第9話 傘があっても濡れる問題

舞はしきりと傘の中を見上げているが、鶴からすれば何がそんなに興味深いのかわからない。


「舞さん、何か気になる? もしかしてこの傘、実は雨漏りしてるとか?」


爺様の台所に置きっぱなしにされていた傘である。

その可能性はありえる話だった。

せっかく入ってもらったのに、濡れてしまっては意味がない。

そんな事が声から伝わったのか、舞が笑って首を振った。


「この傘、かなり名品みたいだから」


名品、と言われても鶴にその価値はわからない。おそらく爺様の傘であった、それだけしかわからない。

と言うのも、親戚たちは鶴に、価値のあるものを何一つよこさなかったという事実があるからだ。

爺様の台所にあったのだから、変なものである可能性は高い。

それは鍋狸ブンブクからも理解できるだろう。

もしかしてブンブクと同じように、この傘は喋ったり目玉が出てきたりするのだろうか、だから柄がこんなにも重いのだろうか。

そんなふうな、若干抜けた事を考えた鶴に、舞が言う。


「北の地域との境に、これによく似た傘を作る職人がいたというの。今ではもう、その村では誰も、傘の一本も作らないのだけど」


「なんで?」


「職人が引退してしまったからよ」


「職人に引退があるんだ」


職人は永遠に技を極めようとするものだと思っていたため、鶴には意外な言葉だった。

しかし理由があったようだ。舞が少し目を細めた後、理由を思い出したらしい。


「結構なお歳だったから、眼が悪くて細かい物が組めなくなったと聞いているわ」


そう言われたからか、傘を見上げると、傘の上部は竹が芸術的なまでに組まれており、確かにこれを組むのは大変そうだと思う物があった。

だが舞はどうして、今は誰も作らない傘に詳しいのだろう。


「舞さんはなんで詳しいの?」


「北にいた頃、上司がそこの傘を欲しがって、一緒に行かされたの、その村まで」


「またどうして一緒に。もしかして、舞さんが悪獣除けの術がうまいから?」


舞と最初に会った時、特技だと見せられたのだ。鶴は彼女の悪獣除けがあまりにも見事だったから、どうして事務作業の多い職場に来たのかわからなかったのだが、舞は北でまっくろくろすけな勤務時間の結果、体を壊してしまって、南まで来たのだと教えられた。

時折街の近辺で起きる、食料だけ鞄の中から奪われてしまった被害というものの対策として、舞も見回りに行く事もある。

しかし、舞の本業は事務作業となっていて、やたらに駆り出される事はない。

その特技のためか、と思うと、彼女が薄く笑った。


「私って綺麗でしょう。綺麗で悪獣除けが上手となったら、いろんな場面で説得力があるのよ」


そのいろんな場面が想像できず、鶴は首を傾げたものの、あえて深くは尋ねない。

舞にだって言いたくない事の一つや二つはあるはずだ。

あえて嫌な思い出を思い出させるのもなんとなく、悪い気がした。


「そう。道中安全みたいなものよ。で、上司は職人が引退して、造りだめ指定高さもすべて売り切れていたって事で、かなり怒ったのよ。さらに上の上司の娘さんの結婚祝いとして、送りたかったらしいのよね」


「傘を?」


「北では、雪を強い力のある霊的な物、ととらえることもあるの。それを防ぐ傘は、俗っぽく言えば魔除けになるって事で、ここぞという時の贈り物になったのよね」


「へええ……」


所かわれば品変わる、と言った所だろう。鶴はそんな感想を抱いた後、また傘の中の星図を見て言った。


「でも、この傘けっこうぼろだし、すごく使い込んであるし、贈答用だろうそこの傘とは、きっと違う」


「その村で作られていた傘は、こんなに柄が擦り切れるほど、使い込む品物じゃなかったから……そうね、きっと」


舞は自分を納得させるために、声に出して言ったようだった。

そんな話をしているうちに、舞の暮らす高層建築の前まで来てしまった。

高層といっても、空を飛ぶ騎獣のための高さ制限で、四階までしかない住宅だが、城島で四階は、十分高層建築だ。

割とある少女小説なんかだと、最上階に暮らす金持ちのイケメンが、これまたエリートの象徴である竜に乗せて、ヒロインを連れて来る描写も多い。

乙女のあこがれは城島の四階、とは笑い話にもならないよくある話だった。


「ここまで送ってくれてありがとう、鶴さん」


「いいよいいよ、ここから船着き場まで一本道だから」


「お茶しかないけど、飲んでいく?」


「舞さんの話楽しいから、船の最終便に間に合わなくなっちゃう」


鶴が茶化すと、舞がころころと笑った。話が楽しいとは褒め言葉でしかない。


「ありがとう、それじゃあね」


「じゃあまた来週」


鶴は彼女が建築の中に入るのまで見送り、さて船に乗るか、と雨でよく滑る石畳を、慎重に仕事用の靴で下って行った。






船は出航ぎりぎりに乗り込め、ほうっと息を吐きだすと、城島の灯りが湖に反射して、曇り空で暗いなか、一層綺麗なものだった。


「私もあそこに住んでたんだけれどな……」


つい、家財道具さえ持ち出しを許さずに、追い出した家主に対しての恨みが出てきたが、幸い誰も聞いていなかった。

雨が降っていると、いくら雨除けがあるとはいえ、甲板にわざわざ出る乗客は少なかったのだ。

鶴は駆け込んだ結果、なんとなくそこに立っていただけである。


「……」


鶴はまた城島の光を見つめ、それからどうして、修二郎は城島の外に、秘密の台所を持ったのだろうと疑問に思った。

爺様、つまり修二郎なら、城島の中にだって、秘密の台所くらい借りられただろう。

彼は若いうちから頭角を示し、すさまじい勢いで上がったり下がったりしながら、その資産を巨万の富と言われるほど増やした男だ。

城島の外の方が、税金が安いとかそんな理由で、外側に厨を作るけち臭さはなかったはずで。


「……ブンブクがいたから?」


そうとしか思えない。ブンブクと言う、あらゆる意味で規格外の鍋があったから、それを隠すために外側に建てるしかなかったんじゃないだろうか。

ああ、こんなものをいちいち考えるよりも、ブンブク本人に聞いた方が早い。

彼女は頭を振って、考えを払った。払った途端に空腹が強く感じられ、今日の夕飯は何だろう、と言う方向に、思考が向かっていった。

それに注意が向きすぎていたのだろう。鶴は不意に風にあおられた船が、ばしゃりと上げた飛沫をもろに浴び、あっという間にびしょぬれになってしまった。


「……つめた……っ」


「お客様大丈夫ですか!」


その一部始終を乗務員に見られていたらしい。乗務員の男性が、常備品だろうタオルを片手にやってきた。


「この時期の船は、風で結構水が甲板に飛ぶんです。怪我とかは」


「怪我はないです、ああ、荷物拭いていいですか……」


「はい、どうぞ!」


鶴はびしょぬれになった鞄を拭き、がっつり中身を防水の袋に入れていてよかった、と思った。

入れるのはやや手間がかかるが、濡らした後の方が面倒くさいため、彼女は鞄の中身の一切を、防水袋に入れている。


「傘渡されてこれじゃあ漫才」


ブンブクはきっと、何で濡れているんだと聞いてくるだろう。

あれだけ世話焼きだから、それ位は言うに違いないと、なんとなく感じながら、鶴は船着き場を降りる事になった。

雨の中と言っても、市場はにぎわっている。この時間帯だ、夜市と言われるような、朝市とはまた違った物を売り買いする市場である。

そこで綺麗な女性たちが、自分の働く居酒屋に客を呼ぶべく、声をかけている。

鶴は帰宅しかない。こんなにもずぶぬれでどこかの店になど入れないので、声をかけてくる人々をいつも通りにやり過ごし、市場からもその周囲の住宅地からもやや離れた、オンボロ小屋に向かう。

ぼろ屋の中からは、少し明かりが透けて見えるが、この明かりもまた、普通の人には見えないように何らかの術が働いているのだろうか。

そんな風に思った時だ。

風が一層冷たく吹き付けてきたため、これ以上外にいると本格的に風邪をひきかねない、と鶴は大慌てで玄関の引き戸を開いた。


「なんでぇ、鶴。びちょびちょじゃないか、ちょっと待ってろ、足ふきとか持ってきてやるから」


引き戸を開けた途端に、まるで出迎えに来たかのようにブンブクが三和土の前に座り込んでいて、誰がどう見てもびっちょびちょな彼女に目を丸くした。


「傘はちゃんとうちのが渡しに言っただろう」


「船の甲板で、こう……水飛沫がかかって」


「あー、なんかどっかで聞いた事があるぞそれ。いつだったか修二郎もおんなじ事やったな。あんときは、嫁さんがぷりぷりしながら手ぬぐいとか、渡してくれたってのろけられた」


小さな足音の一つもたてずに、ブンブクは玄関の据え付けの靴箱の中から、何枚ものタオルや手ぬぐいを出してくる。


「そこに入れるの」


「修二郎もその友達も、おいらの知り合いも、結構な割合で汚れたままここに来るもんだからな、ここに入れておくのが正解なんだよ」


「……洗ったの何年前」


渡されたタオルに問いかけると、失礼だな、と言わんばかりにブンブクが答える。


「おととい晴れたからタオルは全部洗ったぜ、ちゃんとお日様のいい匂いがするだろ」


言われるがままにタオルに鼻を近づけると、確かに洗いたての洗濯物の匂いがした。


「洗濯機があるの」


「手洗でもいいんだけどなあ、雷気式の洗濯機はいつだって便利だ。修二郎はここにもちゃんと置いたんだよ」


そういう物か、と鶴は納得した。そして取りあえず自分と鞄とをぬぐってから、靴下も脱いで、濡れて冷えた足先をタオルで包んだ。

柔らかいタオルの気持ちよさは、いつでもいいものだと思える。


「飯はどこかで食べてきたか? 週末はどこかで買い食いするのが修二郎と嫁さんの楽しみだった」


「ブンブクが何か作ってたら悪いかな、と思ったし、連絡もなしに帰らないのも、どうかと思って」


「鶴はいい子だな。そういう時は、その辺の据え付けの雷話で、この番号を入れて、留守電にご飯は食べて来るって入れてくれよ」


ブンブクはそう言いながら、玄関に張り付けられていた、何かの数字の羅列を見せる。


「……これおかしくない」


「どこが」


「電話番号なんでしょう、なのに数字が五桁も多い」


「電話番号に見せかけた術式だからな」


「じゅつしき」


「据え付けの雷話は銅貨一枚分の料金がかかるだろ、でもこの術式なら、銅貨一枚分使わなくても、ここに連絡が出来るからな」


「誰がそんな術式考えたの」


それは、もともと存在する雷話の術に干渉するという、相当に高度な術である。

天才的に能力が高くなければ、そんな事できやしないだろうという彼女の予想に、ブンブクはあっけらかんと答えた。


「修二郎の知り合いの、そういうの大好きだった研究者」


ブンブクにはそれ以上の情報がないのか、それより詳しくは教えてくれない。

鶴があらかた体や服を拭き終わると、ブンブクは言った。


「先に風呂に入ってくれ、その間に何個かおかずとか用意するから」


三十分は入るだろう、と問われて、頷くとブンブクはしみじみと言った。


「修二郎は烏の行水だったからな……飯出来る前に風呂から出て、つまみ食いばっかりしたんだ、嫁さん貰う前は」


「ばあちゃんのご飯もつまみ食いして怒られたって言ってたっけ」


「あいつつまみ食いが過ぎるんだよ……」


そんな会話をしながらも、鶴は隠し扉を開けて、風呂というか浴場と言うべき場所に、入った。

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