七.きざし

「罪王様」

「……違う、私じゃない……最初にあの女が私を殺した……あれは、母じゃ――」

「罪王様、意識をしっかりと」


 天潤は油断無く餓鬼の様子をうかがいつつ、罪王の頬を軽く張った。

 罪王は小さくうめいて、頭を抱えた。


「……罪王とは、誰だ」

「貴方以外の誰だというのですか。さぁ、まだ死ぬわけには――」


 ――おぎゃあああ!


 餓鬼達の間から奇声が上がる。ようやく体が安定したらしい餓鬼達が、獲物を――天潤達を見つけたのだ。腹の大口をぱっくりと開き、舌なめずりをしている。

 同時に堰を切ったように、餓鬼達が天潤達めがけて襲いかかってきた。

 天潤はとっさに地面に七星剣で円を描く。


「――【ドゥアン】! 蒼花絶圏ソウカゼッケン!」


 刃で刻みつけた傷に沿って、青い炎が地面から噴き上がった。それは気の障壁と化して天潤と罪王とを囲い、迫り来る鬼怪を阻んだ。

 炎の壁を、餓鬼達が爪で掻き毟るのが見える。天潤はぎり、と歯を噛みしめた。


「長くは保たない……」


 あらゆる神秘を打ち破る天眼を宿しているせいか、天潤は方術があまり得意ではない。

 そのうえ、今回はいくらなんでも鬼怪の数が多すぎる。


「くそっ! こんな姿でなけりゃ、おれでも――!」


 玄玄は悔しげに地団駄を踏んでいる。

 罪王は精神に失調を来たしている。

 もはやため息しかでない状況だ。しかし、天潤には唯一の打開策があった。


「仕方がない……ッ!」


 天潤は七星剣を納めると、後頭部に手を伸ばす。

 留め具を外し、素早く呪帯を解いた。その間に、炎の壁は軋むような音を立て始めていた。


「皆さん、絶対に前には出ないでくださいね」

「て、天潤? 何をする気だ? まさか――」


 玄玄が戸惑う声を聞きつつ、天潤は意を決して瞼を開いた。


 青に金の環を刻んだ虹彩が闇に煌めく。


 まず、視界に入った炎の壁が打ち消された。直後、障壁の消滅とともに歓喜の声とともに襲いかかってきた餓鬼達は、一瞬で弾けた。

 天潤はただ、微動だにせず凝視する。

 たったそれだけで、視界に入る餓鬼がことごとく爆ぜていく。

 異変を感じた後方の餓鬼が悲鳴を上げ、逃げ出そうとした。しかしその背中に天潤が視線を向けた途端、それはさながら赤い果実を潰すように炸裂する。

 血と肉とが焼け焦げるにおいとが辺りに満ちる。


「これが……天眼か」背後で玄玄が息を飲んだ。


 周辺を完全に赤く塗り潰した後、やがて天潤は瞼を閉じた。

 もはや動く者はない。視界の範囲内では。


「てっ、天潤! まだだ!」


 玄玄の警告は、わずかに遅かった。

 奇妙な笑い声が間近で響く。餓鬼が、視界の外から飛びかかってきたのだ。

 天眼は両目に宿る。当然、目に映らないものは殺しようがない。

 死角から襲われれば、無力だ。


「――屈め! 眼球!」

「きゃっ――!」


 背中を押され、天潤はつんのめるようにして地面に伏した。


「オォオオオ――ッ!」


 咆哮とともになにかが唸りを上げた。

 その一撃で、餓鬼は一瞬にして血と肉の塊と化した。

 天潤は目を手で覆ったまま、よろよろと立ち上がった。いつもよりもやや鮮明な霊眼の視界。白黒に淡く色の滲む世界に、もはや餓鬼の姿は存在しない。

 罪王が、立っていた。

 右腕はいびつに伸びている。その手で、天潤の視界に入らないよう餓鬼を刈り取ったらしい。


「……莫迦ばかめ。私をおいて逃げればよかったものを」


 罪王が唇を歪めた。顔色は最悪だが、声は先ほどよりもややしっかりとしている。

 そんな彼の姿を霊眼で見つめて、天潤はゆるゆると首を振った。


「貴方を置いていくことは、できませんよ」


 本心だった。

 罪王がここで死ぬか――あるいは負傷すれば、それだけ彼が天眼を獲得する方法を見つけるまでの時間を引き延ばすことができる。

 しかし天潤の頭に、そんな考えはひとかけらも浮かばなかった。


「おう、お前を置いていくことなんかできねぇよ。なんせ友達だからな!」


 玄玄も天潤の肩に留まって、大きく胸を張った。


「……物好きだな」


 罪王は小さく鼻を鳴らす。その右腕が音を立てて変形した。

 そうして完全に復元した手を慣らすように動かしつつ、罪王は天潤の側に立った。


「……お前と私の関係は、あくまで一種のビジネスだ。そこになんの感情も必要ない。私が天眼をお前から切り離せば、終わる関係だ。……わかっているな、眼球?」

「はい、もちろんです」

「おい。オレを無視すんなよ」


 文句を言う玄玄をよそに、天潤はうなずく。

 罪王はしばらく天潤をじっと見つめていたが、やがてゆっくりと視線を逸らした。


「……戻るぞ、眼球。玄玄」

「はい、罪王様……」

「だからオレを無視すん――あっ、ハイ。了解っす」


 やや気の抜けた返事をする玄玄を肩に載せて、天潤は歩き出した。

 目の前を進む罪王の背中を霊眼で見上げる。

 幽龍城砦の魔人。初めは、ただただ恐ろしい人だと思っていた。

 けれども今は――天潤は緩く首を振ると、ゆっくりと呪帯を目に巻き直し始めた。


 ――そんな彼らの姿を、緑の瞳がじっと見つめていた。


                   ◇ ◆ ◇


「……例の件。岳虎の案で本当に良いのですか」

「問題ない。奴らの居場所は、方術で高度に隠匿されている。こちらも打ってでなければ」

「……あの、天狼様。本当に、これは正しいんですか」

「なんの間違いがある? ……僕はただ、信頼できる味方が欲しいだけだ」

「そうですか。……まあ、私はなんでも構いませんが」

「ならば文句を言うな。――大人しく休んでいろ、理凰」

「……御意」

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