第17話 きっと正体は違う
「聞いたわよ!あなたついに矢田部と別れたそうじゃない! 長期記録もついに止まったわね」
「森作さん言い方……」
翌日仕事場に行った鶴の隣に、椅子をからからと引っ張ってきて喋りかけてきたのは、人の恋の噂が大好きな森作という女性だった。
彼女は自分も何かと華やかな噂が多いのだが、それ以上の熱意で他人の恋路の観察をする事で知られていた。
あまりにも詮索好きだった時は、さすがに上司がきつく叱り、いったん昇進が止まったとかいう話もある。
そのため彼女もやり過ぎはよくないと覚えたらしいが……鶴の話がこんなにも早く広まるとは思わなかった。
「早朝からものすごく落ち込んだ矢田部を見たっていう知り合いがいてね、他の結界課の知り合いが、聞いたら、いつも笑って許してくれていた恋人と別れる事になったって! 天罰も下るものねっていう話もあるし、矢田部の魅力が分からない女だったんだって話もあるし」
「魅力と浮気は関係ないと思うんですが」
「矢田部が女性を引き寄せる男だってのは知ってて付き合ってたのに、いざ女性関係が多いと別れるってのはそういう事っていう女性も結構いるわ」
別れるのも難しい、と鶴は思いつつ、森作が喜々として喋っていることを中断させた。
「始業の鐘が鳴りますよ」
「昼休憩だ!」
今日も上司が大声をあげ、色々な声を出しながら、部下たちが食堂や外の店に向かい始める。
鶴は大きく伸びをして、肩を動かし、長い事そろばんと睨みあっていた目をこすった。
今回もなかなか大変だったのだ。だから結界課の領収書が一枚あわない。昼が終わったらそれに対しての連絡を回さなければならないし、経理への締め切りも近い。
「ああ疲れた……」
「お疲れ様。それじゃあね」
脇に座っていた舞が立ち上がり、財布片手に颯爽と去っていく。
鶴は作業机の下の籠に入れていた、自分の鞄を引き寄せた。
中には、やはり入っている。小型の金属の筒に、金属のお弁当箱だ。
汚してはいけない書類を机の安全地帯に避難させたのち、鶴はお弁当箱を開いた。
この時が実は一番楽しみで、味よりも楽しみだったりするのは、誰かが自分のためだけに作ってくれたという事実のためだ。
このあたりで、お弁当を作ってくれる相手というのは、あまりいないのである。
これが長距離移動する職業の場合は、お弁当を持たせるそうだが、鶴はそうではない。
全部鍋狸のやりたいようにさせているだけだが、鶴はこれが楽しかった。
少し温かいうちに詰めてしまったのか、なかなか開かない弁当箱。
「これは素手では開かないかな」
ぼやいた彼女は、ぐっと力をいれるのだが、金属の蓋は変形しそうなのに、頑として開かない。
お腹が空いているのにこれはない、と思いながら、ポケットから取り出したハンカチを使って開こうとしていた時だ。
「おい加藤、何そんな四苦八苦してるんだ」
「課長! すみません、開かないんです」
「ほう……これはまた、ずいぶん旧式な弁当箱を持ってきているな」
課長は昼食袋を片手にぶら下げていた。すでに買って来たのだろう。
課長は鶴が戦っている弁当箱を見た後、手を伸ばしてきた。
「かわいそうだ、開けてやろう。ちょっと貸してくれ」
「本当に開かないですよ」
こんな堅いものがそうそうあくとも思えないが、鶴は上司に弁当箱を渡す。
上司はしばし触った後、ポケットから雷気懐炉を取り出してあてがった。
「何してるんです」
「暖かいうちに蓋をして、密封に近い事にしてしまったなら、温めれば空くのが道理なんだ」
少し温めた後、ちょっと上司が力を籠めると、弁当箱は見事に開いた。
そして中身を見た上司が、ちょっと笑ったのだ。
「これを作った誰かは、加藤が大好きなんだな」
「?」
上司の言っている意味が分からなかった鶴だが、開かれた弁当箱を渡されて、その意味が分かった。
六個のおにぎりはみんな味が違っていることが分かる彩で、つやつやのひじきの煮物と、だし巻き卵に、豚肉とキャベツの炒めたものに、甘辛い味をつけたもの。レタスを底に敷いてある仕様に、小さな根菜の漬物らしきもの。
手間がかかっているなあ、と鶴が思うだけの物が入っていたのだ。
「一人分の弁当を作るのに、こんなに手間をかける奴なんてめったにいないぞ、鶴、誰か知らないが甲斐性のある彼氏ができたんだな。矢田部に甲斐性はなかった」
「彼氏はいませんよ」
「そんな弁当、お前が作れるのか……? 前に総合訓練で、お前の班は得体のしれない黒い煙を上げるカレーを作っただろう。たしかあれはお前に皆任せたとかいう話だったが」
「彼氏じゃないんですが、何と言ったらいいんでしょう、お喋りな鍋が」
「なるほど、お前の引き継いだ物置に、ちょっと古い給仕機巧があるんだな」
鶴はここで初めて、ブンブクに詳しそうな人間に出会ったといってもいい。これまでは、誰かに喋る事も遠慮していたのだが、この上司は何か詳しそうだ。
矢田部だって正体はわからなかったのだ。
「知ってるんですか?」
「昔々の、そりゃあ旧式な自動人形の一つだと聞いてるんだがな。主のために家を整える事を目的にしているとか。昔の戦争で記録していた物がみんな焼けたから、現存するだけしかないって話だし、壊れても直せないから、飾っている金持ちが多いって話だ」
鶴はそれを聞き、問いかけた。
「給仕機巧って、綺麗なものなんですか、鑑賞したくなるくらい」
「きれいだと聞くぞ、お前の持っている奴は、物置に入っていたからきっと、汚れてるだけだろう」
上司が記憶を探る顔で言うため、それ以上の質問はしない事にした。
ブンブクは、鑑賞したくなる見た目じゃないから、上司の知っているモノとは型が違うのかもしれない、と思ったのだ。
それに、爺様が貧乏だったころに手に入れているのだ。もっと安価な劣化品だったかもしれない。
上司が自分の席に戻って、嬉しそうな顔で炒めそばを食べ始めたのを確認し、鶴も食事を始めた。
ひじきの味が、甘辛くて、ごはんがよく進む。じゅっと味がしみ込み、口の中でしっとりとした食感になる煮方はなかなか難しいのだ。それにひじきは癖がある。その磯の癖が苦手だという人も結構いるのだが、これはおいしい。ちょっとごま油を最後に垂らして、炒めているに違いない。
なぜなら、今日の朝はごま油のじゅうじゅうという音がしたからである。
豚肉とキャベツの炒め物は、一味を入れたのかちょっと辛くて、ひじきと全く違う味なのがうれしい。箸休めのような漬物は程よく歯ごたえが残っていて、噛んだ時にポリポリという音さえする。
こんなにいい物を食べさせてもらっていいのだろうか。
鶴はふとそんな事を思った。
あの鍋狸の好きなものって何だろう。
そもそも、主体的に何かを摂取するものなのか。
そうやって考えたのだが、あの鍋狸は、嬉しそうに食事をするのだから、きっと主だった燃料が、食物なのだろう。
そういう結論に落ち着いた。
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