二.躊躇い、戸惑い、ずれていく
その日も、天潤は寝台の上でぼんやりとしていた。真昼の日差しが天井に踊っている。
殺人鬼との戦いから、数日が経った。
つまり罪王から外出を禁止されて数日が経過したということだ。
退屈はしていなかった。
いつものように二胡を奏で、霊眼で苦心しながら書を読む。玄玄からは麻雀を教わり、新たに館の一員となったフランシスからは異国の話をたくさん聞いた。
外出が禁止されているわりに、充実していると思う。
いや――充実していると、感じてしまった。
「……どうして」
ゆるゆると両手を持ち上げて、天潤は顔を覆う。
「どうして……私は……死ぬためにここに来たのに……」
間違いなく、そうだった。
幽龍に来た時――天潤は死ぬことしか考えていなかった。早く虚呪を見出し、憂いにまみれた現世から永遠に消滅することを願っていた。
その頃の自分なら、きっと外出を禁じる罪王に強く反発したはずだ。
けれども――天潤は、早朝の事を思い出す。
その日の朝は、罪王とともに温室で過ごしていた。温室内の椅子の一つに座って、罪王が薔薇の手入れをするのを霊眼でじっと見つめていた。
『……外に出ることは許さん』
ざくざくと茂みに鋏を入れつつ、罪王は素っ気なく言った。
棘だらけの薔薇を、罪王は素手で扱う。感覚が鈍いせいで痛みを感じていないのだろう。むしろ天潤の方が、彼の手を鋭い棘が傷つける様を見て心を痛めていた。
『ええ。わかっています』
傷だらけの手から目を背け、天潤は小さくうなずいた。
『ならば何故、お前はここに来る。毎日毎日……答えがわかっているだろうに』
『……何故なんでしょうね。どうして私は、こんなことを……』
鋏を手に、罪王が振り返った。
仮面の向こうから覗く瞳が細められ、利刀のような鋭さを以て天潤を射貫く。
『――お前の望みはなんだ?』
答えることは、できなかった。
天潤は、自分の気持ちというものがすっかりわからなくなっていた。
真昼の日差しの中、寝台の上で天潤は考える。
そもそも自分は、最初から自分というものについて考えたことがなかったのではないか。
物心ついた頃から、天潤は消えることばかり考えていた。
それ以外について考えたことが、ほとんどない。
思えば昔、師である玉蓮真人からも罪王と同じことを問われた覚えがある。
『――お前は一体、何を欲している?』
かつて碁を打ちながら、玉蓮真人は静かにたずねた。
『その日までによく考えてみることだ。お前は、本当に消滅を望むのか――』
今までに感じた事のない感覚だった。
袖を引くような――後ろ髪を引かれるようなそれに、どうしようもない不安感を抱いていた。
天潤は首を振り、体を起こした。
がたりと何かが落ちる音がした。見れば、七星剣が床の上に落ちている。
「ちゃんと台の上に置いたのに……」
天潤は首を傾げつつも寝台から出て、七星剣を拾い上げた。
そこでふと、天潤は異物に気付いた。
七星剣の鞘――その先端部分に、やや大きな切手にも似た紙が貼り付いている。
「何、これ……?」
ノックの音が響いた。天潤はいったん七星剣を台の上に置き、ドアへと向かう。
「やあ、お嬢さん」
ドアを開けると、フランシスが愛想良く手を振ってきた。
「フランシスさん、どうなさったのですか? もしかして、館で何かわからないことが――?」
「いや、館の構造はもうあらかた覚えたよ。君にちょっと贈り物をね」
「贈り物……?」
フランシスは、基本的には申し分のない人間だった。
廃ホテルにやってきたその日に天潤達に手料理を振る舞い、彼女の気が向いた時には様々な絵を描いてくれた。騒々しくもなく、親切で丁寧。理想的な住民に思えた。
「これをあげよう」
フランシスから差し出されたのは、一振りの小さな短刀だった。
天潤は一瞬、反応に困った。しかしおずおずとそれを受け取り、眺めてみる。
「これは……変わった短刀ですね。とても綺麗……」
全体的に白く艶やかな素材で作られた短刀だ。
驚くほどに軽く、滑らかな手触りをしている。鞘から抜いてみると、刃の部分も鋭く研ぎ澄まされた白色の素材でできていることがわかった。
「それさ、金属を一切使ってないんだ。骨とか、象牙でできてる」
「へぇ……そんなものがあるんですね。ところで、どうしてこれを私に?」
「それさ、元々は私のものじゃないんだよね。多分、私が『加工』した誰かのものなんだけど、持っていても仕方がないしあげるよ」
フランシスのさらりと言い放った言葉に、天潤は凍り付いた。
「それは……つまり、遺留品と言うことでは」
「やだな。私は誰も殺してないよ」
フランシスは薄く笑って、肩をすくめた。
「何度も言ってるけど、私は誰も殺さない。この前の無礼な殺人鬼だってちゃんと出頭させたよ。歩いて喋れる状態は保てたから、そのまま警邏に行かせた」
「歩いて喋れれば良いという問題でもないと思うのですが」
「十分じゃない? だって死んでないじゃないか」
天潤の指摘に、フランシスは涼しげな顔で言い切った。
――ズレている。罪王は、フランシスのことをそう評した。
フランシスは狂ってはいない。
ただ、根本的に常人と世界観がずれているのだ――と。
「……あの。連邦でも、いつもそんなことをしていたのですか?」
「そうだね。誤解しないで欲しいけれど、私は何も無差別犯罪者じゃないからね」
襟元に止めたブローチをいじりながら、フランシスは語った。
「連邦はね、無法地帯だったんだ。法で裁かれない人でなしが大勢存在した。私の材料は、そういう連中だ。奴らを素材にして、芸術活動をしていた」
「つまり私刑ですよね?」
「まぁ、そういうことになるね。私は基本は人による報復装置として動いているからね」
「復讐代行――ということですか」
「そうだね。基本的には依頼で動くようにしていたよ。依頼主にも色々いたね。男、女、老人、子供、富めるもの、貧しきもの……世の中、病んでるよねぇ」
フランシスは空々しく笑った。
しかし、その笑みはすぐに消える。いつも通りの無表情で、フランシスは一息をついた。
「私はね。芸術家で、装置で――そして本来、人を殺したくてたまらない人間だ」
フランシスの手が、ゆるりと動く。
空気を辿るように――あるいは光を探るように、白い繊手が宙を滑っていく。
「……生命が完全に停止する瞬間を見たいんだ。無意識下で動き続けるあらゆる内臓が活動をやめ、意識が虚空に霧散する――たった一度きりの絶無の刹那」
舞い踊るような所作だった。
静謐かつ緩慢――それでいて指先の一つに至るまで力が漲り、緊張を孕んでいる。
その動きと、言葉に、天潤は思わず息を詰める。
「……けれども、この世界じゃ殺人は許されない」
フランシスは軽く肩をすくめると、宙に舞わせていた手を軽く握りしめた。
「そして、どうやら私のような人間は怪物というらしい。――だから私は考えた」
「何を……?」
「人間に合わせてやろうってね」
フランシスは唇の端を下げ、少しだけ肩をすくめた。
「幸い、良い教育を受けていたからね。理想的な人間の言動というものは学習した。――しかし、大変だよ。真似はできても、理屈がわからないんだから」
乾いた笑い声を漏らすフランシスを、天潤はなんともいえない気持ちで見つめた。
「でも、多少言動が異常でも人の役に立てば存在を許容される。……壊人鬼として芸術活動を始めたのはそのためさ。私の欲求を満たしつつ、私の居場所を作れる」
「……居場所、ですか」
「そうさ。居場所は大切だ。多分、私みたいな奴は本来は死んだ方が良いんだろうけどね」
さらりとフランシスは言った。
その言葉に、天潤は何故だかなにも言えなくなる。軽かったはずの白の短刀が、急速に冷たさと重みを増していくように思えた。
「とりあえず、それはあげる。金属探知機に一切引っかからないという便利な代物だけど、似たようなのいくつか持ってるからさ。一番綺麗なのを君にあげよう」
「はぁ……ありがとうございます」
「――それと」
踵を返したところで足を止め、フランシスはちらりと天潤に視線を向ける。
「……君が何を求めて幽龍を訪れたかは私は知らない。けれども、もしこの館にいることで、その目的が阻まれているというのなら――私は君に手を貸そう」
天潤は思わず、フランシスを見上げる。
常は硝子球のように虚ろな瞳が、どこか気遣うような色を湛えているようにみえた。
「どうして、私に……?」
「何、魔人なんて興味深いものに近づくきっかけをくれたからねぇ」
フランシスはクスッと笑った。そして今度こそ天潤に背中を向け、ひらりと手を振った。
「いずれにせよ、よく考えてみることだ――それじゃ、また」
カツカツと足音を立てて遠ざかっていくフランシスの姿を、天潤は呆然と見つめる。すらりとした長身は、すぐに曲がり角の向こうに消えて見えなくなった。
天潤は、手の中の白の短刀を見下ろした。
『どうやら私のような人間は怪物というらしい』――フランシスの言葉を反芻する。
つまり罪王の言っていた『ズレ』を、彼女は把握しているのだ。
自分が常人と違う怪物であることを理解したうえで、生き続けている。
同じではないか、と思った。
怪物性を抱えたフランシス。変転に苛まれる罪王。そして天眼を宿した天潤。皆、自身や他者を害するどうしようもないモノを身のうちに秘めている。
けれどもフランシスは、罪王や天潤とは決定的になにかが違う。
そして罪王と天潤もまた、違う。
異能に苦しみながら生き続けている罪王と、異能を憂いて命を捨てようとする天潤。
「……どうして、こんなに違うのかしら」
何故自分は、罪王やフランシスのように生きられないのか。
考えても答えは浮かばない。天潤は肩を落とすと、扉を閉めた。
「――――やっと一人になった」
もらったばかりの短刀を抜き払った。
白く鋭い刃を構え、周囲の気配を探る。霊眼には、特に異質なものは映っていない。
「まったく困ったものだよ。やっと繋がったかと思ったら客が来るんだからさぁ」
けれども確かに、気怠い女の声がする。
「……何者ですか」
問いかけつつ、声の聞こえるほうに天潤は足を進める。
声の元はすぐに見つかった。
「あたしは
床に落ちている七星剣を、天潤は呆然と見下ろした。声は間違いなく七星剣から聞こえた。
そこで、天潤は思い出す。
床から七星剣を拾い上げ、鞘の先端に貼り付けられた紙を指先でたどる。それでようやく、うっすらと道文字が記されているのがわかった。
「これ……呪符? こんなに小さな呪符が存在するなんて――」
「あたしは器用な人間でね」
小さな呪符から、どこか得意げな理凰の声が聞こえた。
「あの慈しみの家でのどさくさで、方士にこいつを何枚か持たせてたんだ。あんたとは一度、しっかりと話さなきゃいけないと思ってたからさぁ」
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