2章13話 13:43 望未と一緒にレストランへ(4)



「新しくできた友達が教えてくれたんだ。心理学にはパーソナルスペースっていう概念がある、って。他人に近付かれると、その相手を不快に思ってしまう空間がある、って」

「あぁ、あれだ、あれ! 45cm以内に特に親しくもない相手がいたら、不快になって少し離れちゃう! っていう、高校生でも恋愛に興味がある女子とかなら知っているヤツだし!」


 カルボナーラを3割ぐらい食べたあと、フォークに突き刺して口に入れたサラダを、リスみたいにもしゃもしゃしている姉さん。

 姉さんも姉さんで、だいぶ知識に偏りがあるような……。

 いや、それはともかく!


「望未とだいぶ近付いたつもりだったけど、焦ったよな」

「焦った?」


「俺と望未はまだ出会って3日しか経っていないから、本当はその距離に立ったら不快に思われて当然だ。なのに、メチャクチャ近付いても離れようとしないし、もしかして心理学が適用されないのか!? って」

「当然です、私には心と呼ぶべきモノがありません。なら必然として、心の理についての学問も、適用されません」


「でも、自分らしさはあった。だから適用されないなんて、憶測で物事を確定するのは早計だ」

「――――」


 表情にも声音にも起伏がない。

 焦りとかもないだろうけど、同時に反論を勢いとか熱血で押し切ることもない。


 けれど、それでもすぐに自分の考えていることを的確に言い表してきた望未。

 そんな彼女が、珍しく5秒ぐらいは無言になってしまった。


「望未が長考に入ったし」


 言うと、姉さんはカフェラテを一口だけ楽しんで、ふぅ、と落ち着いていた。

 逆に、俺はどうも落ち着かず、手を動かすために食事を続ける。


「さっきは、時間無制限なら、望未が恋愛小説を率先して読みたがる。それしか望未のことがわからなかった。それは正直別に、自分が自分である証明とか、これこそが本当の自分だ、なんて、大それたモノじゃない。少なくとも俺はそう思う。でも――」


「――でも?」

「少しでもアイデンティティと似ている部分があるなら。1ミリでも心理学に繋がる部分があるなら。なら、望未に感情が芽生えても、不思議じゃないんじゃないか?」


「――――」

「そのことを俺の方で確認しておくのは、望未から見ても、そんなに間違いじゃないだろ?」


 今度こそ、俺は最後の一言を疑問文のようにして、結論を望未に預けた。

 そして、本当の本当に、頭脳明晰な望未が5秒以上、2回連続で長考すると――、


「私に感情が芽生えるのが不思議か否か。その大部分に含意がんい的な要素が散逸しており、説明はいささか不十分です。しかし――」


 なにを言われるんだろうか?

 しかし、って言っているから、今の発言と反対の意味合いのことを言われるんだろうとは思う。


 けど、それでも不安だ。

 結論を預けたのはいいが、否定されたらどうするか、って。


 俺は無意識的に生唾を呑む。それに気付いたのは、実際に喉を動かしたあとだった。

 姉さんも少し静かにせざるを得ないようで、ただ、そんな中で望未は――、


「――私のお兄ちゃんが、お兄ちゃんの考えで、お兄ちゃんが納得できるように、この実験が成功する可能性があるか否か。そのことについて確認しておくのは、私からしても間違いではありません。お兄ちゃんの積極的な実験への協力に繋がりますので」


 あ~、よかった! 安心した!

 これを否定されたら、流石に実験に非協力的になる、ってことはないけど、望未と違うやり方っていうか、違う流れで協力しなくちゃいけなかったし。


 安堵して深い息を吐く。

 が、視線を感じて隣を見ると、姉さんが微笑ましいモノを見るような目でニヤニヤしてやがった。


「よかったじゃん、悠真」

「本当によかったのは姉さんの方だろ。望未にそれは無意味だ! なんて言われたら、姉さんたち、例の22人は俺以上に焦るはずだし」


「ぐぬ……っ、減らず口を!」

「あっ、望未」


「はい、なんでしょうか?」

「ピザ、冷めているより、熱々のヤツの方が美味しいぞ?」


「それは、食べろという指示ですか?」

「食べた方がいいぞ、っていう、ただのお節介だよ」

「わかりました。お兄ちゃん、悠乃、いただきます」


 小さくお辞儀したあと、望未はピザを少しずつ食べ始めた。

 極力手を汚さないで、自分の小さな口でも見栄えが悪くならないように、少しずつ食べ進めていく綺麗な食べ方。頬をリスのようにしてがっつく、どこかの誰かも、ぜひとも真似てほしいものだ。


「で、悠真、食事終わったらどうする?」

「もう明かしてもいいと思うけど、今日は時間が許す限り、総当たりをしようと思っていた」


「総当たり?」

「さっき書店でやったようなことを何回か繰り返して、1つずつ、望未の個性を見付けていく。で、恋愛小説を好きな女性は多いと思う。でも、そこに数学が得意とか、美術が苦手とか、苦手でも創作物に興味があるとか、逆に勉強は退屈とか。そういうのを1つずつ追加していったら、俺の方も、望未のことがわかるじゃん」


「ほぅほぅ」

「さっきの本屋さんで、確かに望未の個性は1つ見付かった。もしかしたら1つ存在するだけで充分かもしれない。でも、今まで隠してきたけど、俺は今日をそのためだけに使うつもりだったから、このあともそうさせてほしい」


「りょ~かい! お姉ちゃんは異議なし。もともと、アタシたちに限界がきたから、悠真を頼ったわけだし」

「私も問題ありません」


「ただね、悠真」


 急に姉さんが真剣な声音で俺の名前を口にした。

 神妙そうな顔、真面目そうな雰囲気。


 俺はマジで急にどうした? と、内心ツッコミ、望未は、まぁ、マイペースにピザを食べ進める。


 そんな中――ッッ!

 姉さんは酷く深刻そうに――ッッ!


「お金のことはもういいけど! できればもう、荷物が増えないところに行ってくれるとありがたいです! お願いしゃす!」


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