第29話 蚤の市
とにかく、のみの市は心が躍ると鶴でさえ思う。
たくさんの色々な物に加えて、食品の出店、ちょっとしたおもちゃなどの縁日によく出てくる露店。
そこはどう見ても楽しくて、何度見ても飽きない。
そして、広い。大講堂の周囲の、許可された区域すべてに、出店がでている状態だ。
最初の許可範囲だけでは、到底、希望者の二割も入れられなかったため、色々なものが上で考えられた結果、今日の広さになっている。
この広さの物であるが故に、とにかく、許可申請の紙の多かったこと多かったこと。
自分だって、同僚だって、何日残業すればいいのだ、と上官にくってかかったほどだ。
その上官もやけっぱちで、終わるまでだと言ったので、上官もかなり疲れていたのだろう。
そんな総務課、通称事務課はとりあえず、順繰りに休暇になる。
有給を使わなければならなかったり、これだけの所定時間では何日分の休暇や半休を出さなければならない、と法律で決まっているからだ。
その中でも、鶴やそのほか複数が、一番はじめに休暇を一度は取る事になっていた。
と言うのも、彼らは算盤片手に延々と処理を行った、計算を中心とするメンツなのだ。
彼らは鶴も含めて、ぼろっぼろなくらいに仕事をしていたため、潰れる前に休暇、と言う運びになったわけだ。
目の下の隈がすごいわよ、と言ったのは、鶴よりもましな勤労時間だった舞や佐伯と言った同僚で、鶴は生返事ばかりしていた記憶があった。
結果、彼女たちから、先に加藤に休暇を、と言われた上官も、思うところがあった様子だ。
鶴は割合厳しい仕事にも、慣れている。だが慣れているからと言って、それをいつまでも強いるのは違う。
と言うわけで、彼女を含めた数人、特に激務だった数名が、鑑定大会が終わった翌日から、三日間の休暇と言う運びになっている。
その間の、鑑定集団の事を任せられているのは、それらに慣れた、社交的な面々である。
舞は大会当日に担当していたため、彼女も無論外れている。
舞もかなり激務だったのだ。警備のための結界の干渉に一役買っているらしい、と言う噂だけ、鶴のところまで入って来ていた。
舞さんすごいな、とは誰が言ったかわからない。さすが北からやってきた優秀な人なだけはあった。
鶴は出店している店を見て回っていた。何がなんだかさっぱりわからないが、それが面白いのだ。
何かわからなくても、面白い見た目の物は面白い。
変な物を売って、お客さんを呼び集めている店も、口上がふるっていて愉快だ。
鶴がそんな事を思いつつ、お店を巡っていた時だ。
いったい何が起きたのだろう。前方のほうで、なにやら騒ぎが起きていた。
「なんだよ、お前が通路はみ出してまで、品物をおいていたのが悪いんじゃないか」
「だからてけっ飛ばして壊すなんておかしいだろ!!」
どうやら、通路をはみ出して商品を並べていた、ルールを守らない出店者の商品を、誰かお客さんが蹴飛ばして壊してしまったらしい。
周りも何だ何だと事の成り行きを見ている。
「俺はただ道を歩いていただけだからな!? ちょっと脇に寄ったら、商品にぶつかっちまっただけだろう!」
「壊したんだから弁償しろ!」
面倒くさいが、誰かを呼んでくるか。鶴は近くで対応をしているはずの同僚を捜した。
その時だ。
「でも、あんた、出店者の誓約書に署名したんだろう。道に出していたら違反で、違反の結果起きた損害については、自己責任って書いてあったはずだろ」
脇から声が聞こえてきて、声の方を誰もが見ると、そこには矢田部が眠たそうに目をこすりながら立っていた。
矢田部も警備か何か、結界のあれこれのための巡回していたのだろうか。
鶴がそんな風に思っていると、矢田部がだめ押しをした。
「道に出した物については責任を負えません。補償もできません。壊した人に賠償責任はありません。誓約書ちゃんと読んでいたらそう書いてあるのがわかったはずだろう」
「お前は何なんだ!」
「城島の職員の一人。結界課だが、そういった誓約書は職員に回されてきてたから、一応目を通していたんだ」
目をこすりつつ言う谷田部。ちゃんと眠れていない様子だが、寝床は確保できていないのだろうか。
欠伸混じりのそれが、ちょっと心配になる。
彼氏ではなくても、気にする事は変ではないのだ。
それを言われた出店者がうなる。
確かに記載されていた事だ。きちんと読めば道にはみ出さなかっただろう。
「それと、さっきからあちこちで似たような強請が起きてるから、注意勧告の放送が鳴ってるんだぜ」
「なんだと! あんた俺を揺すろうとしていたのか?!」
憤る通行人。出店者顔もいきり首を横に振ったが、顔色がすこぶる悪かった。もしかしたら、その目的もあって、道にはみ出させていたのかもしれなかった。
「その意思がないなら、さっさと物を通路から引き上げろ。引き上げるまで見届けるぞ」
矢田部がいい、もう言い訳も何もできなくなった出店者が、道にはみ出していた商品を、店の中に並べ直した。
矢田部はと言うと、出店者の出店番号を手元の紙に書き写し、簡易通信機で、もめた店がどこかを、同僚などに連絡していた。
これで同じ事をまた起こしたら、店を引き上げさせるのだ。
もめないための注意事項をわざと破るなど、常時酌量の余地がなくなってしまう。
それがよく現れた結果だった。
鶴も事の成り行きが決まったため、そこを後にして、次の場所を覗きに向かったのだが、矢田部がこちらを向いて声をかけてきた。
「なんだよ、居たなら加勢してくれよ」
「今日は非番だし休日」
「でも事務課はこう言った物に強いだろ」
声をかけられたため仕方が無く応対すると、矢田部が口をとがらせた。
不満があるらしい。たとえば、こう言った事に慣れている総務課の職員が、加勢してくれなかった事とかだ。
しかし、休みの日まで手伝っていたら、それは休日ではない。
鶴は休みの日だから、口を挟まなかっただけなのだ。
「今日はどこまで」
「蚤の市見物をしたら家に帰るだけだけど」
「ふうん」
矢田部が欠伸をする。本当に眠たそうだが、きちんと仕事ができるのだろうか。
「矢田部、きちんと寝ているの」
お節介だと知っている。そして別れた女が、口に出して世話を焼くなどどこの茶番だ、と思う自分も居た。
だが、きちんと相手が寝ているかどうか、位は気にしていい間柄でいたい、というのは女のエゴなのだろうか。
鶴が一度にいくつもの事を考えたとき、矢田部が答えた。
それはどこまでも簡潔な言葉で、返されたのだ。
「家がない」
家がない。なかなか衝撃的な発言も、矢田部という男がいる課が、あちこちに出張する仕事を行い、そして、そこで宿泊する事実を鑑みれば、家を借りて、家を維持して、帰宅する暇がない、と言う意味だともわかる。
「いつも通り、たくさんいる親しい人に泊めてもらえばいいじゃない」
矢田部は見た目も端正だし、性格もさっぱりとしたもので、そして女の人に優しい。
だからこそ、今まで女性関係が切れた事がないくらい、鶴でもよく知っていた。
いいや、鶴という元カノであるが故に詳しくなったとでも言うのだろうか。
とにかくそういう事だ。
だが矢田部はううん、とうなった後に答えてくる。
「最近仕事の時間が長くって、彼女たちに連絡が取れないから城に泊まり込みなんだよ」
彼女たちに連絡が取れないから、城の仮眠室の寝台を借りて寝泊まりしている、と言う意味だろう。
そして結界課の人間の中には、そういう人種が一定数存在していた。
だが。
「だから、いざという時のために、定住する場所をきちんと持て、とあれほど」
鶴は以前にも、似たような事があった際に言ったのだ。お前の給料なら家政婦さんも頼める。だから小さくても部屋を借りて、疲れた時に眠れる場所を確保しておけ、と言っていたのだ。
仕事場に、所定の寮がないため、そういう形になる訳だ。
それに、住宅手当だって矢田部の仕事ぶりならつくはずなのだ。
鶴も住宅手当をもらう身の上だったが、住んでいた家を追い出されたため、すぐに雨風をしのげる場所が必要と言う事情がいくつか重なって、あの鍋狸の厨で暮らしているだけなのだ。
本気で探せばもっとたくさん、それなりのいい住所が見つかる。
それがお役所仕事の強みでもあった。
少なくとも、仕事がない怪しい奴と言われる事もない。
勤務先に、本当にこいつが居るのかという問い合わせをされても後ろ暗くない。
それに対して矢田部は、
「だっていざとなれば、鶴が泊めてくれただろ今まで」
あきれた。鶴の声にもあきれがにじんでしまったのは仕方がない。
「私と別れた時点で部屋を探せ」
ばっさりと言った鶴に、矢田部が大きくため息をついた。
「部屋を借りるには、前の住所が必要だろ。俺何年も住所無いんだけど」
「それこそ、上官に頭を下げて、保証人になってもらえれば確実な事でしょう。結界課の飛び回る仕事は有名なんだから」
上官に頼め、と言われた時の、矢田部の顔はすごい物だった。
よほど上官に借りを作りたくないらしい。
確かに、結界課の上官は、色っぽい美人で、頭がいい感じがして、取っつきにくそうではある物の、部下のそういった事情なら、協力してくれるはずであった。
「上官に頼むんだったら知り合いのつてを全部使って、借りるわ」
「早くそうしないと、疲労で倒れるだけじゃ済まなくなるよ」
鶴の言葉に、矢田部が欠伸をしながらうなずいた。
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