第二話 入城(二)
昨晩、突然草原を襲った夕立は嘘のように、清秋の空の下、色鮮やかな紅葉が盛りを誇っている。二人が宿を出たのはまだ太陽も低く、朝露を柔らかく煌めかせる早い時間。気持ちの良い秋の涼しい空気に、馬も機嫌良く駆け出した。
海洋国テハイザの首都は
軍事強国なだけあって、テハイザの防備は堅固だ。政治経済の中枢となる城下町の手前には石壁が巡らされ、平野部からの侵略を防いでいる。その石壁は二重になっており、外側は民家と宿屋が田畑の中にまばらに建つのみ。防壁の内にあると言っても、まだまだ郊外だ。
より栄えた街の中心は、さらに内側の石壁の向こう側になる。投宿した者たちが城下町へ入るには、石壁に点在する検問所を通らねばならない。
王子とその連れが投宿したのは、外側の防壁を入ったところ、街から最も離れた宿屋だった。二人は街道の途中まで軽く馬を走らせ、内側の防壁が視界に入るあたりになると徒歩になった。
「殿下、民宿では身の上を隠すくらいなさったらどうです」
それまで黙っていた連れの者が切り出す。半眼で非難がましく向けられた視線に、男は心底意外そうに蘇芳の眼を見開いた。
「何で隠す必要がある?」
「これでも一国の王子でしょう。国の威厳とか考えたら、シレアの後継者が宿で床に寝てましたとか面目が立たないでしょう」
「ああ、そんなことか」
王子は従者の呆れた口調など、全く気にしていない風情で涼しい顔をしている。
「別に王族だからと言って、それ以外の国民より偉いわけではないだろう。そちらだって私の供で疲れているのだし」
昨晩は結局、従者の散々の説得の末に王子はようやく寝台で寝るのを承知したのだった。
「それに私は特に、これといって身の上を晒すこともしていないのだが」
「あんたねぇ……有名人だって自覚ありますか」
どうも姫様といい殿下といい、臣下に混じってしまって良くない、二十七の歳になったんだからもうちょっと体裁とか考えてくださいよ、と従者は説教がましくなるが、王子は常々から耳にタコができるほど聞いている小言だったので、軽く受け流して話題を変えた。
「見ろ。そろそろ検問所だ。果たして簡単に通してもらえるかな」
視界に入るまで近くになった検問所の前には、剣を腰に佩いた衛兵が街道の両脇に立ち、二人の姿を認めて鞘のままのそれを掲げ、行く手を阻んだ。
「このような朝早い時間に何用か。見たところ、商人ほどの荷物もなし……その人数からすれば他国からの
「その他国から城への訪問なのだが、通してもらえないだろうか」
王子は片手を上げて、軽い調子で返す。衛兵はそれを聞いても微動だにしない。
「招待状もしくは入城申請の書状は。証の無い
「さすが、優れた武功で名高い貴国テハイザの衛兵は優秀と見える。国防の手本に仰がねばならないかもしれないな——ロス」
ロスと呼ばれた連れの従者が、懐から書状を取り出し衛兵に渡した。それを読み、衛兵の表情が強張る。
「これは……肖像と似ているとは思ったが、似ているのではなく確かに、ご当人か」
「確かに私だが……そんな疑われるものだろうか」
「あんたのその調子が王子らしくないんですって」
ロスが
「まさか、一国の王子……しかも王位継承者が供一人だけを連れて来るなどとは信じがたく。書状を疑う訳ではないが、こちらも職務です。城への確認なしにおいそれと門をくぐらせるわけにはいかないので」
しばしここで待たれるよう、と言い放たれ、兵の一人が街中へ駆けて行った。検問所の中に誘われるでもなく外で制止されたカエルムとロスは、とりあえず馬を休ませ、手頃な道石に腰を下ろして待つ羽目になった。
テハイザとシレアの関係は良好とは言い難い。海に面し、気候に大きく左右される海洋貿易と漁業を主産業とするテハイザから見れば、シレアの持つ比較的安定した山々の恵みや肥えた土地は、喉から手が出るほど欲しいところであるに違いない。実際、テハイザがシレアを抑えて領土拡大を狙っているというきな臭い話が方々で聞かれた。さらに平野に面したこの国は、山に面したシレアまでを領土に入れて山向こうの北国まで侵攻する狙いがあるとも推測された。
ただし絶対中立を誓う小国とはいえ、その国防は代々極めて強く、不落と言われるのがシレアだ。テハイザからしてみれば、邪魔なことこの上ないだろう。そんな隣国の王子が訪ねて来て良い顔をされるはずがない。
今回カエルムがやって来たのは、そのような緊張関係にけりをつけたかったのだが、この剣呑とした衛兵の調子だと先方は聞く耳を持つだろうか。
隣に座ったロスが、まったくもう、と溜息を吐いた。
「だからもうちょっと供のものを連れて来た方が、王子っぽかったのでは?」
「そう言うな。話をするだけなのに余計な旅費を使ってどうする。いいじゃないか私とお前の仲なんだし」
「自分だって面倒は嫌ですけど。まあいいんですけどね。いっつもそういう役回りですしね」
「ふてくされるなよ。とはいえ、あまり厄介なことで時間をかけたくないな」
海から吹いてくるのだろう。頰に当たる朝の風はほのかに潮の香りがし、湿気を含んで重たく感じる。カエルムは衛兵を何とはなしに観察しながら、さてどうしたものかと思索していた。
しばらくそうしていると、衛兵の後ろ、城門の向こうに人影が現れた。
兵に拝礼された長身の男性は、いかにも高位の人物といった風の丈の長い羽織を纏い、厳つめらしい顔には深い皺が刻まれている。
「シレア国の王子とお見受けする。遠路はるばるのお越し、歓迎申し上げる」
言葉に反して全く歓待の意が見えない鋭い眼光が王子を頭から足先まで検分する。若輩の自分とは正反対に、明らかに年季を積んだ政界の重鎮だろう。
さて、この人物が、自分の話を聞く気になるのか。
清々しい秋の陽光の中で、空気が凍りついているのを感じた。
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