第16話 家族が欲しかった寂しがり
「別れた相手の家に寝泊りできるほど、俺、面の皮厚くないんだよ。……じゃあな、鶴、今まで色々ありがとう」
別れると決まってすぐに、矢田部は目に見えて落ち込んだ顔をして、家を去って行った。
それを見送った鶴は、何も言わない事にした。だって自分が別れようといったのだから、ここで同情した言葉を言ってどうするのだ。
同情するくらいなら別れるなよ、といわれても、おかしくない。
それ位矢田部は引きさがっていたのだ。
鶴の家の居心地がよかったのか、それとも面倒くさくない彼女が鶴だけだったのか。
矢田部の心を推し量る事は出来ない。
「落ち込まねえもんだな」
元彼氏の背中を見送って、鍋狸が感心したように言う物だから、鶴は言い返した。
「たぶん肉親みたいな扱いだったからじゃないかな」
「彼氏と弟は違うってやつかぁ」
「うん、そうだね……」
恋人と弟は違う物だ。同じくくりに入るわけがない。
たまに入る小説とかもあるらしいが、鶴には無縁のものだった。
それ位、縁がない話だったのだ。鶴に弟はいないのだから。
「矢田部が弟みたいに思っていたのは事実だし、別に別れたからって……寂しくないし」
寂しくない。言いながら鶴は、何故矢田部と別れなかったのか、いまさらのように気が付いた。
寂しかったから、何も理由をつけないで傍にいる誰かが必要だったのだ。
……自分は近しい肉親はいない。一人もいない。
親は死んでしまったし、可愛がってくれていた祖父も祖母も死んでしまった。父方の親族がどうなっているのかは、葬式にも現れてくれなかった以上分からない。
一人ぼっちがあまりにも心許なかったから、彼氏という名前で縁があった矢田部の浮気性を許していて、一緒にいたのかもしれなかった。
そしてその考えに気付くきっかけになったのは、まぎれもなくこの鍋狸なのだとも。
ブンブクに言われるまで、彼女は自分の扱い方が、恋人のそれじゃないなんて思いもよらなかったのだ。
長年の付き合いがある恋人ってこんな物じゃないか、と思っていたのである。
「私は家族が欲しかったのかな」
鶴はぽつりとそう言った。家族が欲しかったのだろうか。矢田部がその条件に合致したのだろうか。
矢田部が家族だったら、色々な意味で面倒な気がするけれども。鶴は矢田部と連れ添う自分を頭に描こうとして、全く描けない事実に苦笑いをした。
「家族ねえ。おいらは家族もいっぱいいるし、舎弟も山ほどいるし、可愛がっている部下もいっぱいいるから、そこのところはわからねえな、でも修二郎もしょっちゅうこぼしてたぜ、家族ほしいって」
ブンブクが腕を組んで唸る。心底わからないのだろう。家族がいっぱいというのは、同じ生産元の鍋がいっぱいあるという事なのだろうか。
しかし舎弟ってなんなんだ。鍋に舎弟がいるのか。まだ出荷されていない鍋は舎弟というくくりなのか。
部下に至っては全く理解できない。
だが鶴はそこには突っ込まなかった。
ブンブクがここにいる事が全てにおいて事実なのだから。
「それは爺様が婆様と結婚する前に?」
「そうだな、結婚する前に、修二郎は、言っていた。何しろ家族と言う物と、ことごとく縁がないやつでな。人間同士の戦争で両親は死んじまったし、兄弟も疎開してから、散り散りだったしな。あいつの兄妹が名乗り出てきたのは、あいつが金持ちになって有名になってからだった」
「……それが今の親戚ってわけ?」
金の亡者な親戚を思い描き、鶴はなんとも言えなくなった。爺様の親戚は、金の亡者が多すぎる。
もっとも、彼等に狙われるほどの莫大な財産を持っていた爺様が、すごいのかもしれない。
しかし、有名になってから近寄ってきた親戚って危なくないか。
「修二郎は名乗り出てもらえてうれしかったみたいでな、色々援助もしてたし、まあ近年まれにみるようなお人よしだったのは間違いない。……嫁さん早くに亡くしたから、後妻も愛人も囲ってたけど、あれ全部相手が近寄ってきたからだったっけな」
「なんか生々しいような」
「生々しいだろうよ。不幸な身の上の女の人ってものに優しいって、知られてからは、後に引けないご令嬢とかも、資金援助のために、修二郎に近寄ってたからな」
来るもの拒まずだったのか。ちょっと爺様の感性を疑いたくなるが、何もしないでお金だけ援助するわけにもいかなかったのかもしれない。
相手が支払えるものを、支払ってもらった対価、という形が一番、問題なかったのかもしれないな、と鶴は考えた。
「爺様はそんなお人よしだったのに、お金持ちでいられたんだ」
しかしそんなにもお金を援助していたなら、あっという間に素寒貧になっていそうだ。騙されやすい金持ちなんて、一番カモにされるんじゃなかろうか。
「お人よしだったから、縁が多かったってのもある。それにあいつは本物の、金の動きが直感でわかる人種だったからな。一遍投資家ってものになった後は、もう、減った分の三倍の額を増やす勢いだったからなあ」
鍋狸は思い出に笑いながら、ふさふさの尻尾で、酒蔵に続く壁を撫でた。
「あいつ若いうちにうんと苦労したから、いい歳になってからは金に困らなくて本当に良かったって笑ってたぜ。そして趣味で一杯のこの厨まで作っちまったわけだ」
趣味の厨と聞いて、鶴は上司に言われた事を思い出した。
「ねえブンブク、今度お茶の間で大人気の鑑定集団が来るんだけど、盛り上がりのためになんかもってこいって言われてて。何か持って行っていいかな」
「そりゃ、この厨の中のものは全部おまえさんのものだよ。お前さんが好きに持って行っていいし売りさばいてもいい。売られたら寂しいけどな。好きな物を鑑定に出していいんじゃねえの」
ブンブクはしゅんしゅんと音を立てていた鉄瓶から、急須にお湯を注ぐ。
「何入れてるの」
「お茶。飯の後はお茶もいいだろ、おいらは緑の茶も茶色い茶も大好きだ。牛乳を入れるのもとっても好きだ」
「牛乳っていろんな生き物が大好きだから、ブンブクも好きなの?」
「だなあ、山羊のお乳もうまいぞ。ただ癖がある」
どこかから取り出してきたキッチンタイマーの時刻を設置し、ブンブクはゆっくりと尻尾を振りながら、お茶の抽出時間を測っていた。
「さてな、確かなんか持って行きたいって話だったな? 綺麗なものと薄汚れたものと、修二郎が誰にも見せたくないって言った物とどれがいい」
「爺様が見せたくないって言った物ってどんなの」
「気に入りの茶器とかだな」
「あんまり割れない物がいい」
「そうかい、じゃあなんか適当に見繕っておくから、後で見ておくように。鑑定集団がいつ来るのか知らねえが、早いんだったら、おいらが探してみた方が早いし、遅いなら鶴が、食器棚でも何でも見ればいいだろ」
「うん」
鶴は素直に頷いた。
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