八.「むかえにきたよ」
「……おい、なにをしている」
顔面を押さえたまま、罪王がかすれた声で言った。
全ての人間の視線が自分へと注がれる。天潤はその中で、静かに言葉を紡いだ。
「全員……動かないでくださいね。少しでも動けば、動脈を裂くので」
「やめろ、天潤! 馬鹿な事はやめるんだ!」
天狼が怒鳴り、手を伸ばそうとする。
しかし、天潤は躊躇いなく短刀に力を込めた。
ちくりとした痛みを感じる。首筋に薄く血が滲むのがわかった。
その場の全員が、今度こそ動きを止めた。
「動かないで、と言いましたよね。次は本当に切りますよ――それとも今、切りましょうか」
「いや、それは本当にやめようよ、天潤ちゃん」
理凰が引きつった声で言う。
「洒落になんない。誰も喜ばないし……やめようよ、あんただって死にたくは――」
「私はそもそも死ぬために幽龍に来たんですよ」
停止していた空気が、さらに凍り付いた。
静寂の中で罪王の荒い息遣いだけが響いているような気がした。
「……どういうことだ、お前」
「……私にとって、生というものはどこまでも煩わしいものだった」
呆けたような罪王の声に、天潤は小さく肩をすくめた。
「……だから私は、虚呪を求めてここに来たんです。この忌々しい瞳から永遠に解放されるために。そして、もう二度と生まれないように――でも」
首筋を伝う血の感触を感じつつ、天潤は薄く笑った。
「――今生で、それが叶わなくてもいいかなって」
「おい……」
「不思議と、それでも良いような気がしてきたんです。罪王様……貴方との日々の中で、私は初めて人間として生きることができたと思います」
「やめろ」
顔を押さえたまま、青ざめた顔で罪王が首を横に振る。
「だから、もういいんです。罪王様――貴方に天眼をあげられないことが、残念ですが」
「やめろ、天潤! 自分が何をしているのかわかっているのか!」
必死の叫び声に、天潤は視線を罪王から天狼へと映す。
「天潤! 天元の子! お前が死ねば僕達は永遠に救われない! だから――!」
先ほどまで涼しげな顔をしていた男が、凄まじい形相で訴える。
その変貌ぶりを見つめて、天潤は小さく吐息した。
「……あなた方の境遇には同情します」
心からの同情と憐憫とを込めて、天潤は言葉を続ける。
「けれども、焦燥の果てに自らを苦しめた邪悪と同じ邪悪に成り果てた。――あなたこそが本当の怪物なのではありませんか、天狼」
天狼がオッドアイを大きく見開き、なにかを言いかけた。
しかしその時、天潤は悪寒を感じた。
心臓の鼓動が早まる。
肌の内側を嬲る寒気に思わず周囲を見回せば、自分以外の人間も同じような感覚を覚えているらしい。岳虎の刀が震え、龍安兵の銃口が揺れている。
「……あのさ。なんか……変じゃない?」
理凰が、どこか不安げに囁いた瞬間。
轟音が響き渡った。
部屋の天井と壁とが一気に吹き飛ばされ、塵煙とともに夜の空気が押し寄せてくる。そして、天潤は白の短刀が手の中で急速に形をなくしていくのを感じた。
そして、その手が恐ろしいほど冷たい手に掴まれた。
「な、なに――ッ!」
反抗も意味も成さず、天潤は自分の体が宙へと浮き上がるのを感じた。
霊眼の視界が一気にぶれ、全てが陽炎の如く曖昧になる。
瓦礫の崩れる音ともに、獅子の咆哮の如き風の音が聞こえる。
その向こうで理凰が天狼の名を呼ぶ声、龍安兵のどよめき――そうして、罪王の絶叫が聞こえた。
「天潤ッ!」
答えたかった。
けれども鼻先に、粘つくような甘いにおいを感じた瞬間――天潤は、意識を失った。
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