三.選べ、天眼の子

「……龍眼財閥の人が、私になんの話があるんです?」


 呪帯の下で眉をひそめる天潤に、理凰は「悪くない話だよ」と答えた。


「あんた、どうせ罪王に軟禁状態にされてるだろ? 無理もない、うちの人間があんたに興味を持ってると知ったら、あいつは間違いなくそうする。人との付き合い方とか絶対に知らないから、過激な手段に出るんだよね」


 理凰の言葉に、天潤は今朝方見た罪王の横顔を思い出す。

 実際、彼女の言葉通りだろうと天潤は思った。罪王は悪意があって天潤を閉じ込めたのではなく、ただただ心配だから外に出さないようにしているのだろう。


「この状態はあんたにとって困るはずだ。だから、あたし達が手を貸してやるよ」

「龍眼財閥を信用するとでも?」

「……言っとくけど、あの慈しみの家の件に関してはあたしは反対したから。いくら城砦の人間と対立してるといってもさ、あんな蛮行は許しちゃいけないよ」

「それで、貴女を信じろというのですか?」


 恐らく理凰からは見えないだろうが、天潤は首を横に振った。


「そもそも私が外に出られないのも、あなた方のせいでしょう。一体、何が目的です?」

「――黒廟娘々」


 その言葉に、息を吞んだ。

 声も出せない天潤に、理凰は相変わらず気怠げな声で「知ってるよ」とたずねた。


「あんた、ずっとあの女のことで嗅ぎ回っていたそうじゃないか。でも、訊く場所を間違えてる。……あの女は、ずっと財閥にいたんだよ?」

「それ、は――」

「なら、財閥に訊いた方が効率が良いじゃないか。どうせ奴の研究が狙いなんだろ? 財閥系企業には奴の資料がたくさん残されてる。うち――龍安にもたくさんあるよ。それこそ、部屋を埋め尽くすくらいには、ね」


 心臓の鼓動が早まる。

 背中にじっとりと汗が滲むのを感じながら、天潤はよろよろと椅子に腰掛けた。その間も、理凰は七星剣を通じてずっと喋り続けていた。


「黒廟娘々について教えてやるよ。――だから、龍安においで」

「狙いは……狙いは、何です?」


 膝の上に置いた七星剣を見下ろし、天潤は力無くたずねた。


「一体、何が狙いなの? どうして私を呼ぼうとするの? あなた方が、私に協力する義理なんてないでしょう――!」


 一瞬、沈黙があった。窓の閉じた部屋に、天潤の荒い呼吸の音だけが響く。

 やがて、理凰はため息を漏らした。


「……あたしは、言われた通りにやるだけ」


 声には、深い憂いの響きがあった。

 それまでとは少し違う理凰の言葉に、天潤は黙って耳を傾ける。


「あたしにはさ、尊敬してる人がいる。あたしに生きる意味を与えてくれた人だ。……その人が、あんたを呼んでる。あたしはあんたを連れていく。それだけ」

「……その人の、目的は何?」

「言えない。言ったらあたし、クビになっちゃう。それは嫌だ、死んだ方がマシだ」


「だから」と理凰は言葉を切る。

 顔は見えない。天潤の目の前にあるのは、彼女の言葉を伝える紙切れだけだ。

 それでも、理凰がひどく言葉に迷っていることはよくわかった。


「――どんなロクでもない用事でもさ、やれって言われたらやるんだよ。慈しみの家の時は適当に逃げたけど、今度は駄目だ。直々に命じられちゃったから」

「……あの。つまりあまり良い目的ではないですよね?」

「まーね。ぶっちゃけ悪い目的だし」


 あっさり理凰は認めた。天潤はやや拍子抜けして、呪符を二度見する。


「……あの、えっと、良いんですか? これで私、内容はともかくとして少なくとも悪い目的を持ってあなた方が私を呼んでいることを知ってしまったんですが……貴女の発言で、貴女の会社に不利益が生じたのでは」

「ある程度、裁量を持って仕事ができる職場なんで」


 理凰はさらりと言った。

 顔も知らない女だが、恐らく涼しい表情をしている気がした。

 フランシスとは別の意味で調子が狂う相手に、天潤は状況も忘れて脱力する。


「――でも、少なくともあんたは知りたいことを知ることができる」


 冷徹な声だった。先ほどまでとはまるで違う理凰の様子に、はっと息を吞む。


「夕方に望龍街ぼうりゅうがいのタイガーアイってレストランの近くで待ってる。銀の龍のボンネットマスコットを載せた白い自動車だ」

「……私が館から出れば、罪王様にはすぐわかりますよ」

「だろうね。どうせなんか体に仕込まれてるんでしょ? あいつ、そういう奴だもん」


 理凰は深くため息を吐く。どうやら罪王の性格を完全に理解しているらしい。


「この呪符に、方術を二つ仕込んだ。もしあんたが話に乗るって言うのなら、呪符の右半分を破って。で、そこに血を一滴垂らして部屋に置いていくこと。そして呪符のもう半分は持っていくこと――こうすれば、あんたが出ていっても罪王は気付かない」


 天潤は、じっと呪符を見つめる。

 この小さな紙片に二種の方術を仕込むとは、理凰という女性は恐らく相当の手練れだ。


「選ぶといい。そのままそこでずっと燻るか、あるいは動くか。――まぁ、どっちを選んでもロクな未来じゃなさそうだけどさぁ。あたしがあんただったら逃げてるね」


 気の抜けた理凰の軽口に、天潤は今度は何も言わなかった。

 それで理凰は会話を切り上げる気になったらしい。


「――よく考えなよ。自分の身の振り方をさ」


 どこか忠告するような言葉とともに、呪符から気配が消えた。

 天潤は呪帯に隠された両眼に触れた。そして頭を抱え、深々とため息を吐いた。

 虚呪の手がかりは今、確かに目の前に存在している。

 あれほど焦がれたはずだった。なのに今は、どうしてかその名前が恐ろしい。

 そこで、ようやく天潤は思い知った。


「私……もう虚呪なんてどうでもよくなってるんだわ……」


 許されることではない。虚呪を求め、そうして消滅するのが天潤の生涯のはずだった。


「生きたがってるの……? なんて浅ましいの……私……」


 不安だった。理解ができなかった。

 死への関心が薄れつつある自分の変化が――ただただ、恐ろしかった。

 天潤は何度か、深呼吸をした。そしてゆるゆると顔を上げ、自分の肩をきつく抱き締める。


「どうしよう……考えないと……」


 顔も知らない理凰という女性は、選択を迫った。

 燻るか、動くか――廃ホテルに止まるか、虚呪を求めるか。

 廃ホテルから出れば、ロクな未来が待っていないと言うことは理凰もあっさりと認めた。

 どう行動しても、決して良い結果はおとずれない――しかし。


「……私が動かないと、財閥が何をするかわからない……」


 殺人鬼と魔人をつり出すために孤児院を餌場にした龍眼財閥だ。

 恐らく天潤がこのまま動かなければ幽龍城砦の人間や――罪王達にも危害が及ぶ。

 答えは、出た。


「……私、一人が犠牲になればいい」


 口に出した途端、荒れ狂っていた心が急激に凪いでいくのを天潤は感じた。

 天眼とともに完全に消滅することこそが使命だと信じていた。その決意が、揺らぐことに恐ろしさを感じていた。けれども今、天潤の胸に新たな決意が刻まれた。


「私の命で皆が……救われるのなら……こんなに良いことはないわ。命を奪うことしかできない天眼を持った私が、誰かを救えるんだもの……」


 それはこの上ない幸福だと思う。

 呪帯の下のまぶたが熱いのも、手が震えるのも、きっと幸福だからだ。

 天潤は顔を覆って、深く呼吸をした。

 そして顔を上げ、自分の部屋を見回した。この部屋にも、ずいぶん愛着が湧いていた。


「――せめて、最後に手紙くらいは残していきましょう」

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