十三.導きの星
「ば、け、ものが、ァ、ア、――アアアアアアアアア!」
狂仙は絶叫とともに掌を大きく振るった。途端、どうっと風が押し寄せてくる。
吹き抜ける疾風に、天潤はたまらず目を閉じてしまう。
再び訪れた黒と白の霊眼の世界。そこに、爽英が自分に向かって大きく顎を開くのが見えた。
顎の向こうから、白い閃光が弾ける。
防御をする隙もなかった。それは一瞬で、天潤へと照射される。
痛みはない。ただ、眼の奥にずんとした独特の重みを感じた。
はっと目を見開き、天潤は自分の両眼に触れた。
「閉眼呪ッ……!」
視力は失われていない。
常人ならば失明するほどの一撃だったが、恐らく天眼の力である程度軽減されたのだろう。
ただ、肝心の天眼の殺傷力が封じられている。
その証拠に、天潤の視界に晒されているはずの狂仙がよろめきながら立ち上がった。
背中で、もはや泥の輪と化した光輪が激しく回転する。
そこから無数の剣や槍が形成され、淀んだ色の切っ先を天潤へと定めた。
「死んでしまえ――!」
咆哮とともに、大量の穢れた武器が天潤へと押し寄せる。
瞳の重みに喘ぎつつ、天潤はとっさに方術を発動させようとした。
しかし、それよりも早く黒い影が目の前へと踊り出る。
罪王は、まったく怯むことなく天潤の前に割り込んだ。その両腕がめきめきと音を立てて変形し、いびつな龍の腕を形成する。
龍の腕は唸りを上げ、真っ向から穢れた武器の波に叩き込まれた。
剣光のはざまに青と赤の火花が舞い散る。
押し寄せる刃の奔流を、罪王は冷静かつ俊敏に右腕と左腕とを振るって弾き飛ばした。鋼の如き龍の爪が高速で繰り出される様は嵐のよう。
耳をつんざくような奇声が響き渡った。
ありったけの槍と鉄棍を撃ちだし、狂仙が両手を広げた。細い腕が熱を加えた蝋の如く変形し、カマキリのような鋭い刃を形成した。
悪あがきとばかりに叩き込まれた武器を弾き、拳を何度か握った。
その手を見て、天潤は息を吞む。肉の大部分が弾け飛び、骨がほとんど見えていた。
「罪王様! 手が!」
「構わん! これしきどうということは――!」
罪王は手を握り直し、振り上げられる狂仙の刃を睨み付けた。
両の刃が限界まで振り上げられ、雷光にぎらりと光った。刃元から切っ先までを目で追えば気の遠くなるほどに長い。あんなものが振るわれれば――。
「死ね! 死ね! 死ねェエエエエエエ――――!」
――なぁああおおおん
巨大な猫の声が響いた。直後、爽英の頭部に黒い影が襲いかかる。
血と破片とが飛び散った。耳障りな悲鳴を上げて、爽英が体が大きくのけぞる。
「――て、天潤ッ!」
その叫びに天潤ははっと顔を上げた。
必死の形相で羽ばたく玄玄が、何か長細いものを自分めがけて落とす。とっさに受け取めたそれは、天狼に会う前に預けたはずの七星剣だった。
「玄玄さん! これは――!」
「龍安から取り返してきたんだよ!」
天潤の肩に落下するようにして留まり、玄玄が荒く呼吸をする。
「ハァッ、ハァッ……ってかよ、ザイ! 一人でずんずん先に行くんじゃねぇよ! オレ達が追いつくのにどれだけ……!」
「――これが狂仙か。ずいぶん面白い姿をしているね」
飄々とした声に、天潤は思わず振り返る。
いつの間にか、すぐ傍にフランシスが立っていた。相も変わらず気配を感じさせない彼女は、くるくるとパレットナイフを片手で回している。
両腕を再生させた罪王が、その姿を横目でじろりと見る。
「……おい、壊人鬼。まさか『狂仙も殺さない』と言うつもりはなかろうな」
「何を言っているんだい? 狂仙は『元』人間だろう」
フランシスはひょいと肩をすくめると、小さく指笛を吹いた。
狂仙へと飛びかかった巨大な鬼怪猫がフランシスの側に立ち、低い唸り声を上げた。
フランシスはその頭を一撫でして、薄く笑う。
「ならちょっと活きのいい死体と同じだ。――腕が鳴るねぇ」
「い、活きのいい死体……」
いつになく凶暴なフランシスの様相に、天潤は思わず身震いする。
そんな天潤の耳に、混乱の声が聞こえた。
「ぐ、う、ぅううう――なんで――!」
見れば、狂仙がよろめきながら立っていた。
亀裂にびっしりと覆われた頭部には、赤い爪痕が刻まれている。それは顔面にぱっくりと開いた口が喘ぎ声を出すたび、だくだくと赤黒い血液を零した。
「なんで、なんでだ、体が、僕は不死のはずなのに……! お――――」
狂仙の顔面が、天潤へと向けられた。
途端、びきびきと音を立てて亀裂の中から眼球が浮き上がる。
「お前のせいだ、お前ぇええええッ! 返せッ! 僕の力を返せよォオオオ――!」
全ての眼球で天潤を捉え、狂仙は全身の口で野太い怨嗟の声を上げた。
天潤は、それをまっすぐに見つめる。
「戦えるか、天潤」
「――無論」
罪王の声に、天潤はしっかりとうなずいた。
熱病に浮かされた患者のような足取りで、狂仙が前に進み出る。その鎌が大きく振り上げられた。勢いはないが、刃渡りは脅威というほかない。
「行け!」
フランシスが手を叩くのと同時に、鬼怪猫が唸り声と共に狂仙へと襲いかかった。
先ほどは狂仙に痛打を叩き込んだ鬼怪の爪。
今度の一撃は弾かれた。火花のみを散らし、鬼怪猫は狂仙に吹き飛ばされる。
しかし、間髪いれずに罪王が出る。
「おぉおお――ッ!」
大きく一歩踏み出し、再生したばかりの左腕を変形させる。肉と骨がめきめきと音を立てて槍状の形へと変じ――続く二歩めの踏み込みで、解き放たれる。
一瞬で神速へと達した槍の腕が、狂仙の右肩へとぶち込まれた。
恐らく鬼怪猫の一撃によって、わずかな傷が刻まれていたのだろう。甲高い音ともに白い外殻が砕かれ、狂仙の鎌は腕ごと吹き飛ばされた。
「いたいいたいいたいいたいいたい――!」
狂乱の声とともに爽英の体が大きく揺れる。
残る左の鎌の軌道を天潤は鋭い目で追い、足へと気を集中させた。
まだ狂仙の閉眼呪は天眼の殺傷力を封じている。それはつまり天潤は肉眼を使えると言うこと――そして、霊眼に気を回す必要がないということ。
「狙うなら首をやっちまえ、天潤! ほんとかどうかは知らねぇ! けど、城砦の方士どもが狂仙は首が弱点だって噂してやがった!」
「承知――!」
玄玄の叫びに答え、足にありったけの気を流し込む。
漲る力と熱を感じつつ、天潤はその足で地を蹴った。体が弾丸の如く加速する。
一瞬で、天潤は狂仙の懐へと跳ぶ。
それは鎌の間合いの元――絶対に斬りつけることのできない距離。
そのまま、狂仙の首めがけて天潤は七星剣を振るう。硬い感触。亀裂にまみれた狂仙の外殻は、なおも鋼の如き強度を以て刃を阻んだ。
一瞬体の均衡を崩した天潤めがけ、すかさず鎌が伸びてくる。
「天潤!」
玄玄の叫びが耳を衝く。
不気味にぎらつく狂刃は、しかし突如生じた白い柱によって阻まれた。
天潤はとっさにその白い柱の上に着地した。
見れば、それは巨木の幹の如き骨の柱だった。地面から伸び上がる柱の傍で、罪王が地面に片手を突いている。どうやら変転の力で、幽龍の体を変異させたらしい。
「跳べ! 天潤!」
罪王の叫びを聞き、天潤はわけもわからずに跳んだ。
直後、罪王が地面を叩く。すると骨の根元から、ぱきんと乾いた音が響いた。同時に骨の柱が大きく揺らぎ、鎌を引き抜こうともがく狂仙へと倒れ込む。
轟音とともに、凄絶な悲鳴が響き渡った。
周囲の建物をいくつか潰しながら、狂仙は骨の柱とともに地面に倒れた。左腕の鎌は衝撃で砕け散り、再生することもなく急速に黒ずんでいった。
「くそ! くそ! どうしてだ! どうして僕がこんな――ッ!」
――空を覆う灰色の煙が、切り裂かれた。
狂ったようにもがいていた狂仙が、はっと空を見上げる。びっしりと眼球と口とに覆われた顔面が、曇天から落ちてくる煌めきを捉えた。
七星剣を最上段に振り上げた天潤が、重力の勢いに任せて狂仙へと落ちてくる。
「いやだ……」
呆然と呟く狂仙。その全ての眼球が、一条の流星の如く迫る天潤へと向けられている。耳元で唸る風の音を聞きながら、天潤は青い瞳でまっすぐに狂仙の姿を見つめていた。
「いやだ……怖い……僕は……」
うわごとを繰り返す狂仙の姿に、天潤は眼鏡を掛けた青年の姿を幻視する。
李爽英――彼がどうして狂仙道に堕ちたのか、知る術はない。
しかし、恐らくはこんな姿になるつもりもなかったはずだ。長い時の流れの中で、彼の精神はまぎれもない狂仙のものへと変じてしまった。
狂仙の顔面――本来人間の眼のあるべき場所に備わった眼球から、一筋の涙が零れた。
穢れた泥とは明らかに違う透明な雫に、心が鋭く痛んだ。
けれども、天潤は眼を逸らさなかった。
「
――落星。死の象徴たる北斗七星の剣は、狂仙の頭部を叩き割った。
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