七.森羅万象停止せよ

 塵煙が打ち破られた。

 拳ほどもあるコンクリート塊と縄鏢とが、天狼めがけて襲い来る。


「――あらよっと」


 けだるげな声。同時に、青い剣閃が雷光の如く迸った。

 一瞬にしてコンクリート塊が破砕され、切断された縄鏢が地へと落ちる。


「ちょっとは避けてくださいよぉ、天狼様」


 軽い口調で言いながら、理凰は軽く肩をすくめる。その手は、いつの間にか柳葉刀を抜刀していた。水晶のように透明な刀身に、青い気の光が駆け巡っている。


「塵を振り払うのがお前の仕事だ。――来い」


 理凰に答えつつも天狼が天潤の肩を掴み、自分へと強く引き寄せた。

 抵抗しようにも傍には抜刀した理凰がいる。天潤は仕方なく天狼に従うほかなかった。

 その視線の先で、塵煙が晴れた。

 ぶち破られた壁の向こうに、死神めいた黒い影が立っている。

 幽鬼のような白い髪。黒い長袍。赤いマフラー。――そして、禍々しい仮面。


「罪王様……」


 名を口にして、天潤は言葉に迷った。謝るべきなのか、喜ぶべきなのか。よくわからない感情の波が胸の内に押し寄せては引いていく。

 しかし、罪王は天潤を見ていなかった。


「……太乙天狼たいいつてんろう。往生際の悪いことに息災のようだな」


 罪王の声は、恐ろしいほどに感情がなかった。

 天狼は緩やかに手を広げる。その顔に、初めて薄い笑みが浮かんだ。


「この通りだ。そちらこそ母上のお加減はどうだ? ――ああ、仙人の方の話だ」


 罪王の顔が、歪んだ。

 直後、その姿が掻き消える。気付いた時には、罪王は天潤と天狼の眼前に迫っていた。


「そいつを離せ――ッ!」


 怒りに震えた声とともに、罪王が手を伸ばす。

 間近にある彼の姿に、天潤は状況も忘れて思わず自分の手を伸ばしかける。


「――おっと、そうはいかないよ」


 しかしそこに、青い雷光が割り込んだ。

 二人を断ち切るように柳葉刀が振り下ろされる。罪王が目を見開き、大きく後退する。斬撃は、その三つ編みの一房を切断するのみに止まった。


「貴様……ッ!」


 鋭い犬歯を剥き出す罪王の前で、理凰がくるくると柳葉刀を手の中で回す。

 そうしてその切っ先を罪王に定めた。


「あたしも虫の居所が悪いんだ。……ちょっと八つ当たりに付き合ってよ」

「うるさいッ、そこをどけ――ッ!」


 馬鹿正直に真っ正面から突っ込む理凰に、罪王は硬化させた左腕を思い切り叩き付ける。

 しかし、それは空しく宙を掻いた。


「――攻撃はたいてい左から」


 罪王が目を見開き、振り返った。

 一瞬で背面を取った理凰が、空中で大きく体を捻る。

 振り上げられた柳葉刀が青く輝く。


「読めてんだよ、魔人」


 罪王は大きく舌打ちしつつも半歩後退。振り下ろされた刃を半身になって回避した。

 理凰が踏み込む。青い光が尾を引く。

 鋭く叩き込まれる理凰の突き。今度は罪王は回避しない。変形させていない右手を躊躇いなく突き出した。透明な切っ先が罪王の掌を刺し貫き、鮮血を迸らせる。

 罪王は表情も変えずにそのまま刃を握りしめ、思い切り理凰を引き寄せた。


「うわ――ッ!」

「寝てろ!」


 左手をわざわざ人の手に戻したのは、魔人の情けだったのか。

 怒声とともに理凰の鳩尾に罪王の掌打が叩き込まれる。理凰の体が大きく折れ曲がり、さながら砲弾の如き勢いで吹き飛ばされた。

 壁に叩き付けられ、理凰は呻き声とともに落下する。

 血にまみれた掌から柳葉刀を引き抜き、罪王はそれを放り捨てた。


「――これで終わりか? 手勢はあらかた片付けた。私に悟られぬよう、拠点を守るのを少数精鋭に絞ったのが仇となったな」


 右手を再生させつつ、罪王は天狼を振り返る。

 仮面の奥の瞳は、怒りに揺れていた。


「その娘は返してもらうぞ、天狼」

「返す? 何を言っている。この娘がいるべき場所はここだ」

「何……?」


 罪王が眉を吊り上げる。

 天狼は薄く笑って、天潤の肩に手を置く。とっさに振り解こうとしたものの、男の冷たい指先は恐ろしいほどの力を持って肩に食い込んできた。


「彼女は太乙天元たいいつてんげんの娘だ、罪王」


 天狼の囁きに、天潤はたまらず床に視線を落とした。

 龍眼財閥は罪王の敵だ。自分がその系譜にあるものだと知ったら、彼はどんな眼で自分を見るのだろう。それが、恐ろしくてたまらなかった。


「それに……これで終わりだと、本気で思っているのか?」


 その瞬間、銃声が辺りの空気を揺るがした。

 はっと天潤は顔を上げる。

 視線の先で、罪王は呆然と撃たれた箇所を見つめている。


「莫迦な……」


 銃痕が穿たれたのは、硬化しているはずの左肩だった。


「いって……受け身とっててもさぁ、痛いものは痛いよね」


 銃を手にした理凰がよろよろと立ち上がる。

 先ほどの一撃で髪飾りが壊れたせいで、乱れた髪が顔に掛かっている。それを手櫛で適当に整えつつ、理凰は銃口を向けたまま罪王へと近づいた。


「――で、どう? これ、うちの工廠で作った試作品なんだけどさ。撃つ側は反動小さくて良い感じだけど、撃たれた側の感触はどうよ?」

「この程度で粋がるな……!」


 右手を硬化させ、罪王はそれを無造作に理凰へと薙ぎ払った。

 理凰は一歩、踏み出した。罪王の鉤爪を紙一重のところで避け、鋭く手を振るう。

 一閃――軍用ナイフが閃き、硬化しているはずの魔人の右手を深々と裂いた。

 噴き出す血に、罪王が大きく目を見開く。

 立て続けに二発の銃声が響き渡った。銃弾は、寸分違わず罪王の両膝を撃ち抜いた。


「うっ、ぐァ……!」

「罪王様ッ!」


 呻き声とともに崩れ落ちる罪王の姿に、天潤は悲鳴を上げる。


「これは……毒、か……!」

「まぁ、あんたにとってはそうかもねぇ」


 罪王の側にしゃがみ込み、理凰は一本のアンプルを取り出した。

 中には、淡く光る緑の液体が揺れていた。


「……これ、『龍甲軟化剤りゅうこうなんかざい』っていってさ。文字通り、龍の体組織に干渉して柔らかくする薬剤でね。普段は龍眼都市開発が、幽龍の地下工事をする時とかに使ってる」


 アンプルをくるりと回転させ、理凰はスーツのポケットにそれを片付けた。


「あんたの体は人間よりは龍に近いみたいだからね。さっき、背後を取った時に肩に打ち込ませてもらった。――腕の感覚が鈍いから、わからなかったでしょ?」

「おのれ……!」


 呪詛の言葉を吐く罪王の肩に、理凰はさらに念入りに銃弾を撃ち込んだ。

 声にならない悲鳴とともに、白い床に血飛沫が散った。

 凄惨極まるその光景に、自分の胸が撃たれたような痛みを感じた。


「もうやめてッ!」


 気付けば、天潤は絶叫していた。

 そうして我も忘れて、罪王へと駆け寄ろうとする。


「やめて! やめてください! 離して――ッ!」

「手間を掛けさせるんじゃない」


 拘束を振り解こうとする天潤の肩を、天狼は容赦なく引き戻した。

 到底人間の膂力とは思えない力で腕を決められ、天潤はあえぐ。

 さらなる力で拘束される天潤に、理凰はちらりと視線を向ける。その顔に一瞬、どこか気の毒そうな表情がよぎった。しかしすぐに彼女は目を伏せ、罪王に照準を定めた。


「――無力化、完了いたしました」

「御苦労、理凰」


 天狼のねぎらいに、理凰はさして嬉しくもなさそうな顔で肩をすくめた。

 灰皿に煙草を押しつけると、天狼は部屋を見回す。片手で拘束した天潤、床で浅く呼吸を繰り返す罪王――それらを見て、彼は初めて満足そうな顔でうなずいた。


「魔人を捕らえ、そして直系の血族も手に入れた……総帥の座は僕のものだ」

「でも、総帥閣下は良い顔をしないんじゃ?」


 抑揚のない声で、理凰は天狼に問う。


「実子の存在を知っていたのに、幽龍に連れてこなかったわけでしょう? 多分、天潤ちゃんを継承争いに巻き込ませたくなかったんじゃ――」

「知ったことか」


 天狼は冷やかな声で、理凰の懸念を打ち消した。


「呪いの克服は血族の悲願だ。その鍵となる存在を、あの男は隠匿していたんだぞ。他の血族はどんな顔をするか……もう、あの男の好きにはさせない」

「ふぅん。まぁ、とりあえず片付きましたね。――おーい、おはいりー」


 気の抜けた理凰の合図とともに、部屋の扉が大きな音を立てて開いた。

 荒々しい足音とともに、漆黒の装備を纏った龍安兵が部屋に雪崩れ込んでくる。


「みんな、油断しちゃいけないよ。今回は餌があったからうまくいったんだ。とりあえず、手筈通り拘束具つけようか。そうしたらあとは――」

「――もうやめてください!」


 天潤の叫び声に理凰は口を噤み、天狼はわずかに眉を寄せた。


「あなた方が欲しいのは私でしょう! 罪王様は関係ない! こんなこと――ッ!」

「……天潤。お前は勘違いをしている」


 天潤の顎を掴み、天狼は無理やり視線を合わせてきた。


「そいつは、黒廟娘々の息子だ。……だから我々財閥にその所有権がある」

「黒廟娘々の息子……?」


 その言葉に天潤は戸惑い――罪王は目を見開いた


「黙れッ、黙れ天狼ッ! それ以上話せば――ッ!」

「開発と発展の関係で、財閥は幽龍を自在に操作できる必要が生じた……発電のための心臓の増強、あるいは晶肉しょうにくの発生」


 罪王の喚き声を無視して、天狼は淡々と語る。


「しかし本来、龍などという大霊獣は天帝のしもべとされる。この肉体の操作には祭司だけではなく、天帝の代行者――つまり皇帝の血族たるりょう氏の血が必要となった」


 だが龍眼財閥は皇帝と決別した勢力。そのうえ、皇帝は大乱で行方不明となった。

 だから、龍眼財閥には燎氏の血脈を復活させる必要が生じたという。


「――黒廟娘々は、研究が行き詰まった時に現われた女だった」


『困っているのでしょう? 袋小路なのでしょう? どうしようもないのでしょう?』


 時の財閥総帥の前に、そう言って女は現われたらしい。

 黒い幅広帽子に黒のドレス。赤いルージュを塗った唇を吊り上げて、邪仙は囁きかけた。


『でしたら、わたくしが力をお貸ししましょう』

『ねぇ。ともに尊き皇帝の血脈を——蘇らせようではありませんか』

「……二十四年前、黒廟娘々は無数の胚と研究資料とともに行方をくらました。その数年後、現われたのがお前だ。魔人罪王……その真の名を、燎――」

「黙れぇええええ――――ッ!」


 破壊されたはずの罪王の足が、嫌な音を立てて動いた。

 肉と骨とをめきめきと再生させながら、罪王は天狼めがけて異形の手を伸ばした。


「嘘だろ――っ!」


 理凰が悪態を吐きつつ、撃った。しかし弾はわずかに逸れ、罪王の仮面を弾き飛ばすに留まった。勢いよく飛んだ仮面は壁にぶつかり、天潤の足元へと滑ってくる。


 ――仮面を、弾き飛ばしただけのはずだった。


 恐ろしい悲鳴が耳をつんざく。顔の左側を押さえ、罪王は地面に崩れ落ちた。

 けれども、その刹那に天潤は見た。

 仮面の下――黒く影に塗り潰されたようなその顔に、無数の眼と口が蠢いているのを。


「見るな! 見るな見るな見るな見るな見るなッ!」


 半狂乱で顔を覆う罪王を、龍安兵が瞬く間に囲う。

 天潤はその様を、呆然と見つめていた。

 顔だけはどこかが必ず崩れる。どうにもならない。この醜さだけは変わらない。

 かつて罪王の吐露した苦しみを――何故、彼が天眼を求めていたのかを、天潤は思い出す。


「……つくづく、おぞましい顔をしている。――魔人と言うよりも怪物だな」


 耳元で天狼の声が聞こえた瞬間、胸の内がかっと熱くなった。

 天潤は息を詰め、思い切り首をそらした。そうして天狼の顎に後頭部を打ち付ける。


「ぐっ、う――!」


 完全に不意を打たれた天狼がよろめく。

 とっさに身を屈め、天潤は罪王の仮面を拾った。そうして恐らくほぼ反射的に銃口を向けてくる理凰と龍安兵に対し、長靴の裏側に隠していたものを抜き取る。

 白の短刀――壊人鬼から託されたそれから、一瞬で鞘を払う。

 そうして次の瞬間には、天潤はそれを自分の頸動脈へとあてがっていた。

 

 それだけで、世界が止まった。

 理凰、天狼、龍安兵――そして罪王も、動きを止めた。

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