二.眠る龍の魔窟にて

一.魔窟の朝

 砂漠に、いる。


 砂に埋もれた古代の廃虚を横目に見ながら、天潤は延々と歩いている。

 聞こえるのは、ごうごうと鳴る無情な風の音。

 そして誰かが絶えず「死ね」と叫ぶ声。

 物心つく前に殺した伯父か、住んでいた村の住民達か――あるいは前世で殺した誰かなのか。

 天潤には、わからない。

 ともかく顔のわからない影達が、砂風の向こうで口々に「死ね」と叫んでいる。

 死ね、天眼の子。死んでしまえ。早く地獄に逝け。

 なにをしている? とっとと死ね! 死んでしまえ、今すぐに!

「死にますよ、ちゃんと」

 呪いの言葉に囁いて、天潤はひたすら不毛の地を歩いていく。

 今さらなにも感じない。

 これは遠い昔からよく見る夢の一つだ。そして、これは比較的ましな夢だった。


 目覚めた天潤は、両眼を覆う呪帯をいったん解いた。

 夜、寝返りを打つうちに緩んだこれを念入りに巻き直す――朝の習慣だった。

 金具を留め直し、天潤は寝台から抜け出た。

 窓を開けると、朝の幽龍の景色が目の前に広がる。真下には建物がみっしりと連なり、その狭間から陽光でも拭うことができない薄闇が見えた。

 人の声、車の音、鳥のさえずり――幽龍の朝は、師匠と過ごした落陽洞よりもやかましい。


『この街は、幽龍の――昏睡する九頭龍の肉体の上に形成されている』


 突飛な話だが、不思議と納得できた。

 恐らく道の所々に埋まっていた赤い玉も、牙のようなモニュメントも――そして、城砦を吞むようにして聳えるあの大顎も、全て龍の体の一部なのだろう。

 つくづく、とんでもないところに来てしまったものだ。

 天潤は窓を閉めると、壁際に置かれた古い紫檀の箪笥へと向かう。

 用意されていた服の中で天潤が選んだのは、旗袍キホウと呼ばれる服だった。

 旗袍は高い襟に飾りボタン、スリットが特徴的な爛の伝統衣装だ。天潤が選び取ったそれは白い絹地に青や金の糸で、花の刺繍が施してある。

 膝丈のそれに身を包み、天潤は簡単な演武の動きをしてみた。


「動きやすい……」


 深く入ったスリットのおかげで、足がよく動く。

 天潤は少し調子に乗って、様々な角度から蹴りを打ってみた。しかし途中でこのままでは完全に下着が見えてしまうことに気づき、慌てて黒のタイツを履いた。

 そうして、天潤は七星剣を手に部屋を出た。

 思っていたよりも広々とした食堂だった。

 天井にシャンデリアに吊され、差し込む陽光に煌めいていた。目の前には、いくつかのテーブルと椅子とが並んでいる。そのうちの一つに、小さなラジオが置かれているのが見えた。


レイさんが家族で営むこちらの料理店! 雲呑麺ワンタンメンが特に人気で――』


 誰もいない食堂で、ラジオは延々明るい声で朝の番組を流し続けている。

 直前まで、誰かがこの場所にいたのだろうか。天潤は扉を開けたまま、あたりを見回した。


「よーっ、天潤!」

「あっ、玄玄さん……」


 陽気な声とともに、開いたドアの隙間から玄玄が飛んでくる。

 玄玄は天潤の肩に止まると、感嘆の声を上げた。


「いいな、いいな! その服、よく似合ってるぜ!」

「あ、ありがとうございます……」


 あまり人から褒められたことはない。天潤は反応に困り、身を縮める。

 玄玄は天潤の肩から飛び、近くのテーブルへと舞い降りた。そして、てくてくとテーブルを歩き、その隅に置かれていた銀のベルへと近づく。


「とりあえずさ、飯にしようぜ。オレも腹が減ってよぉ」


 言いながら、玄玄はベルを突いてちりちりと音を鳴らした。

 途端、けたたましい音を立てて奥の扉が開いた。

 白い給仕の服を着たマネキンが六体、ばたばたと現われる。皆一様にのっぺりとした顔に符が貼られている。どうやら方術で生み出された木偶でくの一種のようだ。

 勢いよくワゴンを押し、銀の盆を叩き付けるようにして、木偶達は配膳を進める。


「……これも、罪王様が動かしているのですか?」

「そうだよ。館の家事は全部こいつらが担当してる。まぁ、細かな調整が難しいらしくてちと荒っぽいのが玉に瑕なんだが――うおっぷ」


 語っている傍から正面に茶碗が叩き付けられ、玄玄は盛大に茶を被った。

 その羽根を拭いてやりながら、天潤は木偶達を見る。

 木偶の操作は、玉蓮真人から一度教えられたことがある。方術の中でも、相当難度が高い部類の術だ。この数の木偶を動かすのは、仙人まだしも人間には相当難しい。

 魔人――想像以上に恐ろしい相手だ。

 天潤がひそかにおののいているうちに、配膳は完了した。

 葱と鶏肉の粥、空心菜の炒め物、油条ユジョウと呼ばれる揚げパン、豆乳を固めた豆花トウカ、大量のブルーベリー――ここまで豪勢な食事は今まで食べたことがなかった。


「また豆かよ! これで足りるか! オレを馬鹿にしてんのか!」


 一方の玄玄は、食事に文句をつけていた。

 豆の炒め物相手にさんざん喚き散らした後、玄玄はちょこちょこと天潤へと近づいてきた。


「なぁ天潤よ、オレにちょーっとばかり飯を恵んでくれねぇか?」

「え、ええ、構いませんよ」


 天潤は葱と鶏肉の粥を分けようとしたものの、玄玄がぶんぶんと首を振った。


「いや、それはいけねぇ。鶏が入っている……油条ユジョウだ、油条を三本くれ」

「油条ですね、わかりました」

「ああああ! 待って! ちぎらなくて良い!」

「ですが、このままだと貴方には少し大きいのでは――」


 油条と玄玄とを見比べて、天潤は首をかしげる。

 細長いとはいえ、もちもちとした生地の油条にはそれなりのボリュームがある。心配する天潤に、玄玄はばさばさと翼を広げて訴えかけてきた。


「平気だって! 余裕で食える! だから丸ごと! 丸ごと三本ちょうだい!」


 ――しばらく後。

 玄玄は、テーブルの上でぐったりと仰向けになっていた。傍目にもわかるくらいに、その腹はぽっこりと膨れあがっている。どう見ても食べ過ぎだった。


「うええ……無理……もう食えない……」

「大丈夫ですか? 胃薬かなにか……人間用で良いのかしら……」


 胃薬を手に天潤がおろおろしていると、そこで玄玄がよろよろと顔を上げた。


「そうだ……天潤さ、飯が終わったら温室に行ってくれ……」

「お、温室?」

「ああ……思いだしたんだ。ザイがそこで、お前のこと待ってる……。どうせロクな用事じゃねぇんだろうけど、行かねぇと多分おっかねぇことになる……」


 息も絶え絶えな玄玄の言葉に、昨晩の会話を思い出す。

 幽鬼のような白髪、禍々しい仮面、その向こうで爛々と光る魔人の瞳――底冷えのするそのまなざしを思いだし、天潤は緩く首を振った。

 できれば、すぐにでも街に出て虚呪の手がかりを探したかった。

 しかしこの館にいる限り、主人である罪王には大人しく従った方が良いだろう。


「わかりました……食事が終わり次第、温室に向かいます」

「おう……頑張ってなぁ……うげぇええ……」


 了承はしたものの、果たしてこの状態の玄玄を放置したままで良いのか。

 天潤は悩みつつも、こんもりと盛られたブルーベリーをせっせと口に運び始めた。

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