいつと約束しました。今までのテハイザのやり方とか、何か間違っていると思うところをどうにかしようって」

 気絶した相手の両手を縛り上げながら、クルックスは決然と述べた。

「だから僕は、城に留まる代わりに、王と……スピカを守ると誓ったんです」

 ロスではなく、遠方の友人に宣言するかのようだ。一見、柔和な印象を与える青年から、静かに燃える炎のごとき意志の強さを感じる。

 意外な一面に感心しつつ、ロスは部屋の中を見回した。二人に向かってくる相手はもういなかった。

「鳥がうまく飛んでよかった——カエルム様が向かったなら、もう大丈夫です」

 独り言に似た呟きに、ロスは秘密を共有する少年のごとく尋ねる。

「なにやら、企んでたかな?」

 クルックスの横顔に意味深な笑みが浮かんだ。

「恥知らずを叩き潰す、ちょっとした賭けですよ」

「なるほどね。もう一人立役者がいたようだ」

 青年は無言のままだ。しかし目を見れば答えは要らなかった。あとで面白い話が聞けそうだと、ロスは正面に向き直る。もう数も数えていないが、肢体が累々と転がっている。

 命を取るのは無益であるし自分たちが嫌悪するところだ。したがって一人として息絶えさせてはいない。その代わりに例外なく意識を失わせ、動けないよう処理した。

「テハイザ王陛下もそれなりに訓練されているみたいだね」

「近衛師団長の直弟子ですからね」

 そう意見を述べ合った二人の目線の先では、ちょうどテハイザ王が最後の一人を昏倒させたところだった。

「ここで終わりにはならないだろう。まだ数がいるはずだし、中核をどうにか片付けないとらちがあかないな」

 王は剣を下に降ろし、厳しい眼差しを間口の外、白亜の廊下へ向けた。ロスも同じ方へ顎をしゃくる。

「行きますか」

「ええ。外に何人残っているか、知りませんが」

 三人は息をひそめ、なるべく足音を立てないように廊下を戻った。白木の扉に耳を当てると、外側に複数の声がどうやって扉の中に入ろうか議論しているのが聞こえる。

 扉から一歩引いて、ロスがすぐ飛び出せる姿勢で剣を構えた。

「あまり長く相手をしていたくない。突破しましょう」

「同意します」

 王は右の手を肩の位置まで掲げた。親指にカエルムが着けていたのと同じ指輪が光る。それを白木に近づけ扉が開くと、ロスが剣を体と垂直に前方へ突き出して扉の外側へ飛び出した。

 扉の前にいたのは十数人。全員とやり合っていては、その間にまた援軍が来るかもしれない。テハイザ王を中央に、三人は自分たちの行く手の邪魔になる手前の者だけに剣をぶつけて、天球儀のある最上階を目指した。

 廊下の幅はさして広くない。相手は人数の多さが逆に不利に働いた。一人が体勢を崩せば他の者がそれにつまずいて団子状に体勢を崩していく。背後で負傷した者の呻く声や床に武具が落ちる鈍い音が聞こえる。前方に阻むものがいなくなって、三人は目的の部屋へと回廊を真っ直ぐに走った。


 ***


 酷い惨状だ。

 半円の部屋のあちらこちらで装飾品が壊れ、弾け飛んだ金属や硝子ガラスの破片が床に散らばっていた。足元の大理石には大小の傷がつき、その上に十人ほどの男が気絶して横たわっている。

 部屋の中では数組の官吏が武具を手に対峙していた。先ほどこの部屋でカエルムとロスを出迎えた者たちの中には、近衛師団長とクルックス以外にも大臣の手勢ではない、王の側につく者がいたらしい。

 当の近衛師団長は、部屋の中央、天球儀の横で二人から剣を受けていた。一人は琥珀色の髪の男。そしてもう一人は、大臣である。

「陛下」

 室内へ駆けった人物に気が付くと、大臣はゆらりと近衛師団長から身を離し、テハイザ王の方へ足を向けた。

 キィン、という刃音が飛ぶまで、一呼吸もなかった。

 深い皺が語る高齢からは想像できぬ迅速さで、大臣はテハイザ王の眼前まで迫ったのだ。同時にロスとクルックスの前にも、室内でまだ立てる力のあった者が飛び出していた。

 ぐぐ、と剣身を押す圧に、テハイザ王はつかを握る手の力を強めた。刃越しに見る大臣の眼は、憎悪に満ちて剣呑に光っている。

「我々の政策にこのような形で異を唱えるとは、幼い頃にわたくしが御教育申し上げた方とは思えませぬ」

「私がその意に疑問があるとは、常ながら言っているだろう……!」

「まだそんな弱腰を。先代の御子とは思えませぬな……よもやシレアの妖精の呪詛ですか」

 大臣の声音は氷のように冷たく、その中にあるのは怨念と殺意。

「だがもう良い。シレアは堕ちる。王子の留守に国の異変と、攻め入る好機のしらせが来た」

 ——なぜ、大臣が時計台と地下水シレアの異変を知る?

 テハイザ王の背筋に寒いものが走る。しかし動揺を見せれば負けだ。瞬きせず相手を睨み据え、努めて冷静に言葉を選ぶ。

「その王子殿下は帰途についた。れ言はもうよせ」

「……貴方が、帰したのか…! 血迷ったことを……!」

 腕にかかる力が重くなる。老人とは思えぬ力だ。刃が自分の顔に近づき、あと一寸で触れそうである。テハイザ王は歯を喰いしばった。

 その視線の端で、閃光が走った。

 次の刹那に鼓膜を破らんばかりの爆発音が轟き、激しく振動した窓硝子ガラスが割れ、破片がきらめきながら室内に飛び散る。そして轟音と共に下方から紅赤べにあかの帯が漆黒に染まった夜の闇に凄まじい速さで立ち昇った。

 火柱だ。

 窓の向こうで火の粉が点描のごとく闇の中に踊り、煌めき散る赤が天球儀に映って球面上の星辰が陽光と同じ色に輝く。

 部屋中の誰もが金縛りにあったかのように動きを止め、禍々しい炎を前に呼吸を忘れた。

「……貴方が玉座について、国政ばかりか天球儀も……愚王は厄をもたらすと古伝に言う……」

 ただ一人、口を開いた大臣の目は狂気に満ちて血走っている。

「これも、貴方が呼び込んだ災禍か……」

 眼窩の奥の瞳は王に向けれられてはいても、憑かれたように虚ろで何物も捉えてはいない。

「いまこの状況を見てなおそんな世迷言を言うか!」

 渾身の力を込めて手首を返し、テハイザ王は大臣の体を剣もろとも振り払った。よろめき床に尻をつく老人を跨ぎ、窓辺に駆け寄って身を乗り出す。

 火柱の元を見て、テハイザ王は言葉を失った。

 火焔が立ち昇る元には例の水面。だが水面そのものは漆黒の闇を湛え、それを取り囲んで紅蓮の火が円を描き、螺旋状に上空へ昇っている。

 王は部屋の中へ振り返り、厳然と声を張った。

「何を呆けている! 今すぐ城内の者を女性、老人から退避させよ! 城近くにすまう住人を高台へ! 海に近づけさせるな!!」

 凛とした指示に、立ち尽くしていた者たちがはっと金縛りを解いた。しかし次の瞬間に、再び一同が唖然として窓の外に目を奪われた。

 王の背後で水平線の際が白み、紅蓮の光が濃紺の闇へ浸食していく。

 ロスの傍らで、クルックスが呟いた。

「白夜……」

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