3章6話 15:41 俺と天音、2人きりの文芸部室にて読書タイム(4)
どうも、今朝のやり取りを反省しているらしく、深水もしばらくは誰かに女子を紹介してもらうのをやめるらしい。
が、あいつが今の天音を見たら、間違いなく、薄幸な美少女、キタ――――ッッ! と叫ぶことだろう。
いずれどこかで会う可能性もあるし、天音が深水を鬱陶しく思うことは火を見るよりも明らかだ。上手く緩衝材になれるように、今のうちから気を付けておこう。
「そういえばさ」
「なんだい?」
「俺が今読んでいるのって、確かに哲学について触れているけど、マンガだろ? 本当にこれでいいのか?」
「あぁ、かまわないよ」
不意に、天音は腕時計を一瞥した。
そろそろお開きなのだろうか?
「例えば、小学生の頃のキミに、1冊の高校生用の数学の問題集を渡して、終わらせるように命じたとする。実際に終わらせるかい?」
「絶対に終わらせない」
「なら、全問正解である必要はなく、途中式がきちんとしていれば、毎朝100万円支給されて、一生税金を無視できて、当時好きだった女の子と両想いになれる、なんて報酬が待っていたら?」
「死に物狂いで終わらせるな」
ページをめくる俺。
一方で、天音も俺とほぼ同時にページをめくった。
「人間は機械ではないからね。仮に、将来のために勉強しなさい! 必ず役に立つから! と、子どもを諭す親がいたとしても、必ず年末には払うと法律に則って契約します! だから1年間、給料の振り込みなしで働いてください! なんて言われたら怒るだろう?」
「た、確かに……、言われてみれば、あの言い方でやる気出るわけがないよな……」
「まぁ、物の例えとはいえ、1ヶ月に1回、定期的に給料を渡さない時点で違法だけれどもね」
「あ~、流石にそれは俺も聞いたことある」
「結局、人になにかをさせたい時には、報酬を用意するか、やるべきこと自体をイージーにするしかないわけさ。ここで報酬を与えることを躊躇ってしまうと、仮に会社なら作業効率が落ちるし、学校なら成績にも影響が出るかもしれない。悪循環の始まりだね」
しかもさっきの天音の話のとおりなら、知識が浸透するまでタイムラグがある。
俺が就職活動する頃になっても、ブラック企業は5割もなくなっていないんだろうなぁ……。
「だからまずはマンガ?」
「ステレオタイプの日本人は学校の勉強をとにかく嫌がる。楽しくないからさ。でも、アニメやゲームやマンガは好き。楽しいから。だから、勉強よりも遊びを優先するのは、あくまでも個人的な答えになるが、ボクに言わせれば人間として健全だ」
「そうだな、普通に俺でも読み進められるし」
「加えて、いきなりキミにより専門的な書籍を渡しても、恐らく、ほとんどの内容を理解できないだろう。だからまずは基礎からだ。先日のアイデンティティだって、基礎中の基礎だからこそ、一番にキミに教えた」
なんかもう……、小学生の頃の担任が、全学年天音ならよかったのに……。
まだ小学生の俺なら、絶対に天音の教育なら勉強に対する苦手意識も減ったと思うんだが……。
「さて、今日の部活はこのへんにしておこう」
言うと、天音はワイシャツのボタンをようやく留め直した。
「あれ? 今日のミッション的なヤツは?」
「流石に気付いていると思うが、ボクは部活中、ほとんどキミと同じタイミングで、ページをめくり、ポテチを食べ、水分を補給した」
「そういえばそうだな」
「心理学ではミラーリングと呼ばれているが……、要は好意的な相手の表情や動作などを無意識に真似てしまう現象のことだ」
「ほう」
「ただ、ボクは今回、意図的にミラーリングしてみせた。本来、このような種明かしがなければ、よほど不自然にならない限り、意図的なミラーリングには気付かない」
「俺も、天音が俺と同じタイミングでポテチ食べているなぁ、とは思ったけど、それが意図的なモノとは流石に……」
「これに気付かないままミラーリングされると、脳が錯覚、勘違いを起こして、自分は相手のことを好意的に見ていると思い込む。では、ここで問題だ」
「どうぞ」
「ボクは何回か意図的にミラーリングしたけれど、そもそも最初からキミのことを好意的に思っていることも事実。どれが意識的で、どれが無意識のミラーリングか、区別できるかい?」
無理だろ、常識的に考えて。
常識的な考えが通用しなかったとしても、原理的に考えて。
「わかるわけがない、人の心なんて」
「そう、逆を言えば、心がなければ相手だってミラーリングできないし、こちらがミラーリング効果を狙っても、相手には響かない。いや、どれだけ不自然にミラーリングしても、いくらでも誤魔化せるだろう」
「あっ」
「要は、こういう小手先技で望未くんを攻略するのはどうだろうか? ということさ」
回りくどいというか、地味にコミュ障というか。
「それでは、そろそろ下校するとしよう。キミさえよければ、途中まで一緒に帰りたいのだが、どうだろうか?」
「あぁ、大丈夫だ」
「あと、キミにこれを渡しておこう」
「ん? どれ?」
言うと、天音はワイシャツの胸ポケットから、なにかを取り出して俺に手渡す。
「合鍵だよ、ここにある鍵付きの本棚の。まだ出会って数日ではあるが、ボクはこれでもキミのことを信用しているのさ。これもキミさえよければ、合鍵を持っていてほしい。ボクだけが毎日戸締まりをするのも不公平だからね」
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