第7話 何から何まで爺様仕様の弁当

「ご馳走様、皿くらい洗うよ」


「おお、じゃあ頼んだぜ、ぬぐう布巾はこっちの棚の中に山のように突っ込んであるから、じゃんじゃん使え。中途半端に濡れた皿なんてつまらない」


鶴は皿を洗う。鍋狸の使っている洗剤は、見覚えのないものだ。これってどこで売っているモノなんだろう。パッケージなども、あまり見た事のないものだ。

だいたい、洗剤の容器がガラス瓶というあたりで、もはや突っ込みしかない。

しかもこのガラスの瓶は、何故か美しい貝殻模様が施されているのだ。

滑って落として割らないか、鶴は使いながら不安になった。

だが、貝殻模様の程よい出っ張り具合のためか、取りあえず滑って落とす未来は今日はなさそうだった。


「仕事のものはちゃんと持ったか? おいらはお前の洗濯物はやらないからな、覚えておいてくれよ」


「何で念を押すの」


「おいらこれでもオスなんだよ、だから女の子の下着を洗うのは躊躇する。修二郎だったら丸洗いも楽なんだけどなあ。友達と酔っぱらって、あげくどっかの潮だまりに突っ込んできたらしいあいつを、丸洗いするの好きだったなあ」


「ブンブクは世話焼きなのね」


「こんなの習性だ、習性。どうしたって親分肌は面倒見がよくなる。下の奴らの面倒ちゃんと見ないで、どこが親分だって事になるからな」


鶴は意味が分からなかったものの、この鍋狸にはなぜかそんな矜持があるらしい、という事だけは理解した。

皿を洗い、ぬぐって棚に片づけていく。場所は適当でいい、と言われたから気楽に片づけられた。

昨日よりも早めに仕事へ行く準備が整う。鶴は荷物とともに渡された弁当の包みを持ち、オンボロ小屋をでた。


「いってきます」


「事故に巻き込まれるなよ、危なくなったらいつでもいい、おいらの名前でも呼んでみろ」


「鍋狸の名前を呼ぶ事にはならないでしょう」


鍋で狸なこの存在が、かなりの術により生み出されており、術の制御装置としてはかなり完成されているとわかっていても、こんなものを早々外に呼び出せるわけがない。

鶴はそう言った意味で賢明だった。





今日も今日とて事務作業、その他の名簿などの作成にくわえて、新たな結界のほころびの範囲などの報告の清書、保存用の資料に記載するための、報告者たちの乱雑な文字の解読などを行っていた鶴は、隣の舞が声をかけてきたため、一度仕事の手を止めた。


「ねえ、やっぱり南は北や東に比べて、安全な旅行先だって言う話みたいね」


「なんでまたそんな事を言いだすの。今仕事中だけれど」


「仕事にかかわりがあるから言っているのよ。ほら北の公子様たちは、学年末に他の地方に両行に行くでしょう、その際にどこがいいかって話になったらしいの」


舞はそう言えば、北から派遣されてきた人だった、と鶴は思い出す。


「そしてやっぱり南になるらしいの。ほかの地方が一生懸命に勧誘しても、南は獣気が信じられないくらい薄いし、町とか村の外の行路で、出現する悪獣たちもわりあい大人しいから」


本来悪獣と出会ったら、とにかく逃げなければならないとされている。

悪獣のほとんどは、人間と見たら食い殺してしまうと言われているのだ。

しかし、南の悪獣は一味も二味も違う事をする。


「被害届として一番多いのは、道に迷って難儀していて、気が付いたら大きな国道についていて、その代わり鞄の中に入っていた食料が全部とられていたって被害だものね」


南の悪獣が行う悪事は、だいたいが食べ物だけ取って行ってしまうという悪事だ。

取りあえず死人は出ない事が、しばらくの間続いている。


「場合によっては、山の中で命に関わる遭難をしていたのに、鞄の中身の食べ物だけ抜き取られて、捜索隊の騎獣の荷車に乗せられていたって話もあるわよね」


「盗難って言っても、食料だけだし、命を助けているし、悪獣のやってることにしてはかなり優しいって事で、南は悪獣に対してあたりが優しいからね」


何か起きても、被害にあうのは食べ物だけという事もあり、南の人間の悪獣に対する意識は他の地域と比べて甘いのは確かだ。


「でもすごいのになると、まずい食べ物しか入れてなかったから、一番人家に近い糞だまりに突っ込まれていたって話よね」


「だいたいそういう人って、後ろ暗い所がある事しているから、あんまり被害届出さないしね」


鶴はぱらぱらと資料をめくりながら、文字などにミスがないか確認しながら続ける。


「なんで南の悪獣は、こんなに悪さの中身がかわいいんだろうね」


「歴史に名をとどろかせる、四大悪獣の一匹、鍛冶鉄鎚の大狸が支配している地域のはずなのにね、他の地域と比べるとすごく平和」


「……舞さん詳しいね」


「あなた小等学校で習わなかったの? 獣気を吐き出す悪獣の中でも、東西南北四箇所に根城を持つ四大悪獣の話」


「世界には四匹、実力の拮抗する凶悪な悪獣がいるって話でしょう。そういう話だけは習ったよ」


「ええ、南って四大悪獣の特徴とかも習わないのね……やっぱり平和な地域だから、具体的に習わなくなっちゃったのかしら」


言われた鶴は、そこまでわからなかったため首をひねった。


「分からないけれど、地域差ってものじゃないかな。結界張りを目指す人は、ある程度習っていくだろうし。南のそこまででもない一般人は、あんまり覚えないだけで」


「結界部門に聞いてみようかしらね……」


舞は懐疑的な声だったが、話題はそれで一応終わった。二人は作業に集中する。頭上を書類などが飛び交っていく。

昼休憩の鐘がややあって響き、鶴は鍋狸に渡された弁当箱を広げた。

何故か鍋狸の弁当箱は、可愛げの欠片もない金属製の物で、二と本体のどちらにも、小さな打ち出しで修二郎と刻まれていた。


「爺様の弁当箱だったのか……」


あの爺様が弁当箱を持っていた時代は、一体何年前なのだろう、と思いつつ、鶴はふたを開けた。

ある程度の食べやすさを考えたらしい、一口程度の大きさで段が付けられているご飯は、ぱらぱらと黒いゴマが散っている。やや茶色の多い卵焼きと、キャベツを何か調理したもの、ひじきの和え物らしきもの。


「これは……爺様の趣味だ……」


その見た目の地味さは何となく思い当たるものがあり、鶴は爺様の好きだったものだ、と記憶をあさって思い出す。

甘い卵焼き、キャベツに火を通して鰹節であえてから、ちょっと酢醤油をたらしたもの、それからひじきと油揚げを甘じょっぱく煮たもの。

まさかと思って、ゴマの散るご飯がめくれるか見てみると、やはり、ごはんは二段構造になっていて、白いお米の間に、焼き魚をほぐしたものが挟まっていた。


「皆爺様が好きだったものだこれ」


ばあ様の作るものが一番だったという、南の味付けがされている。南は砂糖と醤油と味噌を主体にした味付けをするのだ。

鍋狸は、きっと鶴の味の好みがわからないから、無難な味の食べ物を選んだのだ。

それにしても、細かい気遣いがされている弁当で、キャベツは食べこぼさないような細切り、ひじきの和え物は食べやすいだろう長ひじき、油揚げもそうだ。

まるでぼろぼろ食べこぼす、誰かさんのための料理の様で、爺様はこう言った場所で甘やかされて生きていたのだな、と知る。

甘い卵焼きは、優しいバターの匂いがした。そう言えば、小さなバターもお使いで買ったし、卵も買ったな、と思い出す。

ひじきと油揚げはしっとりと水分はあるものの、時間を経過して味がしみ込むように考えられている。

ご飯の間の焼き魚は、ご飯と口に入れて一番おいしいように、塩気が調整されていた。ご飯の分かりやすい甘みの中に、ほろほろとほどける魚の塩気と醤油の味が、なんとも言えなかった。


「これより、ばあ様のご飯が好きだったんだ、爺様」


あの世界に一匹しかいなさそうな鍋の狸は、そんなばあ様と腕を張りあっていたのだろうか。

そんな事を思った。

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