十一.冷血財閥
「あれは龍眼財閥――正確にはそのうちの一社、龍眼保安服務公司の連中だよ」
「龍安かよ! 財閥きっての精鋭じゃねぇか!」
硝子の砕け散る音が響き渡った。
すぐ近くだ。恐らくこの広間の窓が破壊されたのだろう。天潤はとっさに飛び散る破片から身を守りつつ、音の聞こえた方に目を向けた。
視線の先に、大柄な男が降り立つ。
悪鬼の貌を思わせる機械兜が、低い唸りを立てていた。
闇を突き破るようにして現われた男は、そのまま罪王へと突進する。
両の手甲から刃が突き出す。曇ったような色をしたそれはほとんど反射光を発しない独特の作り。
殺気を孕んだ手甲剣が、もはや不可避の間合いで死の円を描こうとする。
「邪魔だ、どけッ!」
怒声とともに罪王は左手を無造作に振るった。
いびつに変形したそれは男の鳩尾を突き、刃が振るわれる寸前で彼方へと押し飛ばす。そうして男の姿は、一瞬で天潤の視界から消えた。
安堵する暇もなかった。闇から、さらに別の龍安兵が一度に三人現われる。
手甲剣、三叉の形をした筆架叉、端から端まで電光を漲らせた三節棍――。
様々な武器が一度に罪王へと躍りかかる。
天潤はとっさに割り込んだ。三人のうち、筆架叉を持った龍安兵の攻撃を七星剣で受ける。
重い一撃に顔を歪めたその時、微かに声が聞こえた。
「――何をなさっているのですか?」
「えっ――?」
機械兜に隠され、相手の顔は見えない。
けれども、その声には確かな困惑が滲んでいた。
悲鳴のような音を立て、筆架叉が刃の上を滑る。
剣を絡め取る気だ。とっさに距離を取ったものの、龍安兵は容赦なくそれを追う。
「今一度、御身の在るべき場所を考えるべきです」
しかし天潤へとかけられる言葉はどう考えても説得だった。
繰り出される筆架叉の動きも、攻撃というよりは制止の色を帯びている。龍安兵の意図をはかりかね、天潤は攻勢に出られずにいた。
「一体、何を言って――」
戸惑う天潤の側を、黒い風がすり抜けた。
罪王。あまりの速度でほとんど影と化した彼が、声もなく左腕を繰り出す。
甲高い音ともに、霊眼の視界に光が飛び散った。硬質化した拳はたやすく筆架叉を砕き、その勢いのままに龍安兵を殴り飛ばした。
「ざ、罪王様……」
「財閥の戯言に耳を貸すな」
罪王はぶっきらぼうに言って、天潤を肩の上に担ぎ上げた。
「でも、あの人は私を知っているようで……」
「なら余計に耳を貸すな。――出るぞ」
罪王は扉を蹴り開け、廊下へと飛びだした。玄玄が飛行しながらあとに続く。
相変わらず黒く塗り潰された視界。その向こうに、いくつかの白い人影が見えた。
天潤達を見た途端、明らかに人影が纏う空気が鋭く張り詰める。
「魔人だ! 魔人を見つけた!」「他の班にも連絡しろ――!」「追え、逃がすな――!」
「おい! とんでもねぇ大所帯だぞ!」
天潤のほぼ頭上で羽ばたきながら、玄玄が声を上げる。
「どいつもこいつも重装備――って、うわぁあああ! 火! 火!」
玄玄が悲鳴を上げた直後、いくつかの火球が高速で飛来する。
罪王は見もせずに、天潤を抱えたまま何度か宙で身を翻した。肌を焼くぎりぎりのところを火の熱が通り過ぎ、天潤は息を詰めて身を縮めた。
「方士を何人か連れてきているようだな」
「本気じゃねぇか! ってか、なんで財閥の連中がこんなところにいるんだよ!」
玄玄の叫びに罪王がなにか言いかけた直後、轟音が響いた。
どうやら目の前の壁が破られたらしい。急停止する罪王の体に、天潤は必死でしがみついた。
闇の向こうに、数名の龍安兵が立っていた。
その先頭に立つ一人が目を引いた。
他の兵よりもやや細身の体躯。しかしその体は強靭な筋肉で覆われていることが、装備の上からでも見てとれた。頭部を覆う機械兜は、牙を剥く虎の顔を模している。
罪王を前にして、虎の兵は声もなく背中に手を回した。
背中には細長い刀を四本。交差させる形で格納しているそれを二振り、抜き払う。
「
おぼろげな霊眼の視界でも天潤にはわかった。
爛のさらに東に存在する島国――閉鎖国家として名高き月虹国。
謎に包まれたこの地で狂気染みた過程の末に生み出される刀こそが肋刀。名品は肋骨の如き優美な弧を描くため、この名がつけられている。
その切っ先の一つを、虎の兵はまっすぐに罪王に向けた。
「――逃げ場はないぞ、魔人」
痩身に似合わぬ野太い声だった。
「施設の全ての出入り口を封鎖した……。娘を置いて、投降しろ」
「うるせぇぞ!
「投降せねば、こちらは力尽くで貴様を制圧する」
ギャアギャア喚く玄玄の叫びを完全に無視して、虎の兵は淡々と言葉を続けた。
罪王は目を細め、不遜な表情で腕を組んだ。
「私がそれを聞くと思うか」
「――聞いた方が身のためだぞ」
虎の兵の背後に立っていた龍安兵が、それぞれ肋刀を抜いた。無数の切っ先を一斉に向けられてなお、罪王は表情を変えなかった。
ただわずかに姿勢を低くして、天潤に短く問いかける。
「……お前、視界は」
「さっきと変わらないです」
「外まで走れるか。私はこいつらを片付ける」
「がんばります」
罪王はちらっと天潤に視線を向けてきた。いつものような無表情だったが、仮面の向こうの瞳はどことなく不安げなまなざしをしているように見えた。
天潤はぐっと小さく拳を握ってみせた。
「とってもがんばります」
「……そうか、なら」
直後、天潤は耳元で風が唸りを上げるのを聞いた。襲い来る急激な浮遊感。霊眼に映る視界が一気に揺らぎ、その中で龍安兵にどよめきが走るのを天潤は見る。
どうやら、投げ飛ばされたらしい。
「――受け身!」「雑!」
ごく短い罪王の指示に、天潤はごく短く文句を言いつつ着地する。
そうして、まっすぐに駆ける。周囲に龍安兵はいない。
背後で龍安兵の怒声が聞こえた。
「一番! 三番! あの方を追え!」
「りょうか――ガッ」
応える男の声がくぐもった呻き声に変わる。
無数の金属音。液体の飛び散る音。時折響く銃声に、天潤は首をすくめた。
――鼻先に異臭。そして耳が異音を捉える。
鉄のにおい。なにかが空を切る音。這い寄る蛇を思わせる勢いで迫り来る――。
瞬時にその正体を悟った天潤はとっさに足に気を集中させた。
跳躍。そうして気で作った足場を踏み、闇に隠された壁面へと着地する。その眼下を、足を狙って放たれた流星錘が通り過ぎ、そうして瞬時に回収された。
「お待ちください!」
妙に丁寧な制止を振り切り、天潤は向かいの壁面へと飛ぶ。
再び放たれた流星錘がわずかに靴を掠めた。どうやら、ともかく足を狙っているらしい。
「どうか話を聞いてください! 貴方は我々とともに――ウグッ!」
必死の説得がぶつりと途切れた。流星錘は回収されることなく、地面へと落下する。
天潤は再び壁面を蹴り、地面へと着地した。
無茶な移動をしたせいで、視界はさらに揺れている。それでもなんとか駆け出そうとした天潤の体が、不意に担ぎ上げられた。
とっさにもがこうとした天潤の耳に、聞き慣れた声が響いた。
「落ち着け、私だ」
「ざ、罪王様……せめて先に何か言ってください。あの、追っ手は――?」
「あらかた片付けちまったよ。罪王と、あの――」
間近で玄玄の声が聞こえた。どうやら、罪王の反対側の肩に止まっているらしい。
その言葉が終わる間もなく、黒い影が天潤達の側にせまった。
追っ手か。天潤が身を固くした直後、飄々とした声が響いた。
「ひどいな。おいていくなんて。おかげで危ない人達に囲まれちゃったじゃないか」
「フランシスさん……?」
涼しい顔をしたフランシスが、「やあ」と優雅に手を上げる。
「それ、鬼怪……ですよね?」
天潤はフランシスが横座りするそれをまじまじと見つめた。
巨大な黒猫にも似た鬼怪は口から青い火を零しつつ、罪王に勝るとも劣らぬ速度で駆けている。二叉の尾の先には、気絶した殺人鬼が縛られていた。
「こいつは鬼怪の血で描いた私の絵だよ」
フランシスは自分の腰を軽く叩いてみせた。
ベルトには無数の瓶が括りつけられている。あれが鬼怪の血を用いた画材なのだろう。
「私の意思で自由に実体化できるんだ。すごいでしょ」
「それより龍眼財閥だよ。なんだってあいつらここにいるんだ!」
「決まっている」
苛立ちにカチカチと嘴を鳴らす玄玄に答えたのは、罪王だった。
「奴ら、ラジオ局に干渉してわざと殺人鬼をこの場所に誘い込んだんだな」
「わざと、誘い込んだ……? ここは、孤児院ですよ? どうして――」
「どうだっていいんだよ、連中には」
走る鬼怪猫の毛並みを軽く撫でながら、フランシスが答えた。
「子供だろうと関係ない。むしろ将来の禍根を絶てて良かったとしか思ってないだろう」
「そ、そんな……」
「龍眼財閥は幽龍城砦を目の敵にしてるんだ」
思わず言葉を失う天潤に、フランシスは優しい口調で続ける。
「この辺りは、幽龍の主要な器官が揃ってるからね。本当はとっととここを更地に変えたいのさ。……でも、そのためには工事の妨害をしてくる魔人が邪魔だ」
「そうして最近は殺人鬼も目障りだ……だから、私と殺人鬼を同時に捕らえようと考えた」
「そうさ。だからこの場所を選んだ」
低い声で囁く罪王に、フランシスがどこか悲しそうな表情でうなずいた。
「趣向に合った放送に絞れば、殺人鬼の誘導は容易だ。そうして孤児達が殺されると察知すれば、魔人は必ず現われるだろう。――で、この場所を選んだわけ」
「ど、どうして……? どうして、そんなひどいことができるんですか……!」
身寄りのない子供達を守り、育てていた場所。
そんな場所を、龍眼財閥は謀略によって血の海に変えてしまった。
これ以上の暴虐を、天潤は知らない。
「同じ人間なのにどうして……!」
「人間だと思っていないからに決まっている」
言いながら、罪王が大きく身を翻した。
異形のものと化した左腕が振るわれ、背後から飛来した呪符を引き裂く。
「財閥は端から我々を人間だと思っていない。だから誰がどれだけ死のうと構わん」
「そんな……」
こんなことが、許されて良いのか。天潤はきつく唇を噛んだ。
「それよりも、だ」
罪王が急に動きを止めた。
彼は天潤をしっかりと抱えて、鬼怪猫を停止させたフランシスを睨んだ。
「おい、事故物件」
「私の名前はフランシス・パンタレイっていうんだけど」
低い声で呼ぶ罪王に、フランシスは呆れ顔で肩をすくめる。
「霊眼に何も映らない、挙句、建物の構造がまったく違う。さっきからどこにいっても、必ず同じ廊下に戻ってくる――貴様が何か細工したんだろう?」
「そうだね。だから、ここの出方は知ってるよ。でも、タダじゃ教えない」
「何……?」
「あらぬ疑いを掛けられて下宿を追い出されちゃってさ。ひどいよね」
「……それで?」
「パトロンが欲しい。相応の働きはする」
「…………チッ、やむを得ん」
「そうこなくちゃ」
フランシスはにっと笑うと、腰のベルトから絵筆を抜いた。
それをフランシスは口に咥え、さらに小さな画用紙を一枚取りだす。
「一体、何をするつもりなんですか?」
「私はただのしがない絵描きだ。やることはただ一つ――」
さながら弾薬のように括りつけた絵の具瓶の一つをフランシスは開けた。
そこに絵筆の穂先を浸すと、画用紙にさらさらと何かを描く。
「絵を描くこと」
そうして描き上げた絵を、フランシスは前方へと投げ打った。舞い散る薄片の中を画用紙は飛び、突如不自然な動きでふわりと舞い上がった。
天潤達の前に、画用紙の表が晒される。描かれていたのは、扉だった。
「――開け」
フランシスが囁いた瞬間、闇に閉ざされていた霊眼の視界が突如白く爆ぜる。
天潤は小さく悲鳴を上げ、とっさに霊眼を閉じた。
その間も光は爆発的に広がり、まさに画用紙へと迫っていた天潤達を一気に呑み込んだ。
やがて、光は消えた。
その場に残されていたのは、ちりちりと焼けていく画用紙だけだった。
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