2章5話 17:12 月島天音という文芸部部長は、からかい上手でもあったみたい(2)
「――人工知能に感情を学習させて、はい、終わり。それでは悠真くんが、いささか空虚すぎる」
この明らかにキスできそうな距離から、眠たそうな瞳で俺の目を見つめてくる。
勝ち負けの問題じゃないけど、俺の負けだ。恥ずかしくて即行で目を逸らした。
「空虚って……、そ、そこまで?」
「時間に対して与えられた恩恵の比率の話さ。そこで、これはボクの勝手なワガママではあるが、例え部活に出席しても、キミには明日からも、早々に帰っていただきたい」
「なにか理由は……普通にありそうだね」
「当然じゃないか」
再度、クスッ、と、淑やかに笑われた。
結果、天音の吐息が俺の頬を撫でる。
「スポーツだけではなく学問も、実践あるのみ、ということさ。ボクが帰宅後に使えそうな知識を、何個か部活中に教える。それを悠真くんは帰宅後、望未くんとのコミュニケーションに組み込む。アウトプットは復習に向いているからね」
「わ、わかりました……」
「よろしい。素直なのは、人としての美徳だと思うよ。隷属との境目を弁えていれば、ね」
ここでようやく、天音は俺のネクタイを放してくれた。
思わず3歩は後ずさる。
あ~っ、ビックリした!
まだ胸の高鳴りが収まらない!
望未は本当の意味で純真無垢だからまだよかった。
天音はもちろん性的な方面の知識もあるはずだから、それゆえにドキドキしてしまったようである。正直、生まれて初めて、誰かを
「すまないね。自分でやったこととはいえ、驚かせてしまっただろう。大切なことだから、ぜひとも記憶に残しておいてほしかったのさ。これでもう、まさか忘れることはないだろうが、どうだい?」
「だからって、胸を当てるのはやり過ぎだと思います!」
「裸を見せたり、直接触られたりするというわけでもないではないか。ボクの場合、相手次第では充分に許容できる。あぁ、安心していいよ。他意はない」
「こんなこと、他の人にしない方がいいからな?」
「まさか、するわけがないじゃないか。恋愛的な意味ではないが、単純に、キミがボクにとって好ましい性格をしている。だから、これぐらいなら許せると思ったのさ。確かに相手次第とは言ったが、生まれたからこの瞬間まで、その相手はキミだけだ」
天音はまるで肺がないように、乾いて枯れた微笑みを俺に向ける。
ある意味すごいよな……。なんであそこまで乾いた笑みを浮かべているのに、普通に綺麗で、普通に瑞々しい感じがするんだろう?
「それでは、改めて行こうか?」
「ああ……」
再度、俺と天音は駅に向かって歩き始めた。
が、ぶっちゃけすぐに着いた。
改札を通って、エスカレーターで下り、ホームにて電車を待つ。
「ところで、今さらではあるが、件のアンドロイドは望未――そういう名前なんだね」
「んっ? ああ、機械としての名前はシーカーっていうらしいけど、人としての名前の方が、これから必要だろ?」
「もちろんだとも。先ほど、第1回目の部活で教えただろう? 自己同一性、アイデンティティについては」
「自分が自分である実感、証明、確信ねぇ……。言葉ぐらいは聞いたことあるけど、俺は実際に、そんな確信を持って毎日生きているわけじゃないんだが……」
逆に毎朝、起きてすぐに、よし! 今日も俺は俺だ! なんて確認する人は想像できない。
もちろん、それが悪いと言う気はないし、だいぶ極端な例だと思うけど。
「その悠真くんにとっての当たり前は、本来、とても幸せなことだと、少なくともボクは思うね。少しだけ余談だが、『当たり前になってしまうということ』は、言うなれば麻薬なのさ。結果や方向の善し悪しに関わらず、幸福の限界値も、不幸の限界値も、とどまることはないだろう」
「んっ?」
裕福になればなるほど、求めるモノの量も質も上がっていく、ということだろう。
それなら俺にもわかる気がする。
「これは自己同一性の話から脱線した話題ではあるが、ボクたちには脳内報酬系と呼ばれる神経回路が存在するのさ。悠真くんは、部屋の中で、ボタンを押すとバナナが出てくると気付いたサルが、徐々になにも出てこなくっていき、最終的になにも出てこなくなってもボタンを押し続けるようになった。という結果に終わった実験のことを知っているかい?」
「名前は知らないけど、聞いたことなら」
「ん? 名前は普通に、サルを完全に破壊する実験、だったはずだよ」
「ウソぉ!?」
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