第55話 王子様がやってきた!

そしてとうとう、南に王子様たちがやってくる日である。鶴は何度か胃腸を悪くした物の、なんとかその日はまともな調子で迎える事が出来た。

しかしながらどうしても言いたい。


「王子様たち、こんな食い倒れツアーで本当に良かったのか」


そこである。食い倒れツアーという、南の地域らしい平和さ満載のこのたびのツアーは、おしゃれであるとか歴史的価値があるとか、そんな一般的に王子様が旅行に来る中身とは大違いだ。

上司も同僚たちも、みんな太鼓判を押してくれた中身であるわけだし、何ならそれをより良い物に仕上げてくれたわけだったが……南の自慢と言えるものとして、北に押し出すものが、美味しいご飯でいいのだろうか。

いや、美味しいご飯というものは、生活するうえでこの上なく大事な物であるのに間違いないが……これでいいのか。


「いいだろうが。うまい物たらふく食える旅行なんて、最高だろう?」


「それはブンブクだから言える事じゃないかな……」


ブンブクの断言の力強さに、多分何か違う気がするんだよなあと思いつつ、鶴は言い返した。

だが鍋狸、全く譲る気配がない。


「何を言う、飯ってのは生きるって事の、最上位に位置する、優先事項だろうが」


ブンブクはそう言い切り、ほらたんと食え、と朝ごはんを並べている。

炊き立てのご飯に、ふわふわと出汁の香りが漂うお揚げと葱の味噌汁に、魚と海老の佃煮だ。それから目玉焼きとお漬物、それらが統一感のまるでないお皿に並べられて、ちょっとした料亭のご馳走のように、鶴の目には映った。


「こんなご馳走を朝から食べていいの」


鶴はそのいい匂いにつばを飲み込み、こんなご馳走は両親が生きていた頃の自宅でも、気づまりな祖父の本宅でも食べた事がないな、と思いつつ問いかけた。


「何言ってんだお前。これ位序の口だろうが」


何がおかしいと言いたげな声で、そんな事を言いつつブンブクは、つくだ煮一つでご飯を三口も食べている。よっぽどお気に入りの佃煮なのだろうか。


「この佃煮はどうしたの」


「銭湯の常連のじいさんが、川で漁師やってんだよ。一週間、ただ風呂にしてほしいなら佃煮もってこい、って言ったら本当に佃煮持ってきた」


そりゃあ……まあ、一週間も、広々した綺麗な、時間内だったらいつでも入れる風呂にタダで入れるのならば、佃煮くらい持ってくるだろう。

多分鶴も同じ条件を出されたら持ってくる気がした。あの銭湯は居心地が良すぎる。

そりゃ、この謎の家の地下にあるお風呂もすごいし、あんな広い所を独り占めできるのは、贅沢の極みと言っていいけれども、あれだあれ、ジャンルが違うという奴だ。


「漁師のじいさんが言うに、自宅の風呂掃除が面倒だから、シャワーばっかりだったけど、いっぺん広い湯船に使ったらはまっちまったらしくってな。毎日でも来たい、でも金がねえっていうもんだから、じゃあなんか飯のお供もってこいって言ったら、佃煮を売ってるって言っててな。じゃあそれ一週間分もってこいって言ったんだ」


「利益出せるの」


光熱費とか馬鹿にならないのではなかろうか。ブンブクの不思議で、大丈夫そうな気がしないでもないが。

そう言えばあの銭湯の灯りって、どういう仕組みでついているんだろう……天井を見上げた事がないので、よくよくそこら辺を見た事がなかったな、という事に気付きつつ、鶴は聞かずにはいられなかった。

それともそこら辺の光熱費の類は、爺さんの隠し財産とかそっちの方向でまかなえているんだろうか?


「利益度外視の道楽趣味だ、第一金もそこまでかかってねえし、洗濯機の雷気だって、銭湯の外に取り付けてある自家発雷機で賄えちまうし、結局は洗濯機の洗剤の代金位しかかからねえよ。それにおいらは、ここで楽しく、裸の社交場やれるほうが楽しいんだわ」


「まあ……ブンブクがやりたいようにやればいいと思うけど。あんまり変な事にならないように、気を付けてね」


「おいらを誰だと思ってる。大親分はそれ位、度量が広くなけりゃ務まらねえよ」


鶴はそんな会話をしつつ、あんまりにも炊きたてのご飯がおいしいものだから、三杯目のお代わりをした。

そしてたっぷり体の中に燃料を投入し、仕事着ではない、あまり目立たないがお気に入りの格好になり、靴も、どれだけ歩いても辛くない物を選んで履き、鞄も仕事用ではない物を掴んで立ち上がる。


「忘れもんはねえな?」


「ない」


「ちゃんと観光案内するんだぞ」


「それはちょっと不安だけど、急遽外交課の方から何人か、一緒にやってくれる人が出てきたから、観光案内はそっちの人たち優先かな」


「何時頃帰って来る」


「分からない。王子様たちが、夕飯をどうするかとか、そう言うので決まっちゃうと思う」


「だったらどっかの雷話から、前に教えた番号にかけるんだぞ」


この感じは間違いなく、家族、それも母親とかそういう、心配性の人の言い方である。

自分はそんなにも、不安を感じさせる人間だろうか。

それともブンブクが、ただ単純に、そういう事を考えているだけなのだろうか。

わからないがとりあえず、鶴は返事をした。


「わかった」


「……そうだ、つるや、つる、これを持っていろ」


そう言いつつブンブクが投げてよこしたのは、今どきの中学生だって買い求めないだろう、ちゃちなバングルだった。

それの裏には、何かがびっちりと刻まれている。


「何、これ。ずいぶん古いものに見えるけれど」


真鍮製だろうか、金属が変色している。元々は金色の、それなりに綺麗に見えるものだったのだろうか。

今はそんなものを感じさせることもなく、ただ時代を感じさせるバングルだ。


「おう、それは修二郎のお守りの一つだ。修二郎が独り身だった頃にあいつに持たせてたやつだから、ご利益はあるぞ、きっと」


「これをつけていろって事?」


「ああ。効くぞぉ」


何に効果があるのやら。そんな事を思いながらも、鶴は言われた通りにそのバングルを右腕につけようとして、ブンブクに止められた。


「それは左手専用なんだ」


「装着するのに専用も何もあるんだ」


「術なんてそんなものだぞ、知らないのか」


「ううん……あんまりわかってないかもしれない」


「守りってのはな、どこにつけるかによっても、大きく能力が変わるものなんだ。覚えておいて損はないぞ」


そう言って、けっけっけ、とブンブクは笑ったので、鶴はそれに手を振り返し、急いで家を出た。

本日は快晴、いい観光日和に間違いなかった。




「初めまして、よろしくお願いします」


そう言って微笑んだのは、いかにも王子様、と言いたくなるさわやかな笑顔の、青年だ。年のころは鶴より少し年上位である。


「……初めまして、どうぞよろしく」


少しぶっきらぼうに、どこかぎこちなく笑って手を差し出してきたのは、その青年よりもいくらか年下に見える青年だ。


「よ、ヨロシクオネガイシマス」


どもりがちで、目を左右に彷徨わせながらも、なんとか挨拶をした青年は、鶴とほぼ同年代そうだ。


その三人が今回、観光に来た王子様たちなのだろうが、珍しくて、失礼にならない範疇で、気付かれないように気をつけながら、まじまじと見てしまった。

何故か? それはその三人が、南ではお目にかかれない、純金の頭髪と、サファイアブルーの瞳を持っていたからである。

南は割合黒い目や黒い髪の人間が多いため、こうも異国の見た目の人とは滅多に出会わない。

何かの小説や、観劇、映画の中にのみ登場するくらい、金色の頭と青い目の人は珍しいのだ。

それゆえ、すごくまぶしい色で、きらきらしていて綺麗だな、と思って、鶴は彼等をまじまじと見てしまったのだ。

その様子を見て、外交課の先輩が足を踏んだ。


「加藤さん、あんまりじろじろ見ないの!」


「あ、すみません……」


「いえいえ、お気になさらないでください。南の方々は黒い髪に黒い瞳ですから、私たちも珍しくてまじまじと見てしまうんですよ。皆さん黒髪が艶やかできれいですよね」


そう言ったのはさわやか系王子様である。彼はそう言って自己紹介をし始めた。


「今日から数日、よろしくお願いします。私はアーサーと言います」


「ウィリアムです」


「ジャーニー、デス……」


三人はそれぞれの個性がうかがえる名乗りを上げ、外交課の人が一礼して自己紹介をする。鶴はそれに続いてあいさつをした。


「加藤鶴です、どうぞよろしくお願いします」


「ええ、よろしくお願いしますね」


「早速ですが、最初はやはり、南が誇る結界装置を見学させていただけるんですよね? 私はこれを見るのが楽しみで、昨晩眠れなかったくらいなんですよ」


アーサーが朗らかに笑って言う言葉に、外交課の美女が穏やかに答える。


「北にも同じ設備が作られたはずですよね」


「はい。そうなんですが、北の結界装置はどうしてか……機能面で南の物より劣っているようなんです」


「まあ! どういう事なんでしょう……結界装置の制作者、渡辺五三郎は、どの地域にも同じだけの結界装置を、という事で開発作成したはずなんですけれど」


そうだったのか。鶴はそういえば歴史の授業と技術の授業の、発展の歴史のあたりに出て来ていた名前を聞き、すっかりそんな事を忘れていた自分を、少し反省した。

外交課の美女である、戸田弓香が、アーサー王子と会話を続ける。


「確かに、南が開発作成した、今でもなお使われている結界装置は、それまでの物と比べると格段に能力が飛躍しているのは、間違いないんです。事実殺傷能力を持つ悪獣は、結界の中には入れません。ですが、南に仕事で向って、戻ってきた人々の話を聞くと、南とどうも違うんですよ」


アーサーの言葉に、弓香が続けるように促す。会話が途切れないため、これが会話のプロなのか、すごいな、と後ろを歩きつつ感心していた。


「南では、結界装置が少ない地域でも、殺傷能力の高い悪獣と出会わない、獣気の濃さが比較的薄い、そして何より、悪獣に出会っても、死ぬ事件がほとんどないと聞いています」


「確かに、ここ六十年の間、悪獣に襲われた死亡事故は、ありませんね」


「北では、毎年、何十人も亡くなっているんですよ。対策を色々たててはいますが、めぼしい効果がないんです」


アーサー王子は悔しそうにそう言って、少しうつむき、それから顔をあげた。


「そのため、南の結界装置とそれらの伝播装置などを見学できれば、結界装置の改善点が見つかり、このような事故も減らせるのではないかと思っているんです」


「不思議ですね……」


弓香は驚いた調子で言うわけだが、鶴はその理由がわかってしまった。ブンブクである。鶴のご飯を作ってくれる、爺様の大親友の大狸である。

ここ南は、ブンブクの勢力圏内で、悪獣狸が頂点に君臨している地域だ。

そのブンブクが、人間殺すよりも、人間の輪の中に混じって、うまいものを手に入れてたらふく食べる方が、面倒がなくていい、うまいもの食いたかったらその方が手間じゃない! という姿勢なのだ。

そしてブンブクの言葉を聞いた悪獣達は、山や渓谷、荒野などで、正規の道以外を使って進もうとする人間達から、通行料と称して、荷物の中の食べ物を拝借し、道案内をしたり、遭難した人間をこっそり助けたり、何にもなかったら命をとらないけれど肥溜めに放り込んだりしているがゆえに、残酷な事件が起こらないのだ。

改めて思うが、ブンブクの威光と言うべきなのか、実力の結果と言うべきなのか、支配力と言うべきなのか、そこら辺の強さは尋常ではない。

お玉と名乗る西の悪獣の狐の美人が、実力だけは認めている節があるのも、そのためだろうか。


「確かに見学はツアー内に入っていますけれど、あまり近くでは見られないとお知らせしてありましたよね」


「はい。結界装置の不調があってはならないから、整備課の方以外はある場所よりは先に進めないと伺っております」


「ではそこまで、ご案内させていただきます」


「はい!」


アーサーが嬉しそうに頷き、ウィリアムが言う。


「時間なくなるだろ、兄さま、早く」


「そ、そうですよ……」


ジャーニーもそう言ったため、一同はさっそく、王子達を迎えた広場から、城の方に進んでいったのであった。

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