第3話 知り合いに秘密がばれてしまった事に対して
加筆しました。
船着き場までの道のりは長い。とりあえず朝から始まった市場を通り過ぎてそれから、屋台や出店が朝ごはんの売り文句を大声で広げている。
市場はたいてい朝ごはんを売っていて、鶴も日常的に利用していた。
だが今日は朝から食べているので、その界隈を足早に通り抜けるだけだ。
だがあちこちから漂う、スープの香りや焼き立てのパンの匂い、それからご飯の炊ける匂いなどは、十分魅力的なものだった。
「食べてなかったら買い食いして遅刻してた……」
鶴はそんな事に気付き、朝から用意してくれていたブンブクに感謝する事にした。なにせあのボロっちい家から何分で船着き場までかかるかわからなかったからだ。そういう時に寄り道をすると、人間だいたい遅刻するものである。
大通りをそのまままっすぐ進んでいけば、船着き場はもう目の前だ。
そこでは幾つもの定期船が停まっており、出発時間になった船から順番に、城島のほうに走っていく。
どの船だったら間に合うか、なんてこともちらっと考えた彼女は、一番目の前にあった船に乗り込んだ。
彼女が乗ってそれから数人が乗り込み、時間になったのだろう。船はなめらかな動きで出発した。
城島、それは人工島であり、この周辺一帯に結界を張る城が威容を放つ島でもある。
船から外を見れば、誰かの飛行獣が城島に向かって飛んでいる。飛行獣を持っているのは基本的にお金持ちか実力者なので、鶴は残念な事に縁がない獣である。
ちりちりりん、と飛行獣が装着を義務付けられている鈴があちらこちらでよく響く。
昨日は真夜中の、最後の船で城島からでたため、この光景は見なかった。
「毎日これを見るのはいいけど、今まで城島の中で暮らしてたから色々心配だわ」
数多の飛行獣はいいし、船の眺めもいい、だが時間配分に気を付けなければ、きっとこれから痛い目を見るだろう。
これまで城島の中の貸家に暮らしていた彼女は、現実的にそう思った。
定期船の時間をきっちり調べなければ、きっと大変だ。
ちょっと溜息を吐きたくなるものがあったし、彼女はあの野郎、と彼女を貸家から追い出した大家を恨む。
「なんで二重で貸して元居た住人追い出すかな」
きっとあの貸家が、割と新しくそして綺麗で、城への通勤に楽だったからに違いない。勝ち誇った顔のお金持ちっぽい女性の顔が頭をよぎった。
後から来たその女性が、鶴を家から追い出したのである。
本当に腹が立つが、あばら家でもすぐに家が見つかったのが幸いか。
考え事をしている間に船は城島に到着し、ぞろぞろと人が動き出す。
それに合わせて、船内で購入した切符を出口でわたし、鶴は船着き場からでもよく見える、城までの大通りを歩きだした。
そんな彼女を追いこすように、騎獣が乗り合い車を引っ張っていく。実際に追い越されたものの、鶴はめげたりなどしなかった。
彼女は徒歩での時間を測っていたからだ。
乗り合い車だってもしもの時は、使えないのだから。
いざという時の交通手段の時間を、覚えておいて損はない。
やや急な坂を延々登る形になって、若干息が切れたものの、彼女は勤務時間前にきっちりと城についた。
城の出入り口では入場手形を当てる形になっていて、彼女も鞄の中の一等席に入れている入場手形を丸い機械に押し当てる。
これで彼女が城に入った事が確認されたわけだ。
城の入り口のホールでは、様々な人間が行きかいしている。荷物を運ぶ運搬業の誰かが、それらの事で何か相談もしていたし、受付嬢の朗らかな笑顔も変わらない。
全く持っていつも通りの光景だった。
そんな中鶴は、ぽんと肩を叩かれた。
「今日はぎりぎりなんじゃないか、お前」
「家が変わったのよ、ちょっとした事情ってやつでね」
「へえ、そう簡単に家が変わるものか? お前も運の悪い女だよな」
肩を叩いた相手が、そう言って朗らかに笑う。まさにイケメンと言った顔立ちのこの男は、首からぶら下げている名札に矢田部と書かれていた。
「あなたの方はまたどこかの女性の所で夜でも明かしたの? 香水の匂いがするけれど」
「今日は離さないでっていった女の子がいたんだよ」
「痴情のもつれのたびに、私に入院のための荷物を運ばせなくなったら、もう少しまともに対応してあげる」
「つれない恋人だぜ、鶴は」
やや大げさに肩をすくめたこの男、三股四股が当たり前のような、倫理観が欠如しているような男である。
そして驚くなかれ、鶴の彼氏でもあった。
あけっぴろ過ぎて怒る気をなくすこの男に、鶴はいつも通りの事を言う。
「余所でもいっぱい言ってるんでしょ」
このやりとりもまた、日常的なものだった。矢田部はそのまま、飛行獣が数多いる方へ向かいだす。
そこで鶴は、矢田部の課のスケジュールを思い出した。
矢田部の課……偵察課は今日、結界がほころんだ場所の確認及び修正に行くのだ。
それは正気をなくすかもしれない、命がけの仕事でもある。
「じゃあ、気を付けて行ってらっしゃい、今日は境界線の付近の確認だったでしょう」
彼女の言葉に、矢田部がにやっと笑う。獣気対策でかけている保護メガネやガスマスクは、矢田部のいつもの装備品だ。
「毎年の事だし、分かってるっての。ほかの街に比べれば、この街は侵食されない街だけど」
「でも警戒を怠ってはいけないと、上司はいつも言うわよ」
「ちがいない」
大げさに頷いた矢田部が、そのまま仲間の声をかけられて、そちらに走って行った。
それを少しだけ見送って、鶴は自分の職場である事務課の通路へ進んでいく。いくつかの確認の後、仕事場である城の一角を目指す。
その壁の向こうからも聞こえてくる慌ただしい声たちに、今日も忙しい一日になるんだろうな、などと辺りをつけ、気合いを入れ直した彼女だった。
まず扉を開ければ、目の前を何かが飛んで行った。横切って行ったといっても言いだろう。
とにかく何か四角い物が通り過ぎて行ったのだ。
多分誰かが面倒くさがって、相手に投げつけた書類のファイルだ。しっかりゴムで閉じられていたのまで見えたので、あれは上官がやったに違いない。
続いて投げられていったのは何かの資料だ。おそらく緊急のものではない。これもクリップでまとめられていたが、クリップが頭に当たってもあまりいたくない物という気遣いがされている。
これは副官の配慮に違いない。
物が飛び交う仕事場っていったい何なんだろう、そんな事をちらっと考えても、この仕事場で気にしていたら負けのものでもある。
本当に投げちゃいけない資料は、きちんと本人が手渡しに来るのだから。
そんな事を考えながら、投げ合いが続く箇所を避けて自分の机に入り、さっそく積みあがった請求書などの確認に入る。だからこれは経理では落ちない。
何度言ったら分かるんだろう、と請求書を睨み、しっかり突き返すため、その相手を呼び出す城内連絡を回す。
数分後に来た相手に、鶴は本日最初の文句を言った。
「これは経理じゃ落ちません」
「これ仕事に必要だったんだけど」
「どこがですか! お土産代って! あなたのお土産は、経理じゃ落ちないでしょう!」
そんなやり取りを数度続け、頑として受け付けない態度を示せば、相手もしぶしぶいくつかの請求書を持ち帰って行った。
「今日も彼に対して、鶴さん強気ね」
彼女のきっぱりした言い方に、脇から感心した声がかけられる。
鶴は肩をすくめて事実を指摘する。
「皆してあの男に遠慮しがちすぎますよ」
確かにさっきの男は、有能な結界張師だ。あちこちに出張していて、出費はどうしても大きい。
だがあのお土産代は見逃せない、これも事実だった。
言い切った鶴は、また伝票などを確認し始める。雷算機なんてものは高級品で、一般事務には支給されていない。
本当に手書きのそろばんの、根性仕事なのだ。
「確かにあの男は、国一番の腕前で、あちこちに出張してます。でもだからって、数多いる彼女への贈り物を経理で落とすなんてできません」
「その彼女たちが色んな人脈もってるんだけど」
「それとこれとは話が違う物でしょう! 舞さん。それ貸してください。こっち代わりにお願いします」
真面目だのなんだのと言われても譲らない。鶴は隣の彼女に声をかけ、彼女の仕事の一部を求めた。
隣の彼女も知れたもの、鶴が何を欲しがって何をやってほしいのかすぐわかり、にっこりと笑って書面を渡す。
「わかったわ、この作業はまとめてやった方が早いものね、どっちも」
そんなやり取りが続き、いつの間にか時刻は昼時になっている。
ぼんぼんと古めかしい音を立てて、昼の時間を告げるからくり時計を見て、上官が周囲を見回して大声で言う。
「全員いったん中止! 昼飯だ!」
この言葉を無視すると、後からえんえんねちねち言われるので、その言葉には素早く従う部下たちである。
上官は昼ご飯を重視しており、それを食べないで仕事をする部下に説教をするのが大好きなのだ。
迷惑な人だが、おかげで食べられなくてつらい、という事にならないため、部下も表面ではぶうぶう文句を言いつつ従うのである。
半分近い人数がそのまま、城の食堂の方に流れていく。鶴もそれの後に続いたが、食堂は今日も人であふれかえっていて、昼の時間のうちに食べ物にありつけるかわからない。
これを見越して、城外にでて食事をする人も多い。
鶴は会計前に置かれているお結びを二つほど買い求める。城外から事務課までの距離が遠いので、このまま事務課に戻って食事をしようと思ったのだ。
そこであの筒のことを思い出した。なんだか液体が入っていそうな、ちゃぽんちゃぽんという音がしたあれをだ。
仕事上がりと言われたが……開けたっていいんじゃないだろうか。
怒られる物は入っていないだろう。
仕事机に戻って、あの筒を開ける。ネジ式のしっかりと密封されている筒は、かぽんといい音を立てて開いた。
ふわりと鼻に入ってきたのは、出汁の匂いだった。
「あー、鶴さんお味噌汁持ってきたんだ、よく持って来たね」
城の別棟からサンドイッチを買って来た舞が言う。言われた方は、中身が予想外だったため黙っている。
一口すすれば、確かに味噌の味がする。
だが、あの台所に味噌はなかったはずだ、鍋狸、お前はどこから味噌を調達してきた。
味噌の出所が気になってしょうがなくなった彼女だが、その、お麩のはいった味噌汁は十分温かく、柔らかな出汁の味、かすかなネギの香りと……乾燥若芽の歯ごたえで、十分心が落ち着くものだった。
わずかにぴりりとした刺激を感じて、少しさっぱりとした熱が胃の中から湧いてくる。
これは市販のものじゃない。それ位は伝わってくる。
「私もどこかでスープ買ってくればよかったな」
それだけでも十分においしそうな、みずみずしい野菜がぎゅっとつまったサンドイッチを食べながら、舞が言う。
「……」
あの鍋狸、何が狙いだろう。きっと、ほこりを被るのがいやという理由で調理道具を使いたかったんだろうが……と思いながらも、彼女はとりあえずそれとお結びを食べ終えた。
ふっと体の芯まで温まる気がしたのは、どうしてか。
鶴はまた、仕事に戻るべく肩を回し、残りの休憩時間を過ごす事にした。
そんな風に仕事が終わった後の事である。鶴はそのまま帰ろうとし、ふと自分の鞄の中に入っていたメモ書きらしきものに気が付いた。
一体なんだと思うほど、ぼろっちいメモ書きだ。
お使いのメモじゃあるまいし……何て思った後に気付く。
これ本当に、お使いのメモなんじゃないか? と。
ない話ではなさそうで、鶴はメモ書きに書かれている文字を読む。
「キャベツ玉ねぎもやし……え、自炊するような食材じゃん」
全部見ていくと、何がしたいのと言いたくなる品目だ。本当に何がしたいのだ、あの鍋。
考えていてもよく分からず、買えばいいのか、と思う事にした。
それはいいのだが、鶴はこれらの分量がよく分からなかった。一人ぶんってどれくらい?
キャベツまるまる一玉とか書いてあるけれど、これって普通一人暮らしじゃ持て余すんじゃないの?
もやし一袋ってあんまり一気に使わないんじゃないの?
うんうんうなっていた彼女だったが、片手にもってにらんでいたそのメモ書きを、脇からすいっと取られてしまった。
「あ、返して!」
「なんだよ鶴、お前自炊すんの? こんなにたくさん買い込もうとしてるなんて」
「返してよ! ちょっと!」
鶴はメモ書きを奪って頭上でまじまじと見ている男から、躍起になってそのメモを取り返そうとする。
だが男も面白がっていて、なかな返してくれないのだ。仕事から戻ってきたんだろう。飛行獣に乗った後の匂いに、結界を張る際に使用される薬草の匂いがついている矢田部だ。
最終的に鶴は、その男の向こう脛を蹴り、痛みで背中が丸まったのを狙って、メモ書きを取り返した。
「放っておいてよ」
「ん、だって今日の宿を鶴の家にしようと思ってたんだぜ」
「残念でした、朝に教えたでしょ。前の家は勝手にほかの人に使われる事になって、今は島の外で暮らしてるんですよーだ」
「え、いいじゃねえか、島の外。なあ鶴、俺の竜に乗って行こうぜ、それなら船の時間気にしないで買い物できるだろ」
「何が目的です?」
「飯の分け前と一晩の宿」
鶴はじろっと男をにらんだ。にこやかに笑うこの男は、本気でそう言っているのだから始末が悪いのだ。
いいだろ、と笑う男を見た後、彼女は念を押した。
「ぼろいからね」
「今までの家がぼろかったためしがないけど。つうか割と新築でいいとこだったじゃないか」
「歴代の借家を超える勢いで見た目ぼろいですからね」
「おいおいそれでセキュリティは大丈夫なのかよ」
「中はしっかりした作りなんだけど、見た目がすごいだけで」
そんな事を言いながら、城内を出た彼女たちは、夜市に足を運んだ。
そして、双方自炊の買い物に慣れていないため、うんうん頭を悩ませ、竜を止めておく駐竜場に向かった。
「キャベツは重い方がおいしいって言われたね」
「身が詰まってるからじゃないか。あともやしは足が速いって真面目に忠告されるとは思わなかった」
「意外と油揚げって安いね」
「普段食べている肉は原価が高めだってのはわかった」
そんなやり取りの間に、もう矢田部の竜の前だ。見事な体躯の竜は、面白そうに主とその彼女を観察している。
「矢田部の竜はいつ見て綺麗よね。鱗もつやつやだし」
心底思った事を言えば、心外だと言わんばかりに矢田部が言い出す。
「こいつを粗末にするかよ。当たり前だろ、大事に乗ってんだから。竜と乗り手の絆はそうやって培われてくんだぜ?」
「はいはい、聞いた私がばかでした! ご馳走様!」
言いつつ二人は大型の竜に乗る。翼をもたない南国の竜である。北方種は翼が大きく、その翼で空を飛ぶ。
南方種と言われている矢田部の竜は、竜力と言われている独自の力で空を泳ぐのだ。
滑らかな動きのため、酔いにくいと言われているのが南方種の特徴である。その分飼いならすことが難しく、気難しいのも玉に瑕と言われているが、矢田部が誰かを振り落とした事は一度もないので、それだけ矢田部の操縦がうまいのだろう。
空を行き、あっという間に家の前に到着した二人だが、矢田部がやはり顔をひきつらせた。
「おいおい、軍の宿でももっと頑丈そうだぜ」
「だから言ったんじゃない、ぼろいって」
「これちょっとなくね? なんでこんなのに住んでんだよ」
言いながら、矢田部ががらりと引き戸を開け、鶴より先に中に入ったその時だ。
「誰だ侵入者! 家主の留守だからって好きにはさせないぜ!」
そんな風な勢いのある声が響き、続いて矢田部の悲鳴が聞こえ、転がるように彼が家から飛び出した。
「おい、毛の生えた鍋が喋って、刃物幾つも浮かべて脅してくんだけど! 何だよあれ最強護身道具かよ」
「あー……」
ブンブクお前やっちゃったわね、と鶴は息を一つ吐き出した後、中に入ってその現場を見ることになった。
「おう、つる、お帰り。いましがた変な男が入ってきたんだけど」
台所では、事実ブンブクが包丁を三つほど宙に浮かべて、臨戦態勢に移っていた。
移るものなのか普通は……と言いたくなる位に物々しい。
さらに言えばいくつかの鍋も浮いている気がするのだが……どれも矢田部に当たらなかった事にほっとする。
仕事上日常的に怪我をする男だが、あえてしてほしくない相手でもあるのだ。
何故なら。
「……ごめんブンブク、あれ私の彼氏なんだ……」
「彼氏? 恋人か?」
「ううん……ちょっと変な関係だけど」
「そりゃわるかったな。で、お使いできたか?」
「これでいい?」
「おう、物がなんだかわかってるだけ上等だ。いい物を選ぶってのはおいおい教えてやるから、手を洗ってうがいして、座って待ってな。手伝ってほしい所が来たら呼ぶ」
ついでに、そこの彼氏も入れてやるよ、とあっけらかんと鍋狸がいい、鶴は玄関に戻り、片手に護身用の小刀を持っていた矢田部に声をかけた。
「矢田部、矢田部も入っていい」
「……警邏呼ぶ案件じゃないんだな?」
刃物を振り回す毛の生えた鍋、は矢田部の中で確実に警邏を呼ぶ案件だったようだ。
だが怪我人は幸い出ていないし、今ここに警邏を呼びたくない。鶴は頷いた。
「そんな大掛かりな事にしなくていいって。爺さんの形見の、ちょっと変な生き物らしいから」
「お前の爺さん変わり者だったんだな。とにかく、危なくなったら俺の背中に隠れるんだぞ」
「ブンブクそう言う事はしないと思うわ」
言いながらも矢田部が中に入り、周りを見回してこう言った。
「何だこの台所しかない家……」
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