第56話 美女は手料理も出来る
結界装置に使用されているのは、獣気を反転させる鉱物を混ぜた水晶硝子の球体を、更にいくつもの術式で反射させ、増幅させている機械である。水晶硝子は定期的に鳴動を行い、それらの音の具合や光の揺らぎなどから、整備課のつわもの達は異常がないかしっかり確認しているわけだ。
それらの説明を受けながら、ウィリアムは色々な場所を見ている。彼もここに興味や関心があった様子だ。
そしてジャーニーは、鳴動の一瞬を見て、ぶつぶつと何かを呟いている。
近くにいた鶴が耳をそばだてていると、ジャーニーは
「この術式はこの回路を使用したものであって……これはこっちの術の応用編で……これ、北と同じかそれ以下の笊じゃ……?」
などと言っていたため、分析が得意な王子様である様子だ。
王子様達はその他、整備課の手の空いた職員とも有意義なのだろう会話を行い、職員らが
「その回路を使ったら、増幅値に異常でません?」
「北は気温の低さもかなりでしょうから、比較的暖かい南の共振値を平均にすると、うまくいかないでしょう」
「結界張り達からなにか聞いていませんか?」
といった会話をしており、かなり熱の入った情報交換らしきものをしている。
悪獣の被害にあっている地域の王子様達が、物腰も低く、意見交換をしたがる事を、職員達は鬱陶しいと思う様子もなく、会話は一時間、二時間、三時間、と続いていく。
ツアーのスケジュールは大幅に圧されており、弓香がやんわりと促しても、まだまだ、と王子様からも職員からも止められて、苦笑いをしている。
まあ、この後のスケジュールは、ほぼ観光であるわけで、観光よりもこちらの方が気になるのなら、観光の部分は削られても、そこまで問題にはならないわけだ。
そして結局、王子様達と職員達は意気投合し、昼ごはんを一緒に食べないかという話まで行われてしまい、弓香や、同伴していた近藤文江らが
「あなたたち!! 礼儀というものを辞書で調べてきなさいよ!」
と職員達に突っ込み、
「同志との会話をして何が悪い!」
なんて、ある種職人気質でもある職員達が開き直った結果、昼ごはんは、当初予定していたそれなりにお洒落で、美味しい店ではなく……
「くあー!! うまい天ぷら蕎麦だ!」
「同じ蕎麦の実を使っているのに、南の人達はこう言う麺類にしたんですね」
「手間かかってて、平和じゃなかったら作れないものっていうのがよくわかる」
職人達の財布事情との相談の結果、ブンブクの食い倒れマップの中でも、やすいうまい! と書かれていた、蕎麦屋での昼食が決定した。
この蕎麦屋、うどんもおいしければ、どうしたものか、冷や麦といううどんより細めの麺も抜群に美味しいらしい。
鶴はずるずると温かいきつね蕎麦をすすりつつ、王子達がこんな庶民的でやや暗い店でも、美味しい美味しいと喜んでいるため安心した。
弓香も文江も、蕎麦を頼んで、美味しい! とびっくりしているのだから、ここは間違いなく飛び切り美味しい店で間違いない。
「しっかし、こんな穴場、どこの誰が教えたんだよ」
そう言いだしたのは職員のおっちゃんで、おっちゃんはそばつゆを蕎麦湯で割って飲みつつ聞く。
「この通りは、城の関係者はあんまり来ないだろ。俺達もここに、こんなうまい蕎麦を出す店があるなんて聞いた事がない」
「知り合いの知り合いの情報網です。なにせとっても美味しい物に目がない知り合いで、かなり詳しいんですよ」
鶴が何もおかしなところはないという調子で答えると、そっかそっか、と職員達は納得し、そして蕎麦屋でも結界談義が行われ、仕事の時間になっちまうとの事で、彼等は急ぎ足で去っていった。
ここからは、当初の予定よりかなり押してしまっている物の、普通の観光案内になる。
普通の観光案内と言っても、大学図書館の見学や、研究所の見学など、それなりに真面目な部分も多々ある観光である。
大学図書館も研究所も、王子達の来報を待っていたため、隙を見て何度も公衆雷話から連絡をしていた鶴としては、やっと予定にあるものが進む……という安心感はあった。
王子達は見慣れない設備や研究の見学、それらにも大変興味を示された様子で、やっと、宿泊先の高級宿泊施設に、王子様達を案内し、本日の予定が終わったわけである。
弓香や文江は、緊急の時のために同じ宿泊施設のランクの低い部屋をとっており、あくる日の見送りまで、ある意味付きっ切りである。
外交課は大変だと思いつつ、鶴は帰宅の道を進み、ふと、やたら色んな男性が、ある一点を見ているため、そちらに注意が向いた。なんだろうと思って視線を追いかけると、ベンチではふはふと肉屋のメンチカツらしきものをほおばっている、金茶色の髪の毛の、恐ろしいまでの美女が座っていた。
「お玉さん、おやつですか?」
「あら、家主ちゃん、お仕事終わったの?」
彼女はたとえ揚げ物の油で唇がてかてかしていても、美人極まりない。そしてお洒落な服を着ていて、何したって美人である。
まだ無茶な美容法の結果のせいで、髪の毛とお肌がパサついているが、ブンブクがとにかく肉を食べさせているので、かなり良くなっていた。
「はい。今終わったところです」
「そうなの。……また、恐ろしい物をもっているわね」
「恐ろしい物ですか?」
「左手のそれよ、それ」
「これですか、お守りだって聞いてますけど、恐ろしいんですか」
「普通の悪獣だったら、それの近くで悪さできないわ。それ位強い力を持っているものよ」
「……爺様の若い時のお守りだって言ってたんですけど」
「うーん、分の字の友人でしょ? やっかみを受けたりしていただろうから、それ位強力なお守りが必要だったんじゃない? 全く、これだからさじ加減が分からないダメタヌキは」
呆れた、と言わんばかりの態度をするお玉は、メンチカツを包んでいた油紙をごみ箱に捨てて、立ち上がる。
「家主ちゃん、一緒に戻りましょ。分の字の事だから、今日も美味しい物をこしらえて待ち構えているわ」
それだけを言ったお玉は、不意に鶴が歩いてきた方角、つまりは王子達が止まる宿泊施設の方を見やって、心底そうだと言わんばかりの声で言った。
「そうね、普通以上の悪獣も、それの前では悪さが出来ないわね」
それは一体どういう意味だろうか、と鶴が問いかけようとしても、お玉は美女のミステリアスな雰囲気で微笑み、それに鶴は何か言えなかった。
帰宅すると、今日は子分たちがいないらしい。いつもよりも静かな家の中で、少しおかしいな、とも思うほど静寂に満ちている室内だった。
「ブンブク? いないの?」
鶴は家の中に声をかけてみた。そしてどこかに書置きがないか見てみたものの、ブンブクなら用意するであろう書置きがなく、本当に室内はがらんとした空気だった。
何か悪い事でもあったんじゃないだろうか。そんな不安に駆られそうになるほど、最近では見なかった、本当に誰もいない室内だったのだ。
ここしばらく、ブンブクがいたり、その子分たちが大騒ぎをしていたりしていた分、その静かさは痛いほどで、そして本当ならこれはずっと鶴の生活にあるはずの、物だった。
「ブンブク―? お玉さん、何か聞いていませんか?」
「聞いてはいないわ。感じてはいるけれども」
「感じている?」
「ええ」
お玉はそう言って、帰ってきた方向をまた見やった。
「悪い子はお仕置きが必要って事かしらね」
「どういう事ですか?」
「あら、あなた達はちっとも気が付いていなかったの? 人間って鈍感よね。あなた達が王子様王子様って言っていた人達の影の中に、悪い事をする気満々で侵入してきた、悪いのがいるのよ」
「ええっ!?」
思いもしなかった事を言われて、鶴は目を見開いた。お玉は一点をじいっと見つめて、続ける。
「生き物の影に入って、気付かれないように縄張りに入るっていうのは、割と悪獣がとりやすい移動方法なんだけれどね、まさか分の字のおひざ元に、喧嘩を売るためにやってくる馬鹿な悪獣がいるなんて思わなかったわ。普通は挨拶をしたり、私みたいに声をかけたりするんだけれど」
「えーっと、あの、それじゃあ、施設の人達とか大丈夫なんですか?」
「まあ、分の字はこっちの人達の事、それなりに気に入っているみたいだから、悪いようにはしないわよ。家主ちゃんはここで、私に守られていてちょうだいね」
「お玉さんが守るんですか……?」
この超絶美女が戦うなど考え付かなかった鶴が、思わず言うと、彼女はくすくすと笑い声を立てた。
「あら、四悪獣の一匹、妲己玉藻が、弱いなんてどうして思うの?」
「華奢な超絶美女だからです」
鶴が深く考える事もしないでそう言うと、お玉は本当におかしいと言わんばかりに笑った。
余りに笑うものだから、よほど自分は変な事を言ったのだな、と思うほど笑われてしまったわけである。
「そんなにもおかしいですか?」
「だって、だって! 家主ちゃん、私がどうして、四悪獣に名前を連ねているかわからないの?」
「その美貌で、あらゆる国の長を手玉に取って、国を滅ぼしてきたからじゃないんですか? 美貌のあまりそういう……?」
「私がそれだけの美女だっていうのは、絶対の事実だけれど、私はね、そこんじょそこらの悪獣なんて、あっという間に消し炭にするくらいの腕はあるのよ。四悪獣中でも、分の字は一番古株だけれど、私もそれなりに経験は重ねているの」
「そうだったんですね……?」
そんな事は言われても、お玉の戦う姿どころか、ブンブクが誰かをやっつける場面など見た事のない鶴にとっては、想像もできない事だった。
「まあ、しょうがないわ。ねえ家主ちゃん、お腹空いちゃった、あなた何か簡単な物は作れない?」
「あんまり経験が」
「南は自炊しなくても、どこでも食べ物が買えるのがいい所よね。でも、ありあわせの物を炒めただけっていうのも美味しいわよ。ふふ、ちょっと乗り気になっちゃった、家主ちゃん、手を洗って待っててね」
そう言うと、お玉はどこから取り出したのか全く分からない、綺麗なフリルのついたエプロンを身にまとい、手を洗ったと思うと、冷蔵室から肉の塊を取り出したりと、何かをし始めたのであった。
「お玉さんも、お料理できるんですね」
「男の中には、手料理ってだけで落ちる単純な雄もいるのよ。だから欲しいなと思った雄を手に入れるために、ちょっと尽くす事も有るの」
これだから悪女は、と言いたくなる台詞のようだが、事実お玉のような美女が、簡単なものでもさっと作ったら、それはご馳走扱いになるのだろうな、と鶴は内心で思ってしまった。
そして、ありあわせなのよ、と言いつつお玉が大皿で出してきたのは、ちょっと嗅ぎ慣れないけれども、香ばしい香りの炒め物だった。
「私が結構長く暮らしてきた国ではね、肉も野菜もいちど茹でて火を通してから、高火力でさっと炒めて、味をつけるっていう炒め物が定食屋ででてきがちだったの。だからそれを真似してみたわ」
「お玉さんすごい」
鶴が心底すごい、手際がすごい、とほめたたえると、お玉は嬉しそうに笑った後に、自分には肉を茹でた塊だろうか、それを大皿に乗せた。
「自分だと茹でた肉が一番楽だわ、焼くのは分の字に任せましょ」
「お玉さんの前だと、茹でただけのお肉も、なんかすごい高級料理に見えてきますね」
「あのね、茹でた塊のお肉って、国によっては冠婚葬祭の時に出てくるお肉だったりするからね」
「そうなんですか」
新しい知識が増えたという事なのだろうか。とりあえず、鶴は初めて食べる、お玉の料理を食べて、びっくりした。
「香ばしいお肉だ、茹でてあるからそこまでじゃないと思ったのに」
「炒め方によるのよ。こう、しっかり焦げ目も作っちゃえばこっちのものだわ。あと油の種類ね。香ばしい匂いの油を使えば、そう言う美味しい匂いになるの」
「お玉さん、実はかなり詳しいんですか」
「美容のために、食事っていうのは大事だから、人間社会のあれこれは結構調べる事にしているの」
そう言って微笑んだ、てらてらと唇が油で光っているのに、洒落にならない美貌のお玉は、やっぱりどんな灯りの下でも美女だったのだった。
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