第26話 強大な目くらまし

とぼとぼと、本当にとぼとぼと歩いていた鶴は、不意に思い出した事がある。

その事を思い出したために、彼女の足は止まった。止まってから、彼女は眉間を押さえた。


「ブンブクは……目くらましができるって言ってた」


目くらましができる、と言ったわけではない。正確には


『外側は人間避けに、入っても何のうま味もないように見せてあるだけさ。』


と言ったのだ。

確かにあの家は、外側だけを見ると、あまり入りたくないぼろ屋に見える。鶴が暮らしていても、暮らしている本人が、明るいうちに自宅を見ると、何とも言えない気分になるくらいに、朽ち果てたように見える。

だが、室内はきちんと整っているのだ。


「ブンブクは、来たら腰を抜かすって言った」


来ちゃだめとは言わなかったが、来たら腰を抜かすといったのだ。

まさか。でもそんな緻密な術式を、ただの鍋狸と言われるような物が、行えるだろうか?

しかしそれ以外には、あり得ない気がした。

ブンブクが、鑑定士たちを追い払い、興味をなくさせるために、大きな目くらましをかけたのだとしたら。

そして自分もまた、その目くらましに騙されたのだとしたら……


「あり得る」


朝は普通だった家が、帰ってきたらぼろぼろという状況も、十分にあり得るだろう。


「帰ろう、早く」


鶴は少し急いで歩き始めた。一刻も早く、自分の考えを確かめたかったのだ。

そして歩きながら思ってしまった。

もしも家一つ分を目くらましできるような、強大な術を使えるのだとしたら。

分福茶釜は、ただの鍋狸、と自称しているだけのものではなくて。


「本物の、結界の外にいるのと同じ、悪獣【狸】だ……」


「……」


一人呟いてから、鶴は、確かに、なんで今まで思いつかなかったのだろう、と逆に自分に問いかけたくなった。

来ていたではないか。数匹の、仲間らしき、胴体が鍋じゃない獣が。

あれが狸ならブンブクも狸だ。

もしかして、だ。

鍋狸の姿に化ける事に、大きく力を消費しすぎていて、ブンブクは、どんぶり茶碗に五回もお代わりをするんだろうか。

だとしたら、化ける事はとても疲れる事だ。

そして、化ける狸は危ない生き物だといわれているけれども、鶴のブンブクは、そしてブンブクの仲間たちは、危なくない。

それに、ブンブクがいなくなったら、誰が自分のためと笑って、美味しいご飯を作ってくれるのだ。

そのため、別にブンブクが狸でも、追い出す事は考えもしなかった。

ただ、そんなに化けるのが大変なら、元の姿になってもいいよ、と言おう。

ブンブクはびっくりするだけだ。

そう思っているうちに、彼女の足取りは、小走りにまでなっていた。




「家建ってる……まともなのが……」


自宅……爺様の厨の前で、鶴は廃墟が一変して、彼女の見知っていたぼろ物置よりも、ちゃんとした家になっている事に驚いた。

おどろいて足が止まった物の、そこは鶴が引き継いだものなのだ、何を遠慮するのだろう。

彼女はその家に近寄る。柱などの立て方や、礎の形、それに門構えとか引き戸の形とかに、十分に、ぼろ物置の面影があった。

もしかしたら、目くらましを解いたのかもしれない。

そして、このちょっと古い家が、爺様の秘密の厨の、本来の姿かもしれない。

鶴は息を吸い込んでから、先ほど鍵をかけ忘れるほど衝撃を受けていた事実に苦笑いして、引き戸をあけた。


「ただいま」


先ほどは、ブンブクのお迎えもなかったけれども、今は違う。


「おう、お帰り。今日はびっくりしすぎて、城島のどこかに泊まるんじゃねえかと思ってたぜ」


三和土で迎え入れてくれた鍋狸は、楽しそうに笑った。


「なんで目くらまししたの」


「だってよう、ここは修二郎のお気に入りをたっぷり詰めた場所だ。鑑定士がわらわらやってきて、値段なんか決めるところじゃねえよ。ああいった手合いはこっそり持っていく馬鹿もいるから、嫌いなんだ」


「それだけ?」


笑っている鍋狸の顔にはでかでかと、それ以外の理由ですと書かれている気がする。

鶴は問いかけると、鍋狸は頭をかいた。


「いやあ、久しぶりに驚かしてみたかったんだよ。おいらもあんなにびっくりさせられたんだ、腕は鈍っちゃいねえなあ」


今だ。

その感覚はとても唐突で、彼女の口からこぼれてしまったのは仕方がない事だった。


「ブンブクって、鍋狸じゃなくて、本物?」


「おい、言い方が変だぞ、本物って何の本物だって言いたいんだ?」


くるりとした瞳が、愛嬌をたたえて彼女を見る。

何を言いだすのか待っている顔だ。

鶴は、大きく呼吸して一気に言った。


「悪獣、狸の」


「そうだぞ? 何だ、ずっと気付いてたのかと思ってたんだけど、気付いてなかったのかい」


「……気付いていると思ってたの」


鶴は本物の狸を見た事がないし、何より、爺様を大事だと言っていたブンブクが、悪いものに思えなかったのだ。

その状態で、鍋狸ブンブクが、本物の悪獣で、人を化かす狸だなんて思えない。

確かに、狸と称せるのだから、ブンブクの好きな食べ物は、狸に類似するとは思ったけれども。


「修二郎は最初から知ってたしな。で、つるはどうするんだ」


「どうって」


「おいらはブンブク、化け狸。つるはおいらをどうしたい?」


どうしたい。言われてしまって何と言えばいいのか、鶴は答えられなかった。

呼吸が浅くなり、何を言えばいいのかわからなくなる。

それだというのに、ブンブクの視線は、強く、そして彼女が目をそらす事を許さない。

嘘は、つけない。


「なんにもしない」


「へえ?」


ブンブクが面白そうだと言い出しそうな顔になる。

鶴は思っている事をその場で喋る。


「だって爺様の友達だったんでしょう、酷い悪さはしていないんでしょう。追い出したりしないわよ。ただ」


「ただ?」


「鍋狸に化けるのがすごく疲れるんだったら、他のもっと楽な姿になっていいから」


ブンブクがそれを聞いて笑い出す。笑い出した声が大きくなっていき、ついには大笑いになる。

そしてひいひい言うほど笑った所で、鶴の体は楽になった。

本当にブンブクは、嘘をつかないように何かしていたのだろうか。

そんな事を少し考えた後、鶴は聞いた。


「……でも何で、悪獣狸が、悪獣除けの結界の中に堂々と入ってこられるの」


「七十年人を殺したり傷つけたりしてねえからだろ! あー、おかしい。まさか楽な姿になっていいなんて言われるとは思わなかったぜ! 気持ち悪いから出て行け、とかは覚悟してたんだけどなあ」


げらげら笑った鍋狸は、そこで彼女に前足を伸ばす。


「そうなら、おいらの子分とかが、遊びに来ても怒らねえか? 宴会しても」


「ご近所に迷惑のかからない範囲でやってね……? 迷惑かけたら捕まっちゃうから」


「おいらたちはそんな不手際はしねえ」


言い切った鍋狸が、鶴に優しい声で言う。


「飯、そろそろ出来上がるんだ。冷めちまうから手を洗っておいで」

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