3章4話 15:41 俺と天音、2人きりの文芸部室にて読書タイム(2)
「そりゃ、天音の行動にドキッとしたのは事実だ。けど自分で、ボクの身体が性的に思えたからかい? なんて訊かないでくれ……」
「失礼したね、言い方が悪かったようだ。そこまで難しく考える必要はなく、ボクが女の子として魅力的に見えたかどうか。その程度のことを考えてくれればそれでいい」
「それは、まぁ、ノーコメント」
俺が例えバレバレであっても言及しないでおくと、天音は割とかなり楽しそうにクスクスと笑顔を見せた。
「つまりこういうことなのだが――今のようなことをクラスメイトに語ると、私の恋を性欲と一緒にしないで! と、そのように怒られる可能性が高いだろう」
「そりゃそうだろ」
「とはいえ、そこに根拠はない。あるとしたら、それは本人の気持ちだ」
「それでいいじゃん。むしろ、俺はそれが正しいと思うけど」
ポテチを食べる俺。
するとすぐに、天音もポテチを食べてみせた。
「無論、ボクもそれが正しいと思う。社会的にも、精神の衛生的にも。並びに、現時点では論理的にも、科学的にも」
「論理的にも?」
「端的に言えば、気持ちというのは思い込みさ。それ以上でも、それ以下でもない。しかしだからといって、それが悪いというわけでもない。そもそも、善悪という概念さえ、科学的に最初からあったわけではなく、社会的に発明された主観的な物差しだからね」
「自分の恋愛がただの思い込み、なんて言われるとしても?」
「思い込みという単語を聞いて、それに不快感を示してしまう。その気持ちは充分に理解できる。けれどもしもそうなら、一時的にでもかまわない。不快感を覚えてしまうことを常識ではない、と、再定義するべきだ」
「つまり、どういうこと?」
「実際に自分の感情が思い込みの産物であっても、それが自分にとって善か悪か、得か損かは、あとで判断すればいい、ということさ。思い込みと理解した上で、それを許容する、楽しむというやり方もある」
「思い込みねぇ……」
「極端な話、たとえばドーパミンがx~yマイクログラム、アドレナリンがn~mマイクログラム脳内から出たらαという感情だ! なんて、誰もそんなこと、考えないだろう?」
「そもそも、それこそリアルタイムじゃわからないだろ……」
「それと、さらにわかりやすいのは虹だ。日本では7色と言われているが、別の国では6色や5色なんて言われることもある。可視光線のスペクトルを人間の気持ちで区切っているからね。言葉遊びのようではあるが、気持ちなんて本人の気持ち次第なのさ」
「なんだっけ? 土日に調べたけど……脳の条件付け、だっけ? 雛鳥の刷り込みは人間でも普通にありえて、その幼少期からの刷り込みの内容が、常識とか価値観になる、っていう――んっ?」
不意に、天音が本から顔を上げて俺の顔をまじまじと見た。
そして次の瞬間のことだった。
天音はゆっくり座卓に身を乗り出して、この前のように、俺とキスできる距離まで自分の顔を近付ける。
ちっ、近い! 唇は艶やかな桜色で、肌は白くて綺麗だし、メチャクチャ胸が切なくなるようなシトラスの匂いがしてきて、普通に緊張するって!
しかも第2ボタンを外したワイシャツの隙間から天音の胸の谷間が見えるし! さっきよりも確実に! 水色のブラジャーまで!
「もうこういうことは控えるんじゃ……っ」
「あぁ、すまないね。2人きりだったから、つい近付いてしまったよ」
今日は早々に離れてくれる天音。
「驚いたよ、悠真くんの口からその言葉が出てきて」
「そんなに専門的な言葉だったのか?」
「いや、そんなことはない。普通に高校生活を過ごす分には滅多に聞かない言葉だろうが、脳神経科学の分野では基礎中の基礎とも呼べる概念だ」
「ですよねー」
ぬか喜びだったか……。
勝手に勘違いしたのはこっちだけど、一瞬、褒められるのかと思ってしまった。
「ボクが驚いたのは、ウソ偽りなく、キミがボクの予想以上に真剣に学ぶ気があった、という点についてさ」
「それはどうも」
「大切なことだから明言しておこう。つい先日出会ったばかりではあるが、ボクはキミのそういうところが好きだよ」
「ハァ!? す、好き……って!」
告白……なわけがないよな、流石に!
それでもありえないぐらい動揺している自分を否定できないけど!
「? なにを驚いているんだい? 教師に家で予習復習を命じられても、大半の生徒がそれに従わないだろう? 外発的動機づけより内発的動機づけの方が強固なのは理解している。しかしそれでも、自分からこの部室の戸を叩いたとはいえ、キミのその姿勢はとても立派なモノだ。ボクは普通に好――」
「? 天音?」
マンガから顔を上げて、俺は天音の様子を確認してみる。
心配というほどではないが、妙に気になってしまったから。
が、そこには珍しく赤面していた天音がいた。
っていうか、出会ってから初めてだった。天音が照れて、恥ずかしがっているのは。病的なまでに白い肌のせいで、くっきりわかりやすく頬が赤らんでいるのが見て取れる。
「か、勘違いしないでくれたまえ……」
「は、はぁ……」
「~~~~っ、言葉の選択を誤っただけだとも。いささか、愛の告白のように解釈してしまう発言だったことは反省している。今後は注意することを約束しよう」
「いや、なにもそこまで……」
「今の好きは、それこそ恋愛感情を伝えるための表現ではない。人間として、同じ部員同士として、もしかしたら10年後や20年後まで大切にすべき友人かもしれない、。そういうことを伝えるための表現だ」
まるで拗ねているように天音は俺から視線を逸らした。
「それもそれで、人によっては……」
「女性が男性に今のような発言をしたら恋愛感情を意味する。その気持ち、思い込みは充分理解できるが、ボクは異性間でも友情は成立すると考えている」
「わ、わかった……、もう追及しないから……」
「――ありがと」
再度、天音は本に視線を落とした。
俺もマンガの続きを読む。
「ところで、キミはなにかSNSをやっているかい?」
「何個か」
ポテチを食べすぎた。喉が渇いたのでスポドリを飲む。
どうやら天音も喉が渇いていたようで、同じようにスポドリを。
「そのタイムラインで、嫌な仕事でも最初の数秒だけ働いてしまえば、脳が騙されて数分のつもりが1時間以上働ける、というライフハックを見たことはあるかい?」
「あぁ~、あれが脳を騙す、自分を思いこませる、ってヤツか」
「こちらは仕事や勉強の役に立つから積極的に認めたい。翻り、恋愛感情がもしかしたら性欲かもしれない。その可能性は感情的に受け付けられないから、実際に違っていても、それを確認する前に否定したい。本質は同じはずなんだけどね」
全ては本人の解釈次第、ってことか。
「ボクの従妹が面白いことを言っていた」
「天音の従妹って、なんとなく途轍もない天才なイメージがあるんだけど……」
「彼女曰く――オタクはみんなシュレディンガーの猫が大好きなんだニャン! とのことだ」
「は? ニャン?」
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