ユーロン・ユーサネイジア
伏見七尾
序.閉眼
一.
――雨が降っている。
夕刻を迎えた森は、叩き付けるような雨に晒されていた。
視界が白く煙る中を、齢七つの
白い頬を上気させ、細い足を泥にまみれさせ、ただひたすらに駆けていく。時折背後を振り返るたび、亜麻色の髪から雫が散った。
やがて、目の前に霊廟が現われた。
天帝廟だ。羅教の最高神を祀るはずの霊廟は、すっかり朽ちてしまっている。
天潤は這いずるようにして、崩れかかった壁の影に身を潜めた。
目を閉じ、荒く肩を上下させる。火照った華奢な体を、雨は容赦なく濡らした。
唸り声が聞こえた。
はっと天潤は顔を上げ、立ち上がった。その怯えた眼は、霊廟へと向けられる。
信仰の絶えた天帝廟は、すっかり野犬の巣になっていたらしい。暗がりにいくつもの白い目が浮かび、痩せこけた犬どもがのそりと姿を現した。
飢えた野犬は天潤に向けて牙を剥き――そして、爆ぜた。
悲鳴さえ上げずに、先頭の一頭が肉と骨の残骸と化した。
飛び散る血に天潤は息を飲み、後ずさる。
さらに三頭の野犬が、混乱の鳴き声を上げながら躍り出る。しかし彼らも巨大な水風船が破裂するような音を立て、また瞬く間に崩れ去った。
ばらばらと、犬の肋骨やら腸やらが天潤の足下にまで飛び散る。
天潤はえづきつつ、ふらふらと後退した。
その耳が、雨音の向こうにかすかな異音を聞き取った。――人間の怒声。
まだ、追いかけてきている。
それを悟った瞬間、天潤の体は動いていた。
裸足で野犬の肉片を踏み、藪の中へと走り込む。鋭い葉や鞭のような枝が体中にひっかき傷を作ったが構わず、天潤は死にものぐるいで藪を駆けた。
しかし、すぐに天潤は己が間違いを犯したことに気づいた。
「きゃっ……!」
濡れた枯葉に、ずるりと足が滑る。そのまま天潤は地面に倒れ込み、傾斜を転がる。
――そして、急に視界が明るくなった。
内臓が浮くような感覚。同時に、傷ついた四肢が空中へと泳ぎ出でる。
視界いっぱいに、荒れ狂う空が映った。次いで、雨に煙る急峻な虎骨山脈の山々が見えた。
そして最後に天潤の目に映ったのは、遥か下方から急速に迫り来る地面だった。
齢七つの少女は、転落死を迎えようとしていた。
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