第40話 子分はアルバイトをするらしい
その後はちょっとしたおやつを買う程度の買い物しかせず、鶴は靴と味噌を袋に下げて帰宅した。
もう何が出て来ても驚かないぞ、と決めていたのに、鶴は目の前の保冷箱の山に目を見張った。
「なにこれ……」
まさにナニコレ、としか言いようがないほどの大型の保冷箱が、一つ二つ……全部で七つも置かれている。
せまい台所の中でもかなりの面積を占めるダイニングテーブルの上に、詰まれているそれはかなり迫力があった。
「これは何……誰が持ってきたの……」
他に言葉が見つからない。
そしてブンブクは、まだ銭湯から戻ってきていないのだ。
鶴は意を決して、その何が出るかわからない、まるでお伽噺のつづらのような保冷箱の一つを開けた。
現れたのは、色とりどりの緑である。
簡単に言うと野菜である。
何故野菜がこんなにたくさん、と思うほど、野菜が保冷箱の中に入っていたのだ。
保冷箱だと思っていたが、触れるとそこまで冷たくない。常温よりやや冷たい程度の温度だ。
これはなんなのだろう。
鶴が大真面目に考えた時、軽く木製の靴を蹴るような音とともに、ブンブクが勝手口から現れた。
「おう、早いな、お帰り、つる。すごい顔だな、いろんなものが理解できねえって顔だぜ」
「この箱の山は何なの? 怪しいものじゃないでしょうね」
「これはさっき子分たちが持って来た野菜とかだ」
「狸って農業するの……?」
悪獣が農業をする、なんて一度も聞いた事がなかったのに、ブンブクはそうだな、と腕を組んだ。
「収穫の時とか、人手が欲しいだろ」
「まあ短期のあるバイトが出るくらいだから……」
「その時に現物支給でアルバイトすると、店に出せない形の悪いのだ、むしくいだ、を棄てちまうわけだが……それをもらってくるんだよ。味はうまいぞ、うまい所のしか子分たちは手伝いに行かねえんだからな」
どうやら狸たちは、短期アルバイトをこなしているらしい。それはそれでよくまあ、誰も正体に気付かないものだ。
だが……鶴は改めてブンブクを見つめた。
このブンブクを見ていると、確かに、これが狸の化けた姿なんて信じられない。
という事は、他の狸たちが変化しても、やっぱりなかなか正体なんて見破れないのだろう。
鶴はそう納得した。
「さて、青菜の美味しいのが入ってるな、これをじっくり焼くとうまいんだ」
ブンブクは、根本の太い青菜を取り出して、嬉しそうである。
「鶴、せっかくだから手伝ってくれるか」
「何を?」
「簡単だ」
ブンブクはにやりと笑ってこう告げた。
「青菜を焼くための下ごしらえだ!」
実際に手伝ってみても、そんなに大変な作業ではなかった。
根元の太った青菜を、葉の部分と茎の部分で切り分け、茎は半分に切る。
そしてそれを、油をひいて熱したフライパンに、いれて、蓋をして待つだけなのだ。
「こんな簡単なのに美味しいの?」
なにかあるんじゃないか、秘密の塩とか、と疑った鶴であるが、ブンブクは自信たっぷりである。
「ただ焼いただけってのは、馬鹿にできねえんだぞ。あ、色が鮮やかな緑になったら取り出してくれよ」
「そんな鮮やかな緑なんて抽象的な……」
鮮やかな緑って何色? と心底思った鶴だが、じっと調理竈の前に立って、ぼーっと待っていると、鍋の中身が、だんだん色が変わってきた事に気付いた。
「え、色が違う!?」
「だから言ってんだろうが、色変わるって」
「え、え、どこで火を止めたらいいの!?」
色が変わったなら取り出すべきなのか、それとも。
やった事のない鶴は大混乱である。自炊に縁がない生活の結果だ。
そして大体、ブンブクはおいしい物を作ってくれるわけで、彼女自身は料理をしなかったため、かなり慌てる事だった。
「勘だ、これでいいって思ったら後は大体余熱で通る」
「そんな勘の持ち合わせなんてないってば!」
鶴は文句を言いながら、さらにその青菜を取り出した。
目の覚めるような緑色に変わった青菜は、焦げた部分すら美味しそうに見える。
「これは出来立てがうまいんだ。だからおいらたちが食べる分だけ、先に作ってもらったわけだ」
言いながらブンブクは、保冷箱に山のように入っていた雑魚を言われる物を、迫力満点の寸胴鍋で煮込んでいた。
「何作ってるの……?」
「あら汁」
「美味しいの?」
「魚が好きならまずくねえな、それに今日の取り立てほやほやの雑魚で作るんだ、まずいわけがない」
魚だけじゃなくて、海老とか入ってる気がするんだけど……と言いかけた鶴は、それ以上言わなかった。
ブンブクが楽しそうにしょうがのすりおろしを入れて、味を見て、味噌を溶き入れる。
それだけでもう、美味しいのが確定したような香りが漂って、鶴は夕飯がとても楽しみに思えた。
「ブンブク」
「ん?」
「今日買って来たおやつ、後で食べよう」
「いいなそれは。おやつってのは幾つになっても楽しみだ」
笑ったブンブクは、ほれぼれするほど男前だった。
青菜のグリルにたっぷりのあら汁、それから蒸籠でふかした野菜、焼き魚。
それにご飯が好きなだけ、セルフサービス。
まるで学生食堂のご馳走のようだ、と鶴はダイニングテーブルを見て思った。
驚くべき高さで積まれていた保冷箱は、みな中身をブンブクがわけてしまった。
新聞紙にくるんだり、暗い所に置かれた箱に入れたり、冷蔵庫に詰め込まれたり、塩水に突っ込まれたりした野菜たちは、順番に食べられる時を待っているのだろう。
そして保冷箱のなかの魚などは、やはり下処理が行われて、冷凍室に入れられた。
冷凍室なんてあったのか、と思うだろう。鶴も思った。
しかし、酒蔵の隣にあったレバーを引くと、冷凍室への入り口が現れてしまったのでしょうがない。
爺様、やっぱり規格外だ……と思った物の、きっと爺様だから、たくさんの人を招待して、ご馳走ふるまったんだろうな、と思うと、否定はできない。
何しろ同じ事をしているらしいブンブクは、とても楽しそうなのだから。
鶴はあら汁をすすった。間違いようのない魚の磯の香りに、しょうががいい仕事をしているからか、それもと鮮度抜群だからか、嫌な生臭さはない。
味噌汁なのに味噌汁じゃないような気がしてくるくらいに、魚介類の主張が激しいのに、嫌な後味もない。
おいしい。
そしてほろほろになるまで煮込まれたあら汁の魚が、これまた美味しいのだ。噛むとふわふわなのに歯ごたえがあって、ぎゅっとうま味が口の中に染み出してくる。
青菜のグリルは疑いがあった物の、一口かじると、みずみずしい甘さが、これまた口いっぱいに広がって来る。
加熱したのに過熱していないみたいな歯ごたえなのは、どうしてだろう……
「これどうしたの」
「火が通るぎりぎりのあたりで焼いたからだろ、つるは見極めがうまいなあ」
ブンブクは楽しそうにそう言った。
ふかした野菜も味が濃くて、野菜なのに濃厚だ、と言いたくなるほど力強い土の味だ。
「おいしい……野菜たくさん食べられそう」
「そうだな、子分たちも出来立て食わせなきゃなあ」
そんな会話ののちに、彼女たちの取り分はすっかり空になっていた。
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