第48話 南は食べ物で観光ができるらしい
いつのまにやらそのまま寝入ってしまって、鶴が起きた時に目にしたのは、自分が書いたとはとても思えない、見事なくらい細かい、城島の地図に、たくさんの文字列であった。
道なども何丁目のどこのあたり、といった住所が書かれており、ちょっとその辺では考えられないくらい、細かい情報が乗っている。
いったいだれが何の目的で、と鶴は目をこすり、風呂に入っていない事を思い出し、それから、今は一体何時なんだ、というところまで頭が動き出してきた。
「おう、つる、おはよう、すっかり寝てたから起こさなかったぜ」
調理竈の前に立ち、声をかけてきたのは、ブンブクだ。他に誰がいるかと言われたら微妙な問題だが、次に言われたとしたらお玉さんだろう。と鶴は考えながら、身を起こした。
変な格好で寝入ってしまったからか、関節がギイギイと軋んでいる気がするものの、他に問題はなさそうだった。
今の自分の顔に、卓の木目の痕がついていないかが気になる。
シーツよりも恥ずかしいのは気のせいだろうか。いいや気のせいじゃないだろう。
誰だって恥ずかしいに決まっている。
「これはなに?」
まず初めに、地図を示して彼女が問いかけると、ブンブクが胸を張った。ちなみに今は、いつもの見慣れた鍋狸状態である。
それで胸を張られるとどことなく、喜劇的な印象を受けるのは、彼女だけではないだろう。
鶴が自分で制作していた、書きかけの地図が全く違う物になっていた事からの質問に、ブンブクは胸を張ったまま答える。
そこに一切合切、申し訳なさそうなんて言葉は見当たらない。
「城島の観光だろ? だからうまい物がある店を書きだしたんだ。ちなみに子分たちお勧めの甘味処とかも書いてあるから、休憩もばっちりだぞ!」
「じゃあこっちは……?」
鶴が見せたのは、城島付近の見どころが書かれてる地図である。
これにもぎっちりと、食べ物の店の情報が書かれていた。
ぎっちぎちに書かれているわけなのだが、不思議と見やすいのは、文字が細く達筆だからだろう。
ブンブクが気合を入れて書いた文字は、やや右肩上がりの、達筆なのだとここで鶴は知った。
「こっちは、城島周辺のうまい物の店だろ、面白いものがある店だろ、それから暇つぶしにもってこいな展示物がある博物館だろ、それから」
「……八割以上が食べ物の店なんだね?」
鶴は念を入れて問いかけた、この調子だと、食べ物の店が八割か九割、と言われても驚かない自信があった。
そう言っていいほど、この地図、食べ物の店しか書かれていない。
「やっぱ南に来たら、うまい物の食べ歩きが一番だろ?」
ブンブクは首をかしげて、他に見どころなんてあるのか、面白い所なんてあるのか、と言いたそうな顔だ。
鶴は色々言いたかったものの、飲み込んだ。そうだこれはブンブクである。人間じゃないのだ。いくら賢くて何でもできて、人間よりできた奴でも、彼は狸、それも大狸である。じいさんが生きていた頃からずっと、食べ物が一番な相手である。
見どころと言ったら、南の豊富な美味しい物を確実に、お勧めしそうなやつである。
そんな奴が、書いたのだったら、間違いなくその地図は、うまい物食べ歩きに特化したものになるだろう。
鶴はそれを責めなかった。
しかし今は何時だ。
そう思って彼女は、部屋にある唯一の時計を見て、慌てふためいた。
「風呂に入るのぎりぎりじゃない!」
「シャワーだけなら早いだろ」
「女性の風呂は時間がかかるのよ! これだから老いぼれ狸はわかってないわねえ!」
「あ、お玉さんおはようございます」
「おはよう家主ちゃん」
いったいいつの間に現れたのだろうか、お玉まで現れてにこやかに笑う。ぱさぱさだった髪の毛も、ガサガサだった肌の調子も、なんだか最初に見た時よりよさそうだ。
これが肉の効果だろうか、と思いながらも鶴は、大慌てで風呂に駆け込んだ。
とりあえず、まずは、一日放っておいてしまった化粧を、落とすところからであった。
化粧を落とし、髪を含めて体中を洗った彼女を待っていたのは、布の包みに入った何かであった。
「仕事場で食べろよ、おにぎり握っておいたぜ」
「ありがとうブンブク!」
遅刻する、船に間に合わない!
鶴がそれだけ言っておにぎりの包みを持ち、仕事の鞄を持ち、通勤用の靴を履いて家を飛び出すと、外の天気はこれでもかと言うほど晴れ渡っていた。
「すごい出来のいい地図じゃない、誰が書いたの?」
「知り合いが、寝ている私に無断で書き込みしちゃったんです……」
観光案内の草案を作成するのも、鶴の本日の仕事だ。そのため彼女は、おにぎりを特急で胃袋の中に収めると、地図の精度、それから情報の信ぴょう性、そこに王子様が立ち寄りたかった場合の連絡先、などを調べて行く。
結局あの、ブンブク一同が書き込んだ地図も、持ってきてしまったのだ。
あんなに精度の高い地図を、自分が見本もなしに掛けるわけないので、お手本代わりに持ってきていたのだが、それを見た上司が、感心したように言う。
「ここまで細かいのなんて、滅多に見た事がないぞ、それにしても食べ物の店ばっかりだなあ」
「食いしん坊な知り合いが、知り合いの仲間と一緒に、書いちゃったんです……」
「でも、確かに、南と言ったらうまい飯だな」
「え?」
上司がそうだよなあ、と言いながら納得しているため、鶴は目を見張った。
何を遊んでいるんだ、もっとちゃんとした物で埋めた地図を書け、と言われても仕方がないと思っていた彼女によって、上司がそうだな、と副官に確認するのは、驚くべき光景だった。
「どういう……?」
「加藤は知らないのか? まあ地元じゃ知らないなんてよくある話だ、当たり前の事過ぎて。南は他の地域に比べて、食べ物が格段においしくて進化してるって、他の地域からよく言われるんだ。南に観光しに来る他の地域からのお客さんは、口コミとか旅館の情報とかで、美味しい物の食べ歩きを、結構したがるんだぞ」
「えええええ……」
つまりなんだ、鍋狸一同が気合を入れて書いた地図は、そう言った、食べ歩きの観光がしたい人たちにとって、喉から手が出るほどほしい地図なのか。
鶴が呆気に取られていると、上司が地図を見てますます、感心した声をあげる。
「住所も定休日も営業時間も書いてある。おまけに店主の名前まで。一体誰だ、こんなものを一晩で仕上げた有能な人は。観光課にいたら優秀って褒められて、給料上げてもらえる奴だろ」
「し、知り合いなんです……」
まさか南の悪獣の総大将、鍛冶鉄鎚の大狸とはとても言えないので、鶴は言葉を濁した。
だが上司たちはそれを見て口々に褒め、さらになんだんなんだと、寄ってきた同僚たちも、その細かすぎるほど情報が乗っている地図をみて、すごいすごいとほめちぎる。
「こんなのすぐに書けるわけないだろ」
「でも王子様たちが南に来るって情報は、まだ一般人に出回ってないから、そんな事考えられないだろうし」
「これフリーハンドだろ、フリーハンドでこれだけ測量したような地図が書けるってだけでもう、すごい」
「やだこれ、南の住人だってほしがる案内図じゃない!」
まさかのべた褒めである。鶴は背中に汗をかきながら言う。
「知り合いが、とっても食いしん坊で……だから詳しいんです、はい」
他に何と言えるだろう。鶴はその正体だけは決して言えないとわかっていたため、なんとかそれで乗り切った。
「観光名所案内はこれでいいだろ、観光課と外交課にこの地図のコピーまわしておけ」
「はい」
まさかのブンブクの地図の採用である。あとで何かいい物を食べさせなければ……と鶴は思いながら、それをコピーした。
その地図はすぐさま他の課に回されるのだろう。
とりあえず、一番難問だった、観光案内図の作成は、これで終わってしまったわけで、鶴はほかに急ぎで片づける仕事がないか、確認を始めた。
城の鐘が鳴り響き、昼休憩の時間である。各々が己の食べ物を手に入れるために動き出し、鶴は自分の鞄の中身を探った。
最近はブンブクがお弁当を作ってくれているから、それがあると思ってしまったのだ。
だが。
「ない……」
鶴はうめいた。ない、あの金属でできたお弁当箱が、爺様の名前が彫られた歴史ある弁当箱が、彼女の鞄に入っていない。
そう言えば自分は、今朝、おにぎり以外に食料を、鞄の中に入れただろうか……いや、入れていない。
まさかのお弁当忘れてしまった案件である。
今日は買い食いか、と思いながら彼女が、仕事机から立ち上がり、財布を片手に課を出ようとした時だ。
「加藤さんいる、加藤鶴さん!!」
城の受付嬢の女の子が、物凄い勢いで走ってきたのだ。
ヒールが折れそう、と内心で思った鶴だが、はいとそこで判事をした。
「どうしました?」
「か、加藤さんを呼んでいる人がいて……とにかく受付まで来て!!」
かなり混乱している様子だ、一体誰が自分を呼んでいるのだろう。
そんな事を考えながら、彼女は城の出入り口にある、受付まで向かい……来た事を後悔した。
洒落や冗談では済まない、そんな美貌の男が立っていたのだ。
彼は受付嬢が頬を染めて目をきらきらさせて話しかけているのに、ちっとも靡く様子がない。
楽し気に会話している物の、どこか遥か年上の男が、可愛い小さなお嬢ちゃんに憧れられている、といった空気をにじませているのだ。
その男は、城島では最近あまり見かけなくなった、着流しをこれまた見事に着こなして、一部の隙もなく伸びた姿勢がまた格好良く、ちょっとした動作が見事である。
彼は一体何者なの、と思わせるだけの魅力のある顔立ちは、そこんじょそこらの男など、ジャガイモ程度にしか思えない造形美だ。
まさに、こんな美男子どこからやってきたの、と思わせるだけの見事な男が、ひょろ長くない、体月にみずみずしささえ感じられる欠点のない色男が、受付嬢に話しかけられて、喋っていたのだ。
そこが城の出入り口ともあって、色々な視線が男に向かっている。憧れ、歓喜、熱意、とにかく色々な物が臭わされている視線たち。
そしてその視線をものともせず、その視線たちに臆する事もなく、男は立っていた。
受付嬢に話しかけられていたのに、男は、鶴の足音を聞いたのか、こちらを見た。
「つる、つるや、お前はそそっかしくて弁当を忘れただろう」
そんな男が、笑った。近くで見ていた受付嬢が、それにくらりとよろめいた。
遠くから見ていた人たちも、黄色い声を隠せなかった。
騒ぎを聞いて駆けつけた人たちが、そのあまりにも魅了される笑顔に、何も言えなくなった。
まさにその場を支配して、男はからりころりとげたを鳴らして、鶴に歩み取ってきたのだ。
そしてきんちゃく袋に入っている、弁当らしき包みを差し出してくる。
「おにぎりだけじゃ足りないだろう、持ってきたぞ」
やだ、加藤さんこんな色男どこで知り合ったのよ、と思ったのは、総務課の女の同僚だった。
しかしその心の声は、色々な女性の心に一致していたに違いない。
「ここまでわざわざ……」
鶴は早く視線からそらされたかったものの、この美丈夫がいては絶対に視線がそらされないとわかっていた。
それ位、吸引力がばかにならないのが、この男だったのだ。
「昼飯は大事だろう? おいらだって昼を抜いたら力でねえしな」
その見た目で、一人称がおいら。まさかの落差は、しかし親しみやすさや、とっつきやすさにつながっている。
それと実家のじいちゃんに似た安心感をもたらす、そんな喋り方だった。
「それにおいらも、こっちに知り合いが何人かいるからな、会いに来てんだ、心配するな。ちゃんと船に乗ってきたしな」
美貌の男は、弁当だけ渡して、そのまま去って行こうとする。
鶴は慎重に問いかけた。
「そのまま帰るの?」
「知り合いめぐりは終わったからな。なんだつる、一緒にご飯が食べたいのか」
このままだと、質問攻めにあって、昼を食べのがす。
そんな事だけわかったため、鶴はこくりと頷いた。
「甘えただな、いいぞ、どこで食べる」
くしゃりと鶴の髪の毛を撫でた男は、衆目など何のその、と言っても過言ではない態度だった。
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