2章16話 17:52 たまたま天音と出会って、彼女の私服を見てしまう(3)
「気を付けた方がいいよ? ある程度親しくても、髪を許可なく触ったらセクハラになることもあるんだし」
「あっ、すまない。なんていうか、望未が女子高校生よりも、小学校低学年の子みたいに思えて……」
「それもセクハラになるかもね」
「質問があります」
「急だな……。特に問題はないけど」
「私はお兄ちゃんにセクハラされたとは認識していません。なのに、なぜ悠乃、つまり第三者がそれを決め付けたり、あるいは予想したりできるのでしょうか?」
「ふぇ!?」
「そもそも、私がお兄ちゃんにセクハラされて不快感を覚えたら、それはそれで実験の成功を意味します。実験成功という最大の利益から、不快感という多少の損を引いても、答えはプラスです。それに、同じことをしてもセクハラになるか否かは相手によって異なります。私には不快感というクオリアがありませんので、それを引き合いに出すことはできませんが、お兄ちゃんは実験の協力者です。回数を問わず、私に触れることを悠乃も理解していたはずですが?」
気まずそうな顔をして望未から目を逸らす姉さん。
しかし、言うなれば教え子の質問から逃げちゃダメだと思ったのか、意を固めて望未と向き合うと――、
「悠乃? どうかしましたか?」
「すみましぇん……、印象論で語ってしまいました……」
20歳超えた大人が、すみましぇん……、って言うのは、正直、痛々しいと思うぞ、姉さん。
「推測ですが、自分1人の意見を、なにかしらのカテゴリーに所属している全員の総意、そのように言葉にしてしまう人もいる。究極的にはそういうことでしょうか?」
「あっ、はい……、そのとおりです……」
「今の悠乃もですが、本人たちは非論理的と気付かないのでしょうか?」
「あっ、はい……、すみません……。恐らく、これは推測なのですが、自分は自分にとって正しいことを言っている、という思い込みがですね? 自分以外の存在について、やたら盲目的にしていると言いますか……」
「自分、あるいは自分が属しているカテゴリーの主義、主張が、社会全体の主義、主張の主流である。仮に根拠がなくても、そのように思えてしまうモノなのでしょうか?」
「あっ、それはですね? 恐らく、根拠の有無や真偽ではなく、本人たちにとって、正しいか正しくないかが重要でして……」
「つまり結局のところ、それは感情論の押し付けではないのでしょうか?」
シュールだな……。
ゲーセンの格ゲーの筐体の前で、白いワンピースを着ている少女に、パンクファッションの女性がろくろを回すような手付きで、時折頭を下げながら弁明のようなモノをする。
「パスカルの賭けみたいなことを言うじゃないか、キミは」
「は? うわっ!?」
「クスッ、流石に驚きすぎだろう? いくらボクでも、少々傷付かざるを得ないじゃないか。友達に対してその反応は、少しばかり寂しいよ」
「天音……、いつから? っていうか、なんで?」
「ウソ偽りなく、つい先ほどキミたちを見付けたばかりさ。貴重な休日だ。キミなら望未くんを連れて仙台駅前を徘徊しているだろう。そう思い――、まぁ、ボクの住むマンションは、仙台駅東口から徒歩10分圏内にあるからね。特に金銭的な負担もないし、ウィンドウショッピングがてら、1時間程度なら、勝手に捜索してもいいだろうと考えた次第さ」
「――――」
「そうだとしても、ボクは相当、巡り合わせに恵まれていたようではあるがね」
言うと、並ぶように俺の横に立つ天音。
次いで「――――ふぅ」と息を漏らすと、退廃的な流し目で、俺の顔を斜め下から見上げてきた。それはもう、歩き回ってひどく疲れているように見えるのに、それが一番美しく思えるような微笑みを浮かべて。
ブラウスの上からベージュのカーディガン。
そして七分丈でタイトなジーパンと、シンプルなグレーのパンプス。
意外とシンプルな私服だな。
しかもそれなのにオシャレだし。
いや、最小限のファッションで最大限のオシャレをする。そんな風に言い換えれば、すごく天音らしいけど。とはいえ、天音とは昨日、出会ったばかりだから、彼女のことを全然知らないんだが……。
「それで、ラスカルの賭けってなに?」
「パスカルの賭けっていうのは、17世紀にいたブレーズ・パスカルが発表した確率論のことさ。具体的には理性――要は科学によって神様の実在が証明できないとする。それを踏まえて、自分の人生の幸福をチップ扱いして、神様の存在の有無でギャンブルをした時、どちらの期待値が上なのだろうか、という理論のことだよ」
別にわざと間違えたわけじゃないけど、スルーされるのも、それはそれで恥ずかしい。
っていうか、神様なんて概念と、確率とか期待値なんて数学的な単語が、一緒の発言に混じっていてその説明を受けるとか……。一昨日の俺はもちろん、天音と知り合っている昨日の俺に言っても信じないだろう……。
「完璧に想像だけど――、特に致命的なデメリットやリスクがなければ、証明できない存在でも信じたり、今の望未に当てはめるなら、感情がなくても謝罪を口にしたりしてもいいはず、ってこと?」
「あぁ、信じる者は救われる、とは、よく言ったものだろう? 信じることの期待値はプラス無限ゆえに、信じないことの期待値を常に上回る」
「は?」
「今さらだけど、ブレーズ・パスカルはキリスト教の信者なのさ。パスカルの賭けを理解するには、神様の他に、天国や地獄の存在も頭に入れておかないといけない」
「あぁ、それで?」
「神様が実在して、その存在を信じた場合、天国に逝けるから利益は最大で、よって確率変数は+∞。
神様が実在しているのに、その存在を信じなかった場合、地獄に堕ちるから利益は最小で、よって確率変数は-∞。
神様がいないのに、その存在を信じた場合、真面目に生きたのに天国に逝けないので、有限のマイナスの値。
神様がいないくて、その存在を信じなかった場合、仮に教義に反することをしても地獄が存在しないので、有限のプラスの値」
……っ、なんだ?
天音の解説を理解できなかったわけじゃないし、それが間違っている、なんてこともないだろう。無限とか神様なんて概念が出てきても、初歩的な確率の計算なんだし……。
なのに、なんだ?
このもどかしい感じは?
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