第32話 エトピリカの立ち位置

 ベックが不安視していた1つ。追跡してくる船は確実に宇宙海賊の船を捉え、その距離を縮めていた。

 海賊船は最大速力を叩き出している。それであるにも関わらず逃げ切れないとなると、それはもう民間の船の可能性は低い。

 海賊船は違法改造により、法律で定められた法定速度を遥かに超えた速度を叩き出せる。そんな船が逃げ切れないのだ。相手も真っ当な船ではないのは間違いない。


 が、エトピリカはそんな話は全く知らなかった。ブリッジクルーしかその話は把握していない。仕事に追われて、誰かと話をしている暇がないのだ。

「翁、このレンチですか?」

「おぅ、そこに置いとくれぃ」

 エトピリカは新しい仕事にも適応していた。従順な性格が向いていたのだ。

「僕たちはいつ休めるんです?」

 エトピリカの言葉に翁はガハハと笑った。

「航行中はわしらに休みはないぞい。あるとすれば、本拠地に帰ってからぢゃ」

「本拠地ってあるんですか?」

「当たり前じゃわい。場所はついてからのお楽しみじゃな。わしらの帰る家ぢゃ。お前もそこの一員となる。お前くらいの年齢のガキは家で留守番じゃが、お前は今後も船に乗ることになるぢゃろう」

 それはエトピリカには願ってもない事だった。働く事で自分の居場所をつくってきたエトピリカにとっては、ただ置いてもらうだけでは気が引ける。

「そのほうが気が楽です」

「仕事熱心な事ぢゃな。しかし、ここの所船は全速前進。機関部に負担がかかってかなわんわい。何事ぢゃろう」

 エトピリカはベックの話を思い出す。

「何者かが追いかけてきていると聞きました」

「ほっほう。それはいかんぞい。本拠地まで案内するわけにはいかん。どこかで迎え撃たねば」

「軍を相手にそんなことができるんですか?」

「やってやれん事はないわい!」

 翁はそう言うと腕まくりをした。

「じゃあ、僕らは何をするんですか!」

 エトピリカも乗り気で尋ねる。

「いつも通りに機関部の面倒見ぢゃわい」

 翁の言葉にエトピリカは肩透かしを食らったような気分になった。

「戦いには出なくていいんですか?」

「若い者はやたら戦闘構成員になりたがっていかんな。戦場の花形、戦闘艇乗りに憧れるものも多い。ぢゃがな。メカニックも立派なクルーぢゃ。小僧。お主はまだ若い。無駄に命をちらしに行かんでも良いわい…」

 翁はどこか遠い目をした。戦場の露となっていった若人達のことに思いを馳せていたのだ。

「僕は僕にできることしかできません。だから、翁の下でがんばります」

「うむうむ。ようやくわしの仕事を継がせられそうな者に出会えたわい! みっちりしごいてやるから覚悟しとくんぢゃ!」

 エトピリカは仕事場での人間関係は良好そうであった。それは幸福な事だ。長く居続けるつもりなら尚の事である。そして、出世の競争相手もいない。皆派手な戦闘構成員になるので、裏方は人手不足だった。それが少年の運命を決めた。

 また、慌ただしく仕事が始まる。熱を持った機関部から蒸気が上がる。室内は蒸し暑く、二人は汗を流しながら働いた。

 彼らの頑張りはあまり他者には知られない地味なものだ。だからなり手が居ない。必須の職種であるにも関わらずである。

 裏方仕事と言うのは枯れ木も山の賑わい。縁の下の力持ち。エトピリカが海賊たちの中で確かな地位を得ていくのは必然であるが、それはまた未来の話。

 今は新入りのひよっこ。

 今日を生きるので精一杯である。


 地球標準時刻にして21時過ぎ。

 エトピリカは自室の倉庫に戻っていた。メイデンも一緒である。

 シンと静まり返った倉庫。空調の類はない。艦内物資がたくさん積み込まれていた。

 そこが自室と言っても倉庫の片隅の木箱にシーツを敷いた簡易ベッドがあるくらいである。当然、そんな扱いはエトピリカ達だけであるが、エトピリカに不満はなかった。

「はぁぁ、今日も疲れたよ」

「エトピリカ、お疲れ様。マッサージする?」

 メイデンには簡易マッサージ機能が付いていた。

「大丈夫だよ」

「ここに来てから、ゆっくりお話する時間もないね」

 日中はエトピリカ達は仕事に追われていた。食事を与えられる代わりに仕事をしなければいけなかった。

 朝は七時から夜の十九時まで働き詰めだ。

「慣れてしまえば何とかなるよ」

「エトピリカは今の生活が満足?」

「あのままあそこで暮らしていても、仕事も無かったしやっていけたかわからなかったよ。それに僕はあの星を出たかった。今は宇宙にいる。夢が叶ったんだ。満足だよ!」

「ねぇ、エトピリカ。宇宙に出る夢が叶ったなら、それから先の夢は何?」

 メイデンは鋭い質問をエトピリカに投げ掛けた。

「えっ? それから先の?」

「そう。宇宙に出たかったんだよね。なにか目的があったんでしょう。何がしたかったのかなと思って…」

 エトピリカはその日暮しの貧困から抜け出す夢想をしていただけだった。宇宙に出て何かをしたいとまでは考えていなかった。ただ、宇宙に出ればなんとかなるとくらいしか思っていなかったのだ。その思慮の浅さをアンドロイドに突かれた格好になった。

「…何がしたいとまでは考えてなかったかな」

 その結果なったのは宇宙海賊の仲間入りだ。反社会的勢力に属する事となった。

「今が満足だもんね。それでもいいかも」

 アンドロイドはユーザーに深くまで追求はしないし、浅薄さを指摘もしない。言葉面の優しそうな台詞を選ぶだけだった。

 人では無いのだから、人の不完全さにどうとも思う事はない。あるのは追従だけである。

「…そうだね。そろそろ寝るよ。お休み、メイデン」

 エトピリカは木箱の上に横になって押し黙る。自分自身の行く末を深く考えていなかった事に気が付き、これから何を夢に目標にしたら良いのかを考えていたのだ。

 エトピリカは眠れなかった。シーツの下の硬い木箱の感触。寝起きに若干体は痛むが、これまでの暮らしと比較すれば遥かにマシだ。それだけでは無い。未来のことを考えるという習慣がなかったが、先の事を考えるようになって不安になったのだ。これまでのその日暮しとは違う。確かな立ち位置を持って生きていかなくてはいけない。宇宙海賊という集団の存在が自分の運命も左右するのだ。

 深夜。カンカンカンカン…硬い靴が廊下の床に当たる音。廊下を誰かが駆けていったようだ。倉庫なので防音処理はない。

 エトピリカはしばらく眠れない時間を過ごし、やがて静かに眠りについた。

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