十.おばあちゃんが言ったから
向かってくる男に対し、罪王よりも早くフランシスは前に出た。
流れるような所作でその手が腰のベルトから何かを引き抜く。銀色に輝くそれをフランシスは男へと投げうち、寸分の狂いなく男の足に命中させた。
肉を貫く鈍い音が響く。霊眼に映っていた炎の勢いが一気に失せた。
悲鳴を上げ、男が太股を押さえて地面に倒れ込む。みれば、男の太股には異様に鋭利に輝くパレットナイフが深々と突き刺さっていた。
フランシスは間髪いれずに距離を詰め、男の右手を掴むとそれを捻りあげた。
「アァアア痛い! 痛い、クソッ、う、うう、あ、足が! 足! 死ぬ、死ぬ――!」
「重要な血管は外してる。私は人殺しはしない主義でね」
空虚な音を立てて、男の手からナイフが零れ落ちた。
それを遠くへと蹴飛ばして、フランシスは深くため息をついた。
「しかし……そんなつまんない動機で人を殺したのか。しかも、よりによって壊人鬼を騙ってさ。ひどいな、おかげで無駄に私の罪が増えたじゃないか」
「『私の罪』……?」
――この女は何故、ここにいるのか。
気配を察知させずに動く能力。そして、たった今見せられた一連の洗練された動き。
それはまるで――ある答えに行き着き、天潤は思わず口元を覆った。
「……正直、最初は君のことはどうでもよかった」
腕を締め上げられ呻く男に、フランシスは淡々と語る。
「『君を止めろ』って依頼もなかったし。いちいち反応してたら私が何人いても足りないからね。――でも、三人目で事情が変わった」
優しい声でフランシスは囁く。その瞳は、鮫の瞳のように冷たく感情がなかった。
「君が、私を騙って人を殺したから」
「ふ、ふざけんな……! 壊人鬼はおれだ、おれが壊人鬼なんだよ!」
暴れる男を、フランシスは退屈そうに見下ろした。
「……私はね、殺人だけはしないんだ。子供の頃におばあちゃんに言われたからね。『生き物を無闇に殺してはいけない』って。だからどれだけ殺したくても、殺さない」
そうしてフランシスは、素早く腰のベルトから何かを引き抜いた。
「――こうして人体を壊すだけで我慢してる」
囁きの直後、骨の砕ける嫌な音が立て続けに響く。
男が一瞬沈黙する。しかし直後、その喉から凄まじい絶叫が迸った。
「お、ご、う、おぉおお――ッ!」
「一通り関節を壊した。次は左手だよ」
破壊された男の右手を地面へと落とし、フランシスはひどく業務的な口調で言う。
その手は、くるくると金槌を弄んでいた。
「い、いやだ、いや、痛い、痛ッ、うあッ、ひっ、やめっ、やだ、や、やめっ……!」
「大丈夫。怯えないで。殺さないよ。正直、わりと本気で殺してやりたいと思ってるけど」
狂ったように暴れる男の左手を難なく取り、フランシスは淡々と語る。
「……玄玄。お前はやはり女を見る目がないぞ」
呆れたような口調で罪王が言って、肩で硬直している玄玄に視線を向けた。
「どこが優良物件だ。とんだ事故物件じゃないか」
「う、うるせぇ! 見た目で人の中身がわかるわけねぇだろ!」
「それよりも、流石にあれは止めた方が良いのでは……」
どこか呑気な会話をする罪王と玄玄に、天潤はおずおずと口を挟む。
しかし、罪王は軽く肩をすくめた。
「あの男がやったことよりはまだ人道的だと思うが」
「そ、それは、そうです、が……」
「どのみち私は犯行さえ止まればなんでもいい……奴の生死は――」
「殺さないよ。この人が生きていないと、私の無罪を証明できないだろう?」
フランシスの声が、罪王の言葉を遮った。
彼女は金槌を弄びながら、不気味に光る眼で男を見下ろしている。
「それに、こいつは悪い奴じゃないか。人をたくさん殺したとんでもないクズだ。こういう奴はなにがなんでも生かしておかないと。――作品として、ね」
「や、やめてくれ、頼むよ、も、もうやらないッ、やらないから!……だ、だから……っ」
「無駄話をしてしまったね」
金槌の回転が止まる。
ついに泣き出した男を前に、フランシスはにっこりと笑った。
「じゃあ、手早く芸術的に壊そうか。――大丈夫。絶対に死なせないから」
花の咲くような美しい微笑。金槌が、高々と振り上げられる。
しかし、それが振り下ろされることはなかった。
大砲の如き轟音が空気を震わせた。
「何の音――?」
建物全体が微かに揺れる中、天潤は聴覚に意識を集中させた。
無数の荒々しい足音が玄関の方から聞こえてくる。
大人数のようだ。そのうえ、いずれも相当の重装備に身を包んでいる。どうやら先ほどの音は、彼らによって玄関が破られた音らしい。
「――客が来たね。想像よりも早い」
飄々とした声に思わず振り返れば、男を肩に担ぎ上げたフランシスが立っていた。
男は白目を剥いているが、左手は原形を保っている。
「その人は……」
「気絶しちゃったよ。近頃の若者は根性がないねぇ」
軽い調子で答えつつ、フランシスは気絶した男を地面に放り捨てた。そうしてなにやらごそごそと荷物を漁り出した彼女を、罪王が鋭い目で睨む。
「客とやらの正体を知っているな?」
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