第57話

「おう、帰ったぜ」


その日、ブンブクが帰ってきたのは夜明に近い時間帯だった。それまで、鶴は一応待っていたのだ。何しろ鍵の形が外から開けられない仕様だったので、待っているほかなかったのだ。

多分待っていた事に対して、ブンブクが怒るだろうな、とは思っていたものの、それでも待っていたかったのだから仕方がない。

お仕置きをしていると聞かされても、ブンブクが完全に怪我一つなく戻って来る事はないかもしれないだろう。だから心配だったのだ。

それに、徹夜くらいは慣れていた。何しろ城島での仕事は、時期によっては徹夜が当たり前だったころもあるのだから。

そのため、鶴は帰ったという声をきいて、扉の鍵を開けて、扉を開けたのだ。

しかし、玄関前にブンブクはいなかったのだ。どういう事だろう、と鶴が首をひねって、外に出ようと足を踏み出した時だ。


「出ちゃだめよ!」


先に、今日は家の中に泊まるわね、と言って寝ていたはずのお玉の鋭い声が響き、何を言うのか、とお玉の方を振り返ろうとした鶴は、しかし足が玄関の外に出てしまった。


「ひっかかった。鍛冶金槌の大狸のつがいが」


足が出た途端に聞えたのは、いかにも恐ろし気な、愉快そうな声で、何が起きたのだと思う間もなく、鶴は知らない場所に引きずり込まれていた。


いや、知らない場所じゃない。轟轟と燃え上がる炎で、辺りは良く見えないものの、そこは結界装置がある、城島の心臓部だったのだ。

そして自分は、倒れていて、何者かに胸を踏みつけられて、立ち上がる事が出来ないでいたのだ。


「鍛冶金槌の大狸。ひっひっひ、つがいを盾に取られてまで、俺達の事を叩きのめせるわけもない」


「大狸は愛情深い。子分すら見捨てられない獣だ」


「つがいなら尚の事」


そう言っている三者をみて、鶴は目を見開いた。


「王子様達……!?」


そう。

鶴を踏みつけている一人以外も、鶴にとっては見た事のある人、つまり北の国から来た王子達だったのだ。

だが顔つきが違い過ぎる。まるで乗っ取られているように、昼に見たそれと表情が違っていた。

そして鶴は慌てて首を巡らせた。彼等の視線の先にいるのは、異様な雰囲気の男だった。


「……ブンブクなの……?」


鶴が言うのも無理はない。普段は温厚な穏やかな目をした、暖かい雰囲気のにじむ、いかにも人情家の大親分と言ったふうな男はそこにはおらず、冷酷非道な冷めた目をした、あまりにも整い過ぎた男が立っていたのだから。

だが造作は、間違いなく、鶴の爺様が気に入りだったという美男子の姿をしているのだ。

ブンブク以外にいるわけもない。

いったいどういう事なのだ。訳が分からなくなった鶴は、辺りを見回したものの、答えになりそうな人も物もいない。

というか……結界張りの人達が、ごろごろ倒れているのだ。

彼等は喉を押さえて苦しがっている。その症状は聞いた事がある。


「獣気負けだ……」


悪獣が放つ、人の理性を奪い、正気を奪う強力なものだ。それが許容量を超えると、人は喉を押さえて苦しがると習ったし聞いていた。

それと同じ症状が起きているのはどうしてだ。結界装置があるから、浄化作用もあったはず。

鶴は何とか何が起きているのか理解しようと、押さえつけられていながらも周囲を見回そうとしたが、見えたのは結界装置のいたるところが破壊されている有様と、抵抗したのだろう人達が、血にまみれて意識を失っている様でしかなかった。

鶴が城島から出て行った後に、こんな事が起きていたなんて信じられなかった。


「さてはて、大狸。南を渡して隠居すると言ってもらえれば、このつがいを解放しよう」


「ついでにお前の力の半分も寄越してもらえれば言う事なしだ」


「だいたい、狸の癖に、獅子に勝ると言われているのも業腹だ。我が主君、王全牡丹をしのぐと言われるなど」


王全牡丹。聞いた事のない名前だ。男か女かもわからない。

だが、悪獣なのだろう。獣気が充満する中で、立っていられるのだからそうに違いなかった。

だが、操られている様子の王子達は、大丈夫なのだろうか。

そんな事を思った時だ。


「……それは聞けねえ話だな」


「情け深い事くらいしか、とりえのない大狸が、つがいを捨てるのか!」


「堕ちる所まで堕ちたのだな! この数十年、耄碌したのだろう!」


「いいや」


静かな声が柔らかな音の連なりで、冷めた恐ろしい瞳で、王子達を乗っ取る何者かの言葉を否定する。


「お前達は、おいらの力を測り間違えてんだ。本当に強いやつを、見極められねえのは弱い証拠だぜ」


「何を……!?」


「ぐっ……!」


興奮した、鶴を踏みつけている一人の力が強まる。呼吸が苦しくなって、鶴はうめいた。


「……はあ、わからねえってのはこわいなあ、本当に」


鶴の様子など気にもしないそぶりで、ブンブクが溜息をこぼしてそんな事をいう。


「この長いようで瞬きの間のような時間、おいらは耄碌などしなかった」


……あたりは炎に包まれている。本来なら熱いはずだ。だが。

おそろしく、恐ろしく周囲は冷え始めている気がする。

そして、破壊されて鳴動しない筈の、結界装置が、徐々に瞬きを始めている。


「   もえあがれ   」


ブンブクは一言そう言った。そのとたんだ。

結界装置が、馬鹿にならない輝きを放ちだす。瞬間で、尋常ではないほどの浄化運動がおこり始めたのが、よく分からなかった鶴でもわかったほどだった。

さらに、それが起きて、最初は笑っていた王子を乗っ取っていた何者かが、喉を押さえて苦しみ始めたのだ。


「いやあ、苦しいなあ? どうだ、自分の獣気が軒並み浄化されていく息苦しさは」


ブンブクは静かにそう言っているが、やっている事はかなりとんでもないはずだ。


「……あいつらに、お遊びのつもりで一緒に設置してもらった機能なんだよ。おいらの獣気を充填して、それを燃料に、超速で獣気を燃やして浄化するっていう。まさかここで使う事になるとは思わなかったぜ」


苦しみ始めた何者か達は、倒れてのたうちまわっている。鶴からも当然足が離れて、近付いてきたブンブクが、ひょいと鶴を抱え上げる。


「王子達から抜け出な。まだ温情をかけてやる。抜け出て故郷に帰るなら、消し炭にもしないでやるさ」


「ぐ、あ……」


「ぐうう……」


のたうち回っていた何者か達は、自分達も結構な怪物であるはずなのに、ブンブクを見て、真正の怪物がいるという視線を向けて、そして。

彼等の影から、頭部がふさふさしたネコ科の獣が抜け出し、すさまじい速さで外に飛び出していったのだった。


「さて、火を消さねえとな。火は得意なんだよ」


その中で、ブンブクはあっけらかんとした調子で、手を一閃させる。すると、結界装置のある室内を舐め尽くすような炎は、一瞬でブンブクの手のひらの中に納まり、ふうっと息を吹きかけると、消えたのだった。


「帰るぞ、つる。つるも明日は寝込みそうだなあ」


大した事じゃないという調子で言ったブンブクは、呆気にとられている鶴を抱えたまま、ひょいとネコ科の獣にぶち抜かれた壁から、ひょいと出て、そこに待ち構えていた水馬にまたがり、走って行ったのだった。

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鍋で狸とおんぼろ一軒 じい様の遺産は規格外 家具付 @kagutuki

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