第45話 通りすがりに見た色男は
「ああ今日のご飯は何にしましょう……」
その時舞は疲れていた。何しろ鑑定大会のための用意で、総務課は死ぬほど忙しく、申請なども大量にあったためにそれの処理は並の仕事量でもなかったのだ。
そして舞は何かと仕事を頼まれる、いわゆるできる女子だったため、他の女性よりも、ずいぶんと仕事を多く回されていたのだ。
「加藤さんと比べちゃいけないけど……この仕事量は本当にブラック一歩手前よね……」
舞は、自分をはるかに上回る計算の仕事や契約書、それから雑務を回されている、隣の席の女の子を思い浮かべた。
彼女は疲れた顔を見せる物の、絶対にそれらの締め切りを破った事もなければ、納期を遅らせた事もない。
やれと言われた事は確実に期限内に仕上げる、といった能力に特化した、実に優秀な彼女、加藤鶴。
彼女は初めに見た時から、ちょっと変わった女の子だった。
何しろ、女性関係の多さで知られた、結界張りの能力以外にいい所が顔だけしかない、と陰で言われている男、矢田部の彼女を二年以上続けていて、その女性問題に巻き込まれた事が一度もない、という時点で、変わっているのは明らかだった。
普通に考えれば、嫉妬やその他もろもろに巻き込まれて、刃傷沙汰になるのが、女性関係という物と修羅場なのである。
加藤鶴はそれらに全く関わらなかった。
いいや、それらが全く影響しない位置に、彼女は最初から立っていたのだ。
時折彼女が、自宅に戻り、矢田部の荷物や着替えを、病院に運んでいた事は舞も知っている。
矢田部が着替えなどを置いている時点で、かなり近い位置にいる女の子なのだな、とは思っていたし、当人たちから、彼氏彼女だと聞かされても、納得しかしなかった。
だがしかし、加藤鶴は変わっていた。だって一度も、女性関係の修羅場に巻き込まれた事がないからだ。
彼女はいつでも傍観者の位置に立っていて、矢田部に何か頼まれた時にだけ、いそいそと荷物を持っていっていたのだ。
これで本当にいいのかしら、彼女たちの恋人関係は間違っているんじゃないかしら。
舞は何度も思ったが、当人たちが何の問題もなくその日常を回していたので、口を挟まなかったのだ。
挟むほど親しい間柄でもなかったのだし。
その関係が崩れたのは、いつからだっただろう。
舞はそんな事を考えて、他人の事なんて考えても、しょうがないでしょ、と意識を切り替えた。
さて今日のご飯は何にしようかしら。いつものお店に行こうかしら。
そんな風に考えて、彼女が顔を上げた時だ。
彼女の歩く通りが、やけにざわついている事に気が付いたのは。
そしてざわつく人々の視線を一身に浴びているのは、一人の着流しをまとった男だった。
彼は実に男前の姿をしていて、立っているだけで存在感は普通ではない。
どこをどうあら捜ししても、粗がまったく見つからない見た目をしていて、おまけに笑顔が大変に明るい。
その笑顔で惣菜店のお婆さんに話しかけ、にこにこと人好きのする笑顔のまま、おまけをもらっている。
それをその場の近くで広げ、うまいうまいとほおばっている顔は、幸せそうで、このお店の食べ物ってそんなに美味しいのだろうか、と思わせる吸引力を持っていた。
実際に、彼の夢中で食べる顔を見て、その惣菜店に老若男女問わず並び始めるほどだ。
そこで行列の邪魔になったと思ったのか、その男性は手を持っていた懐紙か何かで丁寧にぬぐったと思えば、もう颯爽と去っていく。片手に買い物かごを携えて、彼は大通りを、魚がすいすいと泳ぐように抜けていく。
舞が視線で追ってしまったのは仕方がない。
それ位に、文句なしに格好良くて、さらに立ち振る舞いも洗練されていて、一体どこの舞台から飛び出してきたのだろう、と思わせるだけの引力を、その男性が持っていたのだ。
そんな男性に目を奪われない女性が、いないわけがないのだ。
ただし、彼に話しかける女性はいない。たぶんその見た目の華やかさなどから、どうしても声がかけられないのだろう、と舞は判断した。
その男性は惣菜店の後は、魚屋を覗いたり、八百屋を覗いたり、肉屋に話しかけたりして、食材を買っていく。
珍しい事に、その男性は自炊をする様子だ。
自炊する男性、というだけでもかなり魅力は増すのに、それがとんでもなくいい男、という事もあり、彼が通り抜けた後、彼を視線で追いかける人間は、後を絶たない。
一体誰かしら、あの男性は……と舞が思った時だ。
「分三郎さん! 買い物行くって聞いたけれど、買いに行く必要があるものってあったの?」
「ちっとな。たまには出来立ての揚げ物食べたいだろ? おいらは食べたいな」
彼に声をかけた女子がいる。
そして舞は目を見張ったのだ。
それが、総務課の絶対に締め切りを守る事で知られた、加藤鶴だったのだから。
加藤さん、と舞は呼びかけそうになって、その声をかける事をためらった。
それは美貌の男性と、加藤鶴が、あまりにも親しそうに、楽しそうに喋っているためだ。
邪魔できない、と思ったのだ。
彼等は何か楽しそうに喋りながら、男性の買い物袋を加藤鶴が覗きこみ、何か言い、男性が何か手ぶりを交えて話している。
その親しさは、友人よりもずっと近い位置、そう、彼氏と彼女のようだった。
「……イケメンの彼氏なんて、加藤さんいつ作ったのかしら……」
今度聞いてみよう、彼氏自慢は女の子がしたい話題の一つだし。
舞はそう思って、その男性が立ち寄った惣菜店の行列に並んだ。
彼が相好を崩して食べた揚げ物の味が、知りたかったので。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます