第26話 最低賃金とAIと人間と
トン、トン、トン、トン・・・
俺は今玉ねぎをみじん切りにしている。ちなみにこの玉ねぎ、冷蔵庫で冷やしてから切ると涙が出にくいのだ。まあ、包丁の切れ味が悪いと関係なくなるけどね。玉ねぎを切り終わったところで、今度はほうれん草を水洗いしてざく切りにする。今夜のメニューは……
「ただいま~、ねえねえ、カズ君、最近のニュースで最低賃金の話、何か聞いた?」
雅が帰って来るなり聞いてきた。ちなみに、ここは俺のアパートである。必然的に俺がご飯を作ることが多い。今の時代【男は外で仕事して、女は家で家事をする】などと言ったらいい笑いものだ。別に誰がどうというわけではないにしろ、役割分担は大事だろう。あ、もちろん、雅が作ってくれることもある。
「そうだな~、今年も最低賃金3%上げるとか言っていたかな。その結果東京・神奈川はついに最低賃金が千円超えるとか言ってたな、あとは全国の格差が拡大するとか……」
そう答えると雅が、
「あ~、やっぱりそうなんだね~。色々大変になるだろうな~」
あれ? なぜ雅がそんなことを気にするのか? 地方公務員である雅にはあまり関係なさそうな話だが……などと考えていると、
「ほら、うちのお父さんが務めている会社、パートさんが多い部署もあるんだよね」
なるほど、そういう話か。
「確かにうちの会社もパートさんは結構いるからな。よく考えれば結構俺にも関係あるぞ」
そう思い直した俺に対して、雅は、
「実はさ~、市役所って言っても、結構パートさんも雇っているのよね。書類整理とかそういう作業って、パートさん多いの。その人たちがそんな話してたから気になったのよね~」
それは意外だった。公務員って機密文書とか扱うことも多いだろうから、基本パートさんなどはいないと思っていたのだ。すると雅はさらに続けて、
「カズ君の会社も大変だね」
と、言ってきた。そうなのだ。実は、わが社、基本的には食料品の加工卸の会社であるため、年末はそれなりに忙しくなる。昨年は加工場のほうが忙しく、経理担当の俺まで加工場に引っ張り出されたくらいだ。まあ、俺の元々の就職希望部署は加工場だったのだが、そこは中小企業、大学出の、しかも経済学部出身なら経理担当で! ということで今に至る。
話は
「本当に困ったな。パートのおばちゃんって、基本的に103万円の壁をすごく気にするんだよな。驚いたのが、会社側が『有給使かって休んでいいよ』と言っても断るんだよ。なんでかと思ったら、この【103万円の壁】らしいんだわ」
そういって、頭を悩ませる俺に向かって、
「去年の年末、カズ君本当に忙しそうだったもんね。まさかクリスマスのデートが……」
雅が去年ことをほじくり返すので、
「いや、その件は本当に悪かった。俺も就職一年目だったんだから、忙しいとは聞いていても、まさか、帰りが10時過ぎるとか思ってなかったんだよ。もういじめないでくれ」
そう、昨年はデートの約束していたのだが、結局俺の仕事のせいで、どこにも出かけられなかったのだ。まさかの土日出勤まであったし。まあ、普段はその分規定通りの仕事なので、そういう時くらいは頑張らないと申し訳ない。
「その時カズ君言ってたもんね~、103万の壁の馬鹿野郎~とか。あれって結局それ以上稼ぐとその人が旦那さんお扶養に入れなくなる話だっけ?」
雅が確認してきた。
「まあ、概ねそんな感じかな。住民税だと98万又は100万だったりするので、実は103万だけにこだわると所得税は扶養に入れても、住民税で扶養に入れないこともあるけどね」
俺がそう答えると、
「さすがにカズ君詳しいね」
「まあ、去年の年末調整の時に色々と教えてもらったんだ。うちもパートさんが多いから、その人達向けに説明してたのを聞いていたんだよ」
「カズ君って、そういうところマメだよね~。私だったら自分に関係なさそうなことはわざわざ聞きに行かないかも」
なんて答えるので、追加で、
「ちなみに、うちの会社では関係ないんだけど、昔からある大企業なんかだと、税金の控除とは別に【扶養手当】なるものが貰える会社があるらしいんだ。こちらも多くの企業が税法の基準に合わせて配偶者の所得が38万、つまり給与収入で103万円以下であることが要件って会社が多いんだって。まあうちの会社に来ているパートさんが教えてくれたんだけどね」
などと追加の豆知識まで自慢気に披露してみた。すると雅が、
「でもさ~、それこそAIじゃないけど、今後そう人達の仕事って機械化されてどんどんなくなっちゃうのかもしれないわよね」
と、急に話題を変えてきた。いや、変わってはいないのか? 正直、人件費の高騰というのは会社にとっては一番打撃が大きい。多くの企業において人件費が最大の経費というところは多い。そのうえで、人件費の問題は【給料には消費税が含まれない】ということだ。
「まあ、ある程度まではそういう傾向になるとは思うよ。実際、今の日本の税制で悩ましいのが【消費税】だろ? ほら、また税率が上がったし。でも、給料って、消費税関係ないから、給料増やしても企業が納める消費税は減らないんだ。その点AIなどを導入すると、【設備投資】になるから、こっちは消費税の仕入税額控除ができて、同じ金額を払うにしても給料より設備投資費のほうが企業が払う消費税が少なくなるというメリットもあるんだよ」
そんなことを説明したところ、
「確かに消費税ってわかりにくいのよね~。この前の選挙の時に【軽減税率】の話もしたけど、制度として未熟だと思うわ。それに消費税は抜きにしても、【技術革新】って、最初に影響を受けるのは低所得者なのよね」
おお~、今日の雅さんは饒舌だ。また話の方向性が変わってきたかな? と思っていると、
「ほら、技術の進歩って、大抵は単純作業から始まるでしょ? 昔であれば、ビンに物を入れてとか、そのビンに蓋をしてとか、そのビンにラベルはってとかいう仕事を手作業でしてた人達、どちらかというと誰にでもできそうな仕事だけど、人を使うとそれだけ人件費がかかるじゃない。でも、これらがオートメーション化すると、企業としては人件費を抑えられる。けど、問題なのは、人件費が減るということは、そこで働いていた人たちは貰っていた給料が貰えなくなるってことなのよね。そして、そういう仕事って、多くの場合パートさんみたいな低所得者が担っていることが多いのよ」
なるほど、確かに言われてみればそうかもしれない。うちの会社でも、加工場のほうでは、選別したり切り分けたり、パッキングしたりという作業がパートさんのメインの仕事だ。おっと、いけない、手元がお留守だ。
「雅すまん、先に夜ご飯作っちゃうから、話は食べながらにしよう。あとは炒めて包むだけだから」
そういって、俺はフライパンを温め、サラダ油をひき、そこへひき肉を入れる。すかさず塩コショウ、味の素を適度に降るのを忘れない。ひき肉の色が変わり切る前にみじん切りの玉ねぎを入れてさらに炒める。そして、玉ねぎが透明になる前にバラシて洗ったブナシメジとバターひとかけらをフライパンへ放り込む。ある程度火が通ったところでほうれん草を入れ、しんなりする前の、ほうれん草の色が鮮やかになったあたりで一度火を止め、更に軽く味を調整する。
ここまでで、中身の出来上がりだ。すると雅が後ろから覗き込んできた。
「ほうほう、本日のご飯はさてはオムレツですかな?」
そう推理する雅に、
「あたり、ってか、前にも作ったから、ここまで見ればわかっちゃうだろ」
そう言いながら、お椀に卵を二個割り、塩を一つまみ、更に牛乳を少し入れてかき混ぜる。この牛乳少々というのが卵をふっくらとさせるコツなのだ。そして、フライパンに卵を入れ、軽くかき混ぜたら、玉子か固まり切る前に先ほどの具をのせ、包んでお皿に乗せれば一人前、完成だ。
「あ、雅わるい、机の上にレトルトのコンソメスープが置いてあるから、それ作っておいて」
と言ったらリビングから、
「もうお湯入れるだけだよ。ご飯もよそっておくね」
さすが雅。この辺は阿吽の呼吸になってきたな。さて、できたオムレツに軽くケチャップをかけてスライストマトを盛りつければ完成だ。
「さて、できましたよ~。今回はうまく包めたぜ!」
俺は自慢げにそういうと雅が、
「ほんとだ~、前回は玉子が破れちゃったもんね」
と、過去の失敗をついてくる。まあ、それはいいとして、テーブルには既に雅がワインまで用意して待っていた。余程おなかが空いたのだろうか。
「それでは……」
「「いただきま~す!!」」
軽くワインで乾杯をして一口、
「う~ん、卵がふわっとしておいしいね~。やっぱりオムレツにはコンソメスープとワインが合うね~」
と雅がほめてくれるので俺は、
「だろ?」
と、ちょっと得意げになる。しかし、続けて俺の口から出たのは先ほどの話題。
「でも、さっきの話に戻るけど、確かにこの先AIが進化すると、うちの加工場とかは勿論、俺がやっている仕事なんかもみんなAIがやるようになっちゃうのかな? 弁護士とかもそのうちAIが『この案件はこのような判例があります』とか、医者なんかも『検査の結果、この薬を処方します』とかさ。本当に人がいらなくなるな」
そういう俺に対して雅が言った。
「ん~、確かにある程度まではそういう風に機械化が進んで人手がいらなくなるとは思うわ。今言われている人手不足の解消にもつながるしね。でも、【人の仕事が無くなる】という事態までにはならないと思うのよ」
ん? 今では多くの人がAIの進化を予測し、その結果多くの職場で人がいらなくなると考えている話をよく聞く。一体どういうことかと俺が考えていると雅が、
「まあ、これもカズ君の得意分野の話に関係すると思うんだけど……仮に今人がやっている仕事のほとんどをAIや機械が行うようになると、社会はどうなると思う?」
今までの話を総合すると……雅の問いに対して、俺は、
「まず、人手不足が解消するよね。企業としては人件費を払う必要が無くなる。更に話には出なかったけど、機械を使えば今問題になっている【働かせ方改革】の問題も解消するんじゃないか。だとするとますますその傾向は強くなると思うんだが」
そう俺は答えた。因みに俺たちは【働き方改革】と政府が言っているものを【働かせ方改革】と呼んでいる。だってそうじゃないか、働き方改革なら労働者側が自主的に行うものであり、企業側に制限をかけるのは働かせ方改革だ。
そして俺の答えに対する雅の意見はこうだ。
「うん、ある程度まではそうなると思うよ。過去のことを考えてもそれは仕方がないことだし。でも、もしも、ほとんどの仕事をAIや機械が行ったとして、そこで作った製品は誰が買うのかな?」
「ん~、それは勿論消費者だよね。まあ、会社が買うってこともあるんだろうけど、国内消費の6割以上は国民による一般消費だ」
少し考えて俺がそう答えると、
「そう、作った商品が売れるためには買ってくれる人が必要なんだよ。でも、製品を作ったり仕事の現場をAIがみんなやっちゃったりすると、そこで働く人がいなくなり給料が支払われない。つまり、そこで作った商品を買うべき一般国民はどうやって買うためのお金を手に入れるんだろう?」
雅の説明を聞いて、俺は
「なるほど、つまり
有効需要というのは、そのものを欲しいと思うだけではなく、買うための経済力を兼ね備えている人がいることだ。どんなにいいものを作っても、それを欲しいと思う人がいたとして、それを買えるだけの資金を持っていなければ、それは有効な需要とはならない。
さらに雅が続けて、
「うん、過去の産業革命でも、技術革新によって、多くの人が失業したのも確かだと思うんだよね。でも、その当時はまだ人がやる仕事はほかにもたくさんあったし、その中にはさっき言ったような単純作業もまだまだあったと思うんだよ。でも、今以上に技術が進むと、そもそも人手が必要な単純作業ってどんどん減るよね?」
と言ってきた。雅はさらに続けて、
「確かに一時的にそういう状況に近づくことは今後あると思う。でも企業も人も馬鹿じゃないからそうなる前に、どこかで人の仕事後無くしてしまわないような調整がされると思う。それこそ、行政や政治の力が必要にもなるだろうし、国際間の協力も必要になるよね。どっかの大統領みたいに押し売りしようとしても相手国にお金がなく、労働力が無くなれば、それはイコール消費者もいなくなるってことだから」
「そう考えると、世の中、言われているほど、AIの仕事って増えてこないかもしれないね。でも、年末の人手不足は解消しなそうだな……週明けにでも、上司とその話してみるか。それにしても最低賃金上げるなら、せめて扶養控除要件の緩和も併せてやってほしいもんだ」
そんなことをつぶやきながら、今夜も少しワインを飲みすぎてしまったようだ。
今日の一言:AI化って世の中で言われるほど人の仕事を奪うことはないかもね。
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