第23話 明日は祭り、布団は後日

一週間、酷く激戦の一週間だった。

とにかく下準備に追われ続けていた総務課である。事務課とも呼ばれるそこは、とにかくたくさんの申請などの処理を行い、さらには鑑定集団のための宿泊施設なども手配し、場所を確保し人員を確保し、警備のための人数も考え、集客率まで計算し……とにかく、計算ごとが多い週だった。

鶴はその計算能力をとにかく使う事になり、頭がすっからかんになってしまい、この週の事をあまり記憶していない。

ただ鍋狸が、甲斐甲斐しく世話を焼き、心配し、栄養のある食事を与えていたのは間違いなく、さらにきちんと休息させていたのも間違いのない事だった。


「まさか最後の最後に、鑑定集団の宿泊施設がガス爆発で一部壊れたとか信じたくない」


「でも手配できたんだろう、新しい場所」


「うん、まあ手配したよ……舞さんの伝で。本当によかった」


鶴はぐったりした様子で椅子に体を預け、目を閉じている。

鍋狸の脇では、調温家雷が、ちんと軽い音を立てる。鍋狸がいそいそと、そこから湯気の立ち上るほと熱い蒸しタオルを取り出してくる。


「疲れた時はこれもいいぜ、先に目玉を休ませるんだ。顔に乗せるとてきめんだって、修二郎が言ってたぞ」


「調温家雷で、蒸しタオル作るなんて思わなかった、ブンブクって割とハイテクだね」


「知り合いがすぐに用意するもんだから、やり方を聞いた事があるんだよ。簡単だから覚えてんだ。たったこれっぱかりの気遣いで、心が救われる奴もいる」


鶴はほかほかと湯気を立てている蒸しタオルを顔に乗せる。じんわりとした温かさが、瞼から眼球に染み渡るような気がして、とても気持ちがいい。

算盤とそれから、提出書類とにらみ合いをしていた彼女は、大きく息を吐きだした。


「確かにこれ、心に染み渡る暖かさだと思う」


「そいつはよかった。で、つるも瓶の提出書類かいたんだろ。ちゃんと出したか?」


「だした……」


「寝ちまいそうだな、寝る前に風呂に入るんだろ、女の子は風呂が好きだって昔の仲間が言ってた」


その後、ブンブクはええと確か、と言葉を続けた。


「風呂に入って湯船につかった方が美容と健康にいいのよ! だったか、あいつ言ってたの。でもあいつ温泉も大好きだったからなあ……牛乳風呂とかも試してたし」


「それは爺様の知り合い? ブンブクの知り合いに、そういう事しそうな相手が思いつかない」


「だなあ、おいらの仲間たちは牛乳あったら我先に飲むから」


視界が蒸しタオルに覆われていても、ブンブクの声は笑っている。

ブンブクは楽しそうだ。こんな思い出話も好きなのだろう。


「いよいよ明日か……」


鶴は明日の鑑定集団のイベントのことを思った。


「無事に済めばいいんだけど……」


「済むだろ」


「大講堂を貸し切りだから、大講堂周辺で大型の蚤の市になっちゃったのよ。その出店許可がとにかくたくさんあって……あれの処理が本当に大変だった」


「お疲れさん、つるは一杯頑張ってっからえらいよ」


ほら風呂入れ、それからゆっくり布団で寝ればいい。

ブンブクが言った時だ。


「お邪魔します、ブンブク」


外から、聞き慣れない声が響き、それはブンブクを名指しで呼んでいた。


「おお、届いたのか?」


「何か頼んでいたの? ご飯は終わったでしょ」


「家主様に飛び切りの布団を頼んでるって言っただろ、来たのか?」


ブンブクが引き戸のネジ式の鍵を開き、開ける。そこには申し訳なさそうな、胴体が鍋ではないブンブクに似た生き物……これが狸か? と思う生き物が二息歩行で立っている。


「来たのか?」


「ブンブクに先に報告を。頼まれていた物を仕上げたんですが……うっかり子供が粗相をしてしまって」


「お前ら、日向に干して子狸どもがその上に乗っかっちまったんだろ」


「まったくもってその通りで申し訳なく……時間貰えませんか、必ず仕上げます」


「おうとも、家主、専用の布団がもう少し時間かかりそうなんだが、許してくれるか?」


ブンブクが、鶴の知らない顔で、狸と言葉を交わし、鶴を家主と呼ぶ。まあ他人の前というか、他獣の前だから行儀がいいのかも知れない。

取り立てて不満のない布団なので、鶴は頷いた。今まで彼女が使っていた布団よりもずっとふわふわで、気持ちよく眠れる貸し布団なのだから。


「かまわないよ、今使っているのでもいいんだけど」


「あれは貸し布団なので、よろしくありません。家主様は寛大な心を感謝します」


狸はそう言って、一度お辞儀をして、今度は四つ足で素早くかけ去って行った。

どこか遠くで、騎獣が走る鈴の音がしたような気がする。


「悪いなあ、布団に子狸が粗相しちまって」


「いくらでも待てるから大丈夫だけれど……今のが狸? ちゃんとした?」


「ああ、ちゃんとした狸だ」


「なんで悪獣の狸が、結界の中に入れるの?」


「悪さする獣が、結界の外に出されるんだろ、だったら悪さしてない狸は結界の中に入れるって事じゃねえのか、詳しい事は知らねえよ」


「結界ってそんな大雑把なくくりなのかな……」


大雑把だから矢田部が苦労しているのだろうか。

鶴はそんな事を思いながら、今度こそ風呂に入るために、風呂の支度をする事にした。


「ブンブク、いつも風呂掃除大変じゃないの」


「寒くねえし、温泉のかけ流しがあったかくって昼寝したくなるぜ、錆びるけど」

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