第二十三話 友誼(二)
足音が聞こえなくなると、カエルムはロスが置いて行った『古伝万象譚』を手に取った。書は二人が出ていく時に閉じられてしまい、さっき読んでいたところがわからない。仕方がなく、書のちょうど半ばあたりの適当なところを選ぶ。
開いたところは余白が多く、簡素な色彩で海の絵が描かれた頁だった。紙の中央近くに、短い歌のようなものが青墨の手書きでしたためられている。国事史と同じ古い書体だが、幸い、歴史書に慣れているものであれば割と簡単に読める類だ。
その文言はこうだった。
「陽は沈んでも無くならず。姿は見えどもそこにあり。
まわり巡って現れる。単にひととき離れるのみ——」
「あ、その歌ですか」
クルックスの呼びかけで初めて、カエルムは自分が無意識に歌を口に出していたことに気がついた。目を書から離すと、クルックスがこちらを見ていた。
「これをご存知ですか」
「はい。テハイザに伝わる民謡ですよ。船乗りが船上で歌ったり、酒場で祝いの時に歌ったり。祭りやなんかでも」
青年は温和な面持ちを一層柔らかくして答えた。
「歌われるのは夜ですね。明日がいい日でありますように、明日もお日様が見られるようにっていう願いもこめられているんじゃないかと思います」
「テハイザ国民なら皆が知っていると」
「ええ。小さい頃から聞かされるし、歌いますから。いつの間にか覚えちゃいました。その本に載ってたんですね」
「そうですか……」
民謡の類ならシレアにもある。それがこうした伝説などを綴った書物に含まれているのも、珍しいことでは無い。
書では、歌の続きも記されてあった。カエルムは今度は声には出さず、目だけでそれを追う。
『昼の光が隠れれば、
歌はそこで終わっていた。夜の光とは、星か月の輝きのことか。船乗り達にとって特に星の動きは重要だと言う。だとすれば、日の光に対して月や星を引き合いに出すのはごく自然のことだろう。
その前後の頁は、特に歌とは関係の無い他愛もない寓話が書かれているだけだった。あまり些細なことにまで過度に意味を求めすぎても良くない。含意を読み違える場合もある。釈然としない思いを抱きつつ、カエルムは歌の書かれた頁に挟んでいた指を離した。
再び静寂が訪れた室内に、カエルムが頁をめくる羊皮紙の音だけが響く。読書を邪魔してはいけないと思ったのだろう。クルックスは自分も本棚の中から分厚いものを一冊取り出し、カエルムの斜め向かいに腰掛けてそれを置いた。読みかけの書物だったのだろうか、最初の頁ではなく、終わりに近いところを迷わずに開き、すぐに文字を追うのに没頭し始める。
視線だけを斜めに動かしてその様子を確認すると、カエルムも『古伝万象譚』を机に戻して『国事史』の続きへ戻った。
天球儀についての記述に変わったところは少ない。度々、天文学博士たちがその動きを実際の天体の動きと照合し、記録を付けた日付が書き留められるほか、海に異常なしけと極端に波が無い時の天体の位置関係、特に月の満ち欠けとの関係が綴られていた。潮の動きと暦の関係を、星の位置を基準に割り出そうという試みが窺える。
移住の時からかなり時が下っても、天球儀が止まったという記録はない。また修繕をしたり、回転の具合を調整したりといったことも皆無だった。
まるでこれでは、シレアの時計と同じく人智の及ばぬところだ。
その中で気にかかるものもある。第一には、文章の中ではどこかからか、ごく自然に四方を示す言葉——東西南北——が出始めた。天球儀が指し示す空の状態が、それらと共に書き留められる頻度が増してくる。方位に対する意識の強まりか。そして第二には、たびたび出てくる『王の石』の存在。建国当初から繰り返し現れるのだ。
——これは、天球儀と何らかの関わりが……?
それとも直接の関わりではないのか、単に御守りのようなものなのか。
特にめぼしい情報が無いまま時代が下っていく。カエルムは他の書物に頼った方がいいようにも思えて来た。
そう期待が薄れて来た時だ。めくった頁の文章の中に、自国の名前があるのが目に入った。
「シレア」と。
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