第19話 意志

 エトピリカはそっと窓から中を覗く。

 …中には拘束された状態のメイデンがいた。ケーブルで繋がれている。ケーブルの先にはツナギ姿の男が一人。一心不乱にコンソールと格闘している。

 見つけた。テッドの予測は当たっていた。ここから先はエトピリカ自身の行動にかかっている。

 エトピリカは緊張により、心臓がバクバクいっているのを感じた。この心音が相手に気付かれないかと不安になる。

 少年は目を閉じる。自分に降り掛かった理不尽を。受け入れざるを得なかったこれまでの現実を。

 今、そんな一つの受け入れざる出来事に直面している。

 大事な何かを失いたく無ければ、戦うしかない。

 少年はドアを静かに開け、ソロりと静かに侵入する。男は幸い作業に夢中で気が付いてない。

 息を殺して忍び寄る。そんな少年の視線の先にスパナが置いてあった。

 少年は手を伸ばし、がしりと手に取る。


 コトン。

 

 不意に室内に物音。

「だれだ!?」

 ツナギの男が声を上げる。

 エトピリカは、ドキリとして物陰で縮こまる。

 カタン。と再び音が鳴る。

 ゴキブリと共に人が地球から連れてきた生き物は他にもいた。それは貧しい星にあっては食料にすらされた生き物。

 ネズミだ。ネズミはチチチチと鳴き声をあげながら走り去った。

「何だネズミか。脅かしやがって!」

 ツナギの男は安堵して再び作業に戻った。

 エトピリカは心臓をドキドキさせたまま隠れ続けていた。見つかったと思い、いっそ飛び出すかと考えていたが、なんとか隠れたままでいられた。

 エトピリカはそっと男の様子をうかがう。どうやら作業に没頭しているようで、他に視野は向いていないようだ。

 これ幸いとジリジリと近づく。


 エトピリカは本来、人に危害を加えるような子ではなかった。ひどい目にあっても耐え忍ぶ方である。

 だが、この日背後から殴り倒された記憶が、自分自身がこれから行おうとしている事への一押しとなる。

 エトピリカはスパナを握り締める。先端の重量はそれなりにある。非力な少年でもこいつでガツンとやれば、大の大人でもたまったものではない。

 ソロソロと立ち上がる少年は、静かに男の背後ににじり寄った。

 カタカタカタカタ…男は気付かずコンソールを叩き続けている。


 ドカッ! 躊躇いのない一撃。男はグゥと声を漏らして床に倒れ伏した。一撃で気を失ったようだ。

「メイデン!」

 エトピリカが呼び掛けるが、メイデンの焦点は虚空にあるようで反応が無い。

 エトピリカはメイデンに取り付けられているコネクタを外した。

 キュイイィ…という音と共にメイデンの瞳がエトピリカの姿を捉えた。

「エトピリカ!」

「良かった。無事みたいだ!」

 エトピリカはメイデンの拘束具を外した。メイデンが起き上がり、エトピリカに抱きついた。

「怖かった…」

 メイデンは不正アクセスを受けた事を恐怖という表現でユーザーに伝える。

「ここを出よう!」

 エトピリカはメイデンの手を引き部屋を出た。

 侵入した際の道は覚えていた。とにかく走り出していた。あと少しで廃工場から脱出できる!


「待て、そこの糞ガキ!」


 二人を呼び止めるどなり声。エトピリカ達が振り返ると、そこにはエトピリカを殴り倒した男がいた。

 男は出入り口の防壁を降ろすスイッチを押した。閉じられる逃げ道。逃れるには男の背後のスイッチを押さなければ。

 だが、その為には男をどうにかしなければ無理だ。

 メイデンはエトピリカの手を握る。

 メイデンは人に危害を加えることはできない。そのようにプログラミングされている。だから、エトピリカの背に隠れる事しかできない。

「ちっ、どうやってここを嗅ぎ付けやがった? そこのアンドロイドを置いていって貰おうか」

 男はエトピリカを睨みつける。

 エトピリカは恐怖で声が詰まった。体格差がありすぎる。争いになったらまず勝てないだろう。

「…断る!」

 エトピリカは胸の奥が冷えるような感情を押し殺して声を絞り上げた。

 このままでは逃げられない…。

「困るんだよなぁ。生きる為に金が必要だからよぉ。どうあっても逃がすわけにはいかねぇのよ。つまりどうゆうことがわかる?」

 男はツカツカとエトピリカ達に近づく。腕力でどうにでもできると踏んで、不用心だった。

 腕力では及ばない。ならば…。

 少年は周囲を観察する。…近くの壁に消化器が置いてあった!

 エトピリカは消化器を手にする。…だが、使い方がわからない。

「くそっ、これをあいつに浴びせられたなら!」

「ハハッ! 使い方も知らんガキか。観念するんだな!」

 男は嘲笑いながら悠々と二人を追い詰めに来た。退路を断ち切ったので、どうとでもできると考えているのだろう。

 メイデンのロジックはエトピリカが消化器を相手の男に使いたがっているのを理解した。簡易的な自己進化プログラム。ユーザーの目的を優先する為の思考プロセスの組み換え。

 ユーザーが意思を示せばアンドロイドはこれに応えるのだ。

 消化器を人に用いるのは人命救助。使用対象の男性を火災から救助する為に消化器を使用する。そう再解釈するのだ!

 メイデンはエトピリカから消化器を奪う。

「エトピリカ、私に任せて! えいっ!」

 消化器の使用法は完全にインプットされている。人間ではおよそ不可能な神がかり的な速度で噴射体制を取り、業務用の強力な消火剤が男の顔を直撃した。

「グアッ!!」

 鎮火用の粉末が目に入り、男はよろめく。

 エトピリカはそのすきに防壁のスイッチを切った。

 ガラガラと出入り口が再び開く。

「くそっ、待ちやがれ! クッ!」

 メイデンがもがく男に再び消化器を浴びせた。

「今のうちだ!」

 エトピリカはメイデンの手を引く。メイデンも消化器を投げ捨て後に続いた。

 廃工場を走り抜け、街中に駆け込んでいく。後ろを振り返っても、追ってきてはいないようだった。

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