十四.少女が見た景色

 ――雨は、止みつつあった。


 さらさらと音を立てる透明な帳の中で、天潤は七星剣を鞘に納めた。

 見下ろせば、狂仙の屍はぼんやりとした光に包まれている。

 まるで、青い蛍が群れているかのようだ。その光の群れの中に、天潤は一瞬だけ眼鏡を掛けた青年の姿を見たような気がした。

 思わず、天潤は手を伸ばしかけた。しかし、それよりも早く光の群れは崩れた。

 おぼろげな青い光は、音も無く空へと昇っていく。

 そうして、後には何も残らなかった。


「……よくやったな、天潤」


 ばさばさと羽音を立て、天潤の肩に玄玄が留まる。天潤はそれに答えることもできず、じっと光の消えていった空を見上げていた。


「……あれは、どこかにいけるのかな」


 同じように空を見上げ、フランシスがどこか物憂げな様子で腕を組んだ。


「あんな歪んだ形になっても、人は――」

「……どこかには、いけるだろうさ」


 罪王が答えた。いつになく、柔らかな声だった。

 どこかには、いける。

 ――あそこまで人の形を無くしても、人にはいける場所がある。

 もはや光は見えない。けれども天潤は目を閉じ、空に向かって祈りを捧げる。

 そして前を見て、息をのんだ。


「きれい……」


 眼前にあったのは、幽龍の全てだった。

 雨に晒される幽龍は、色とりどりの宝石を沈めた水面のように見えた。

 暗い幽龍湾の岸には龍眼財閥の建物が並び、海を光のラインで縁取っている。そして彼方には、龍の頭骨に護られた幽龍城砦が炎の山の如く聳えていた。

 肉眼で見つめた幽龍の景色に、天潤はただただ圧倒される。


「……天眼は完全に封じられたのか」


 静かに問う罪王に、天潤はゆっくりと首を横に振った。


「いいえ。多分、一時的なものでしょう。――多分、譲渡に問題はないはずです」

「いや……私はもう、天眼が欲しいのかどうかも……」


 迷いの滲む罪王の言葉を聞きつつ、天潤は軽く目尻を揉んだ。

 瞳の奥にはまだ、重い不快感がある。目を開けているのも辛いくらいだった。

 それでも、天潤は闇夜に煌々と輝く幽龍の街を見つめ続けた。


「……私は、こんなに美しい場所にいたのですね」


 頬を濡らすのが雨なのか、涙なのかもわからない。

 取り憑かれたように街を見つめ続ける天潤のそばに、罪王が立った。


「今、天眼は殺傷力を持たないのだな?」

「ええ。ですが、じきに天眼が狂仙にかけられた閉眼呪を完全に無効化するはずです。そうなる前に、いつものように呪帯で――」


 罪王が、天潤の顎を掴んだ。

 そのまま無理やりに自分と視線を合わせさせ、罪王は無言で天潤の眼を見つめた。

 フランシスがひゅうと口笛を吹いた。


「ざ、罪王様……?」

「……お前の目の色が気になった。青だったのか。――悪くない」


 罪王は小さく鼻で笑って、天潤の顎から手を離す。

 しかし天潤はそれでもなお、罪王の瞳をまっすぐに見つめ続けた。


「おい、なんだ……用は済んだ。あまり私の顔を――」

「……貴方が初めてなんですよ。私と、目を合わせてくれたのは」


 ややうろたえる罪王の瞳を見つめ、天潤は小さな笑い声を立てた。

 見慣れた瞳だった。けれどもそれが夕焼けの空を思わせる色をしているのを、初めて知った。


「……人と目が合うって、素敵なことですね」

「ねえ、ちょっとずるいよ。私とも目を合わせようよ」


 ぐいっと肩を引かれ、天潤は今度はフランシスと目を合わせる羽目になった。


「そうだそうだ! オレ達にも見せろって!」


 玄玄もフランシスの肩へと飛び移り、興味津々といった様子で天潤の瞳を見つめる。


「へぇ……こんな色をしているんだね」

「キレイだなぁー。前はしっかり見れなかったけどよ……いや当然だがよ!」

「え、ええっと……あ、あんまり、見られると……」


 その時、小さなサイレンの音が聞こえた。

 見れば湾岸の建物のうちの一つ――恐らくは龍安の建物から、赤い警報灯の光がいくつも流れ出してくるところだった。それを見て、罪王がわずかに眉を寄せた。


「……フン、龍安が立て直したようだな。性懲りもなく我々を探している」

「ここに来るのも時間の問題だろうねぇ。――早く帰ろう」


 フランシスは軽く肩をすくめ、隣に鬼怪猫を呼び寄せた。そうして肩に手を伸ばすと、まさにそこから飛び立とうとしていた玄玄の首を鷲掴んだ。


「ぐえっ! なにしやがる!」

「つれないじゃないか。私と一緒に帰ろうよ」

「じょ、冗談じゃねぇ! またお前の意味不明な話を延々聞かされるのはまっぴらだぞ!」

「何、そのうち理解できるようになる」

「怖いこというんじゃねぇよ!」


 ぎゃんぎゃんと言い争う(もっともフランシスは心底楽しそうだったが)一人と一羽をよそに、天潤はゆっくりとあたりを見回した。


「……どうした?」

「いえ……最後に、もう一度だけ肉眼で」


 罪王が怪訝そうな顔でたずねる罪王に、天潤は小さく微笑んだ。

 眼球の奥から重みが消えつつある。天眼が閉眼呪を打ち消そうとしているのだ。

 天潤は小さく吐息して、ゆっくりと名残惜しむように瞼を閉じた。

 そうして天潤は、再び白と黒の霊眼の世界に戻った。

 けれどもその瞼の裏には、初めて肉眼で見た世界の美しさが確かに焼き付いていた。


「……本当に、素敵なものを見ました」


 極彩色の夜景。フランシスの瞳の色。玄玄の翼の艶やかさ。

 そして最後の一瞬だけ――自分と目を合わせてくれた罪王の微笑。


「――帰りましょう、皆さん。私達の居場所へ」


 幽龍の夜が、更けていく。


              【完】

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ユーロン・ユーサネイジア 伏見七尾 @Diana_220

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