第34話 狸と爺様が合体すると洒落にならないらしい
そんな風に一度銭湯が閉められて、そこで鶴は食事という運びになった。
だがいつも通りというわけには行かないのは、無論鍋狸ブンブクが、目も覚めるような恰好いい、ほれぼれするような男になってしまっているからである。
こんな男、何度見ても何度見ても、ちょっとした動作にどきりとしてしまうのだ。
めまいがしそうな美形、なんて物、鶴は今まで間近にいた事がなかったため、対応しにくいのだ。
ましてその正体が、毛深い狸というわけであれば、認識と外見の齟齬という奴で、本当にしゃれにならない。
いつも通り鼻歌を歌いながら、ブンブクはどんぶり茶碗にご飯を盛っている。
楽しそうだ。
「このなりだと、茶碗を持って飯を盛りやすくってなあ、やっぱり人間仕様の物は、人間のなりでやった方が便利に出来てるよな」
にこにことした顔が、これまた恐ろしいくらいに整っているのだ。耳の脇の形まで完璧な、文句の付け所がない男なんて、浮き世離れしすぎている。
「それに、この見た目だと食べこぼししなくって済むんだよ」
両手をあわせて、今日の料理……今日は豚肉とキャベツとモヤシの炒めた物に、目玉焼きが乗っている。青菜と油揚げの煮浸しに、どこか酸っぱい匂いのするぬか漬けらしきもの。それからお味噌汁はわかめと豆腐という一般的なもので、それに白いご飯である。
「何で野菜炒めに目玉焼きを乗せたの」
「この目玉焼きの目玉を崩して、醤油と絡めて、野菜炒めに混ぜるんだよ、行儀は悪いがこれがうまい」
「ふうん……」
「それに、野菜炒めならいっぱい作れるだろ?」
「は?」
何故人数分ではなくて、いっぱい作る必要があるんだろう。
怪訝な顔をした鶴とはちがい、ブンブクはうきうきと楽しそうだ。
「野菜炒めは出来立てが一番うまいけどよ、しなっとしてうまい野菜をつかえば、別物だと思えば十分うまいんだ」
確かに、くたっとした野菜炒めも、おいしいところはおいしい。
しゃきっとした野菜炒めも、おいしいところはおいしい。
「つまり?」
「何の野菜で、どっち向けに作るかで味が決まるようなもんだろ」
すでに目玉焼きを崩して、野菜炒めと絡めて、おおきく口を開けているブンブクの顔に、嘘偽りはなさそうだった。
「つるが、子分が来てもいいっていってくれる、理解ある奴でよかったぜ、さすが修二郎の孫だ」
意味が全く分からないながら、鶴は味噌汁をすすった。
ふわっと柔らかい、丸みのある出汁と、味噌の塩気は、いつもより薄味のような気がする。
「薄い?」
「鶴が疲れてるんだろ、疲れてると味が濃くないとうまく感じねえんだ。でもだからって、全部の料理の味が濃かったら、食えないだろ」
味噌汁は薄目で全体の、調整をしているらしい。
実際に、煮浸しは甘辛いくらい味が濃くて、これだけでおかずになってしまいそうな物だった。
これにご飯と、醤油を垂らした目玉焼きのせの野菜炒めを食べて初めて、ちょうどいい味だ、と思うのだ。
そしてそうなった後に、味噌汁を飲むと、じんわりと身体に吸い込まれていきそうで、これがおいしいという物の極地? と思ってしまうくらいだった。
「そうだ、銭湯の反対に、コインランドリーあっただろ」
「……あったね」
それも業務用の巨大な物が四つも置かれていた。あんなの誰が使うんだろうと思いきや、通り過ぎるときに結構皆さん、お使いのようだった。
「何でも洗える機械だからな。つるも毛布洗いたかったら、この前教えた数字を入れれば、無料だぜ、なんてったってお前は家主なんだから」
「家主特権?」
「家主特権だな、いわば」
ふざけて言ったのに、ブンブクは大まじめに頷いた。
「それと、八時に閉めるんだけど、諸事情でもう少し延びる時もあっから、あんまりカリカリするなよ?」
「うん。でも儲けってでるの?」
「お小遣い稼ぎくらいには、ならぁな」
「なるんだ……」
「結構ご近所の人は、農作業でどろどろだったら、来るし。そんときは間引いた野菜とかも楽しみだな。持ってきてくれる知り合い、結構居たんだよ。昔はそれで代金チャラだったな」
「現物交換だったんだ……」
何という時代を感じさせる物だろう。
物々交換を滅多な事では目にしない鶴にとって、それはかなり強烈な言葉だった。
貨幣経済はどこに行ったのだろう……?
彼女の内心のつっこみも、ブンブクは何のそのである。
味噌汁を口にしてから、当たり前のように煮浸しでご飯を一膳食べきって、新しく盛りながら口にする。
「温泉はつながってて、薪の代金なんてほとんどかからねえし、コインランドリーだって、うちの備え付けの蓄雷器でまかなえちまうし。出費が結構無いようなもんだから、貰った分だけたまるんだ」
「ぜ、税金は……」
「まあそれも払えるくらいには稼ぐぞ? 野菜とか貰ったら食費も浮くしなあ」
ブンブクがそういって話す間に、食卓の皿はきれいに空っぽになっていた。
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