第5話 思い出話は温い匂いがする

だがしかし、鶴が本日寝袋で寝ることは叶わなかった。

というのも、鍋狸が顔をしかめて、ずいぶんと失礼なことを言い放ったのだ。


「おい、おいらの用意した仮お布団は気に入らないのか」


「……私の分も借りてくれたの」


「家主様どうしてどうして、そんなよれよれんのくったびれきった寝袋に何日も寝かせなきゃならないんだおいらは? そんな寂しい事させるなんて思うんじゃねえよ」


鍋狸にとって、家主がロフトでこのくたびれ切った使い込まれた寝袋で眠る事は、寂しい事らしい。

この鍋狸の基準はいまいちよくわからない鶴だったが、ブンブクの借りたという布団はふわふわとしていて、程よい弾力で体を包み込み、それはいいお布団だった。


「こんなお布団、実家でも使った事がない」


鶴の両親は、家と縁を切ったような物だったため、鶴の実家はあまり贅沢の出来ない環境だった。

父方の両親は早くに亡くなっていて、それもあって甘やかしてくれる祖父母、と言う物を鶴は修二郎しか知らない。

しかし規格外の資産家であった修二郎は、鶴を自宅に連れて行ってくれる事もなかったし、よくあるおじいちゃんの家にお泊り、という子供の頃の記憶を、鶴は持ち合わせていなかった。

そのため、いいお布団と言う物に縁がなかった彼女にとって、この鍋狸の用意した仮のお布団は、記憶の底をさらっても一等賞のお布団間違いなしだった。


「そうかいそうかい、でももっといい布団を用意させてるから、楽しみにしてくれよ」


「ブンブク、そのお金はどこから支給されているのかな?」


「米と一緒で、おいらにも付き合いってのがあるんだよ、その付き合いの中に含まれてるだけだ、金の心配なんてしなくていい」


鍋狸はちょっと胸を張る様子を見せ、


「疲れてるなら早く寝ろ、寝ないと疲れなんてなくならないんだからな! 修二郎の奴は寝坊助もいい所で、何にもしなくっていい日なんていったら日がな一日、おいらに家事をまかせっきりで布団でごろごろしてたんだぜ」


「いきなり教えられる爺様の思い出話が、あまりにもぐうたらすぎる!」


鶴は修二郎のそう言った物を、見聞きしたことがないため、あまりの中身に笑いが止まらなくなった。

それはいい休日だ。そしてブンブクは笑ってるし、思い出話としてそれは懐かしいいい物なのだろう。

この鍋狸が、爺様の嫌いな所をいきなり、孫に話すとも思えなかった。


「鶴の持ち物ってあのちんまりした鞄だけなんだろう、気に入りの肌掛けとかはなかったのか、大事な枕とかは」


「それを聞くと、爺様がいかにそういう物を持っていたのかが知れるね……」


鶴は肩をすくめて言った。


「借家を追い出されたって話をしたでしょう、その時に家にあるもの皆取られちゃったのよ。掃除代変わりとか言って。いきなりのことだったから、貴重品とかくらいしか、持って出られなかったの」


「ひでえ話だな、それは」


「だから、爺様が死んだ後の、遺産相続に呼ばれた時は、ああ、ちょっとましな家とか何か、爺様が私のために残してくれたんじゃないかって思ったのに……」


言いかけて、ブンブクに失礼では、と思う間もなく、狸が言葉を続けた。

にやりといたずらっけ満載の表情で。


「こんな荒れ果て切ったオンボロにしか見えない外側の、厨だったってか? でも鶴、考えようによってはものすごく幸運だぜ、鶴は」


「なんで?」


「おいらという、家事全般何でもこなせる有能な家政夫つきの何でもそろった家に入れたんだからよ」


「でも外側が」


「外側は人間避けに、入っても何のうま味もないように見せてあるだけさ。人によって見た感じが大きく違うし、その人間が一番入りたくないぼろさの外装に見えるように、調整がかけてある。ああ、なんかの機械で写し取ろうとしても、無駄さ。そんな物で写し取った場合、機械の中身が焼き切れる」


「何でそんな造りになってるの」


「修二郎の秘密の厨だったからさ。秘密のままにしておきたかったものだから、余計な奴らが興味だの邪推だので入ってくるのを嫌がった。嫁さんにだって内緒だったんだから」


「おばあちゃんにも? ここは内緒だったの?」


「そうさ。修二郎にとって、嫁さんと一緒の時間は何よりもすばらしかったんだが、時々大喧嘩になった時、人生経験豊かなおいらに、嫁さんへの謝り方を相談したかったんだ。だから秘密にしてあった。嫁さんのために、一生懸命に嫁さんがおいしいって言ってくれる飯を練習するあいつの、背中は笑えたなあ」


この狸鍋は、かなりの長生きなのか、と鶴は知った。

祖父修二郎の嫁さんと言える女性は、早々に亡くなったのだ。

それを知っているという事は、この鍋、八十は越えている。


「爺様とおばあちゃんって、死ぬまでいちゃいちゃしてたって聞いてたけど」


「まあな。嫁さんはだいぶ早く死んだからな。お前は修二郎とその嫁さんの血筋の匂いがちゃんとするぜ。修二郎は嫁さんが四十前に死んじまったから。その後愛人こさえて子供作って、結果どろっどろの遺産相続争いを作っちまったけど、子供も孫も全員愛してたぜ」


「母さんが言ってたよ。母さん爺様の一番目の奥さんの子供だから、その後の兄弟に憎まれてたって」


二番目三番目の奥さんの子供たちだって、きちんとした教育を受けたし、父親として祖父は時間が許す限り向き合って来たと聞いているのに、彼等は母を毛嫌いしたのだ。


「それは兄弟たちのやっかみだろう。嫁に行ったら縁でも切られたか?」


「……母さん、適齢期越えても結婚しなかったから、兄弟に無理やり縁組されて、当時家の使用人だった父さんと手に手を取って逃げたって。だから家系図から消されたって」


「はっはっは! そっか、じゃあお前の母ちゃんは、あのおてんばだった二番目か! 修二郎が笑ってたぜ、兄弟全員を相手取って、脱走劇なんてさすがわたしの子供だって。修二郎はその後もお前の母ちゃんとは交流があっただろう」


「あった。爺様いわく、一番優先順位が低くしなきゃいけなかったらしいけど、会いに来れる時は来てた。……その時のお土産が、私はものすごく楽しみだったね」


「ああ、あいつがとっておきの金平糖を手土産にしてたんだろう。あれは修二郎のとびっきりでな、嫁さんに求婚して、うんって言ってもらうために探し出したって思い出付きだ」


色とりどりの砂糖菓子に、そんな思い出があったとは。鶴は今まで知らなかったが、母は知っていたのだろうか。

数年前に事故で、父もろとも死んでしまった母に、尋ねる手段はもうどこにもなかった。


「さて、いろんな思い出話を聞きたいかもしれないけど、寝ろ、寝ろ! 寝られないなら分福茶釜の最強の子守歌を聞かせてやるさ」


「最強なの?」


「仲間内で、これに勝つ子守歌はないって太鼓判推してもらった」


鍋狸に仲間がいたのか……と思いながらも、実際に疲れていた鶴は、布団にもぐりこんだ。

眠りはあっという間に訪れて、いつ矢田部がロフトに上がってきたのかも、気付かないほどだった。

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