四.変転
「罪王様の異能? それは、あの腕を変形させる……?」
「そうだ。――実際は、もっと複雑な力だ」
罪王の手が、花瓶に生けられていた白薔薇を一輪取った。
途端、白色の花弁は見る見るうちに黒ずみ、漆黒へと色を変えていった。
「私は、万象の形質を自在に変化させることができる」
罪王は薔薇を天潤に差し出した。
恐る恐る受け取ったそれは確かに薔薇だった。しかし花弁は当初とは似ても似つかぬ漆黒に色を変え、茎に点在していた棘は失われている。
「そして変化の力は、私自身にも及ぼすことができる。――このように」
罪王は素早く身を翻した。
みしみしと音を立てて、骨と肉とが変形する。
まるで飴細工の如く胴体が伸び、手足が同化し、肌がてらてらと光る鱗へ――。
そうして、目の前で漆黒の大蛇がとぐろを巻く。
丸太の如き胴が蠢き、天潤に視線を合わせるように鎌首がもたげられる。
頭部には、小さく形を変えた黒の仮面が嵌めこまれていた。
「生物から無生物まで、なんにでも。最小でネズミ、最大でどこまでかは私にもわからん」
囁きながら、大蛇は頭部を胴体へと潜り込ませた。
骨肉の変形する音。そうして、何事もなかったかのように人の姿の罪王が立ち上がった。
「万象を変化させ、自らも変化する――これを変転という」
「変転の異能……」
極めて強力な力だ。できる事の幅は天潤の天眼よりも遥かに広いだろう。
しかし――天潤は、手を握り閉じする罪王を見上げた。
「……先ほど、感覚が封じられているとおっしゃいましたね」
「そうだ……これは、制御がきかん」
罪王はうなずくと長袍のボタンを外し、それを脱ぎ捨てた。
長袍の下は、襟の高い黒のタンクトップとごく軽装だった。両腕は、やはり肩から指先までびっしりと隙間なく呪帯に覆われている。
その状態で、罪王は右手をまっすぐ横に伸ばした。
途端、その腕を包む呪帯が独りでに解け、空中へと移動していく。
「……呪帯は保険だ。なにが起きるかわからんからな」
呪帯が完全に取り払われた。
そうして露わになった罪王の肌に、天潤は口元を押さえた。
「なっ……!」
指先から肩までが墨で塗り潰したように黒い。
そうしてそこに
まるで夜空の一部を腕の形に切り取ったように見えた。
「……幾重にもまじないを施した結果、私の手はこの通りの有様だ」
罪王は顔を歪め、晒け出した自分の右手を見下ろす。
そしてその手で、罪王はもう一つ薔薇を取る。それは瞬時に金属の薔薇へと変じた。
「これでも制御が難しい。気を抜けば触れたものを何に変えるかもわからん。――だから何重にも封印を掛けた結果、私の手から感覚が失われた」
天潤は思わず、自分の両眼に触れる。
つまり罪王の腕の紋様は、天潤にとっての両眼を封じる呪帯と同じだ。
異形の腕を罪王は軽く振るった。すると呪帯が瞬時にそこに絡みつく。
「熱も痛みもわからない……動かしている感覚はわずかにあるが、ろくに力加減もできん。先ほど、お前を窒息死させかけたようにな。――それだけじゃない」
再び呪帯に完全に覆われた手で、罪王は顔を――仮面に覆われた右側を覆った。
「どれだけ封じても……どんな姿に変わっても……!」
髪を振り乱し、罪王は激しく首を横に振る。
「この顔だけは、どうにもならない……ッ!」
血を吐くような言葉とともに、一瞬だけ罪王の顔が見えた。
禍々しい仮面の向こうから覗く目の数が、いつかのように異常に増えていた。
色も形も様々ないびつなまなざしが、ぞろりと天潤を見る。
「顔だけはどこかが必ず崩れる! どうにもならない、この醜さだけは変わらない……!」
途端、天潤はカチリとどこかで歯車が噛み合ったような気がした。
思えば最初の夜、玄玄は言っていた。――『罪王は、晶肉を顔に使おうと思っていた』と。
そしてたった今、見せられた異能。血を吐くような罪王の言葉。
全てが、天潤の中で噛み合った。
「――だから、貴方は天眼を欲しているのですね」
ぽつりと零れた天潤の呟きに、返事はなかった。
罪王は顔を覆ったまま、荒く呼吸をしている。それを見つめ、天潤は言葉を続けた。
「如何なる異能も、呪詛も、この眼の前には力を失う。貴方は天眼が美しいから欲しいのではない。天眼で変転を封じたいから求めている。……違いますか?」
罪王は、しばらく答えなかった。
やがて彼は一つ、大きく呼吸をすると、ゆっくりと手を降ろした。
天潤を一瞥もせず、踵を返す。そうして扉へと立った罪王は、振り返りもせず囁いた。
「……夜にまた来る。壊人鬼の件で手を貸りたい」
罪王は部屋を出て行った。残された天潤は呪帯に覆われた両眼に、そっと触れた。
「…………あの人に、なら」
囁く。しかし、すぐに首をゆっくりと横に振る。
「……駄目。私は、消えなければいけないのだから……」
天潤はふっと息を吐き、ゆっくりと手を降ろした。
ふと、サイドテーブルに置いた黒薔薇が霊眼に映る。天潤は身を起こし、それを取った。
しげしげと其れを見つめ、天鵞絨のように柔らかな花弁に触れる。
「……薔薇って、本当にこんな形をしているのね」
窓から、淡い日差しが差し込みつつあった。
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