五.哭き羅盤

 その日は、昼から行動することになった。

 空は鉛色の雲で覆われ、むっとした湿気が廃ホテルを出た天潤達を迎える。


「まーた雨が降りそうだなぁ、オイ」


 今回は玄玄も一緒だ。天潤の肩に留まって、空模様に文句をつけている。


「てかよ、ザイ! お前、なんでオレを呼ばなかった!」

「うるさいから」

「端的! くそーっ、たった一人の友達になんてひどいことを!」

「やかましい。……大体、声を掛けようにも最近のお前は日中ほとんど館にいないだろう。今度は一体どこの女に入れ込んでいるんだ?」


 フードを被った罪王が面倒くさそうに玄玄を見る。

 すると玄玄はなにやら落ちつきなく嘴を鳴らし、もじもじと翼を揺らした。


「へへっ……さすがは魔人様だ、察しが良いな。最近さ、この辺りに緑の瞳をしためちゃくちゃ美人な西洋人がいてよ。いや、間違いねぇ。あれは紛れもない優良物件――」

「始めるぞ」


 玄玄の言葉を完全に無視して、罪王は小さな盤のようなものを取りだした。

 黒い方形の盤だ。中心に向かって、いくつかの金属の円盤が重なっている。それぞれの盤には、八卦や二十四方位を示す文字が刻み込まれていた。

 風水に用いる羅盤らばんに似ていた。

 しかしそれは、かつて師の元でみた物とは少し形が異なる。


「……その羅盤には、磁石がないように見えますが」


 通常の羅盤は、盤の中心に方位磁石を嵌めこむ。

 しかし罪王の持つ羅盤は磁石の代わりに、水晶のようなものが嵌めこまれていた。


「そういや、天潤はき羅盤を見るのは初めてか」

「哭き羅盤……?」


 首をかしげる天潤に、玄玄は得意げな顔でうなずいた。


「おう。幽龍じゃ、普通の羅盤は役に立たないんだよ。なんせ――」

「数万もの気脈が足下にあるせいで、結果が乱れるからだ」

「このっ、ザイっ! おれがっ! せっかくっ! 説明しようとっ!」

「あいたっ、いたっ」


 カンカンの玄玄が肩で飛び跳ねる。そのたび肉に爪が食い込み、天潤は悲鳴を上げた。

 それらを綺麗に無視して、罪王は小さな硝子瓶を取りだした。

 一見すると、それは空っぽのように見えた。

 しかし天潤は霊眼を集中させ、どうにかそこに数本の毛髪が入っているのを確認する。


「……あの。それは、まさか」

「被害者の毛髪だ。これを入手するために、先日、警邏に潜り込んだ」


 罪王は硝子瓶を開け、毛髪を羅盤の中央にかざした。

 水晶に波紋が走った。直後それはみちみちと変形して、鋭い牙を持つ小さな口を形成した。

 思わず息を飲む天潤の前で、羅盤はキーキーと甲高い声で鳴いた。


「これが哭き羅盤の由縁だ。盤の中央に、幽龍の肉片が埋め込まれている」


 水晶から極小の手のようなものが何本も伸びる。

 それは罪王から毛髪を受け取ると、よだれを垂らす己の口へと毛髪を運んだ。


「哭き羅盤は幽龍と呼応している。故にこいつをうまく使えば、幽龍のことをある程度は把握することが可能だ。例えば――ある人間が今、幽龍のどこにいるのか」


 哭き羅盤は毛髪を咀嚼すると、無数の手でその口を拭った。見かけによらず優雅だ。


「……犯人の行方を辿っているのですね」


 天潤は静かに罪王にたずねた。

 その間にも、カラカラと音を立てて羅盤の円盤がひとりでに回転を始めている。


「殺人者には、犠牲者の気がまとわりつく。返り血のようにべっとりと、魂にまで染みついて簡単には消えない。……だから、被害者の毛髪を」

「そうだ。警邏も哭き羅盤を持っているが……ククッ、玩具のような代物だ」

「そこで笑うか。性格悪ィな」


 玄玄がわざとらしく震えてみせる。


「どのみち、奴らには壊人鬼を捕らえることはできまい。あれは恐らく厄介な存在だ」

「……魔人様が厄介ってわざわざ言うってことはだ」


 玄玄が琥珀色の瞳を細め、鋭い目で罪王を見た。


「――狂仙だろ、壊人鬼」


 その言葉に、天潤の脳裏に先日見た死体の様子が浮かぶ。

 奇妙な嫌悪感を感じる首を切り裂かれた男の死体。その周囲には、微かに甘いにおいが残っていた。――あれは、狂仙の纏う芳香ではなかったか。

 なにより、生物は狂仙に生理的嫌悪を感じる。

 この世の摂理を歪めて存在する狂仙があの男を殺したから、あの死体に嫌悪を感じたのか。


「狂仙が、あの人を……?」


 しかし、天潤は妙な引っかかりを覚えていた。

 罪王もまた、なんともいえない曖昧な表情で哭き羅盤を睨んでいる。


「まだ、なんともいえん。――本当は先日の死体をもう少し調べたかった。しかしあれは時間が経っていたし、そのうえ警邏が来たからな」

「時間がって……おい。まさか、またあのやり方を使おうとしたのか?」

「あのやり方……?」


 肩の上で声を荒げる玄玄に、天潤は困惑する。

 一方の罪王は仏頂面で、いきり立つ玄玄をちらと見た。


「仕方がないだろう。我ながらあのやり方はおぞましいが……一番確実だ」

「おぞましいとかじゃねぇよ! お前、あれやると――!」


 その時、カチッと音を立てて哭き羅盤の円盤が止まった。

 罪王は目を見開き、円盤の文字を指先でたどる。


「結果が出た。――思っていたよりも近いな。行くぞ、眼球」

「は、はい……」

「おいザイ! まだ話は終わってねぇぞ! ってかオレを無視すんな! コラ!」

「あいたっ、いたたっ」


 肩の上で飛び跳ねる玄玄に悲鳴を上げつつ、天潤は罪王の後を追った。

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