六.人でなしの血族

 妙に引っかかる言葉だった。天潤はよろよろと顔を上げる。


「五十年ぶり……? 貴方も、太乙氏の子でしょう……?」


 雪像のように冷やかだった天狼の顔に、かすかな感情の色が差した。

 それはほんの一瞬だけだったが、天潤の眼は確かにそれを捉えた。

 恐らくは――怒り。


「……太乙氏は、本来は皇帝に仕える祭祀の一族だった」


 テーブルからコーヒーを取り、天狼はそれを飲み干した。

 そうして深く息を吐くと、彼は今まで以上に感情のない声で語り出した。


「一族はかつての政変の折に皇帝を見限り、秘術と財宝とを持って都から逃げた。……皇帝はこれに怒り狂い、一族に断絶の呪いを掛けた」


 ――太乙の血を地上から消す。老いも若きも男も女も。

 ――三族悉く何人も許さない。生きず、孕まず。絶えて断たれて冥府に行け。


「短命と不妊の呪い……? それじゃ血が残るはずがないわ。どうやって――」

「あらゆる手を尽くし延命を図ったんだ。初めは幽龍の晶肉で生きながらえ、血を繋ぐことができた。けれどもだんだん限界が近づいてきた。そうして、一族は考えた……」


 ――ずいを移せば、血は染まる。資格ある子に太乙の髄をえろ。

 ――形だけでも血を繋げ。血と技さえ絶えねば太乙は絶えぬ。


「すなわち――祭祀の素質のある子を攫い、あるいは買い取って、骨髄を移植する」


 どろりと部屋の空気が淀んだ気がした。

 天潤は吐き気を感じて、口元をきつく押さえる。自分の身のうちに流れる血が、急におぞましく禍々しいもののように感じられてきた。


「……今までこの無茶な計画で何人もの血族が命を失った」


 天狼の表情は相変わらず冷然としている。けれどもその静かな声と凍てついた双眸からは、確かな強烈な憤怒と憎悪の気配が滲み出ている。

 氷に覆われた火山のような男だ――そんな彼に、天潤は震える声で問いかけた。


「……あなたも、攫われてきたのですか」


 その言葉に、天狼はゆっくりと身を乗り出してきた。

 思わず身を引く天潤をよそに、彼は左の下瞼を軽く引っ張って見せた。


「……人造の龍の瞳と、腰の移植痕。それが血族の証だ」


 眼窩に納まっているのは、複雑に煌めくオパールの瞳。

 どう見ても人間の眼ではないそれを天潤に示して、天狼は押し殺した声で囁いた。


「断絶の呪いは、直系でなくても牙を剥く。この龍の瞳はそれを緩和するためのもの。僕達は、長らく袋小路を彷徨い続けていたが――そこに、お前が現れた」


 天狼は席に深く身を沈め、こつこつとテーブルで指を叩いた。


「五十年ぶりの実子。最後の太乙氏直系。我らが父――天元の子。お前はどういうわけか呪いを打ち破った。お前は、我々血族を救う鍵だ。お前を使えば、僕達は――」

「私を……使う? なにをするつもりなんですか……?」


 天狼は口を閉じ、スーツの内ポケットからシガレットケースを取りだした。それを見た理凰がすぐさま近づき、取りだしたライターで彼の煙草に火を点ける。


「……具体的には延命と繁殖の実験にお前を使わせてもらう」


 紫煙とともに吐き出された天狼の言葉に、天潤はさあっと血の気が引くのを感じた。


「……血を継いだ時点で、僕達は人間ではなく太乙氏になった」


 煙草を吸いながら、天狼は淡々と言葉を続ける。


「無理やり血族にされ、延命のため無茶な治療を繰り返し、体を作り替え……そうして苦しみながら、日々血族の責務を遂行している」


 灰皿に灰を落とすと、天狼は煙草を天潤に向けた。


「――直系のお前も、責務を果たすべきだ」

「そこまで苦しんでいるのに、太乙の血を繋ぐ意味があるのですか……? そんなに血に苦しんでいるのに……?」


 呆然と天狼の顔を見れば、彼の瞳は相変わらず絶対零度の中にあった。

 何を言っても、届かない。言葉が拒絶されている。

 罪王と話しているときでも、ここまでの隔たりを感じた事はなかった。

 世界がぐらぐらと揺れているような気がして、天潤は力無く頭を押さえた。


「――天狼様、あたしも訊きたいんですが」


 それまで黙っていた理凰が口を開いた。

 顔を上げると、理凰は顔を背けた。霊眼ではあまり表情は見えない。けれども、どこか痛みを堪えるような表情をしている気がした。


「貴方は太乙の血をなによりも憎悪していたはず。貴方御自身が、太乙の血の被害者でしょう。確かにこの子は断絶の呪いを解く手がかりになるかもしれない。全てがうまくいけば、きっと天狼様は総帥の座に近づくことになるでしょう。――でも」


 迷うように理凰は視線を彷徨わせる。そうして、困ったような顔で彼女は天狼を見た。


「天狼様……これは、本当に正しいことですか?」

「……お前は黙っていろ、理凰」


 天狼の拒絶は変わらない。しかし冷たく張り詰めたその声が、少し揺らいだ気がした。

 理凰は畳みかけるように言葉を続ける。


「これは、本当に貴方が望んでいることなのですか?」

「僕は黙れと言ったぞ、理凰」


 それが最後だった。青と緑の凍てついた瞳から、理凰は逃げるように目を伏せた。


「……はい、天狼様」


 そうして静かに下がる理凰から、天狼は天潤へと視線を移す。


「はっきりと言っておくが、お前の意思は関係ない」


 冷たく言い切る天狼を、天潤は力無く見つめた。


「お前は血族を救う鍵。血族を次代に導くための灯火――務めを果たせ、天潤」


 ここに来る前の予想は間違っていたと改めて思い知る。龍眼財閥は天潤を餌にするつもりで呼んだのではない。最初から、天潤だけが狙いだった。

 一族の贄にするために、天潤を求めていた。

 理凰のおかげで思考を整理できた。そうして覚悟ができて――諦めも付いた。


「……お願いが、あります」


 膝に視線を落として、天潤は消え入りそうな声で言った。


「あなた方に……協力しますから……だから――」


 せめて、罪王達にはもう手を出さないで欲しい。

 天潤がそれを口にする前に、鈍い音が響いた。建物全体がわずかに揺れる。

 揺れる電灯を見上げて、天狼が目を細めた。


「……来たか。姫を助けに来た王子と言ったところか」

「どちらかというと歌姫攫いに来た怪人ですねぇ」


 理凰が深々とため息を吐いた直後、部屋の壁がぶち破られた。

 塵煙とともに、無数の黒い装備に身を包んだ龍安兵が吹き飛ばされてきた。反対側の壁に叩き付けられ、呻き声を上げることもなく落下する。

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