第2話 相対的貧困の不思議
世の中、ずいぶんと発展した気がする。いや、むしろ人類の現状から見て発展しすぎたというべきか。時代も平成から令和になった。こういうイベントが起きると、テレビ番組にも昔を懐かしむ特番が増える。主に平成の時代の出来事が取り扱われるのだが、昭和の時代の話もそれなりに扱われていた。その中に戦後、家庭の「三種の神器」なるものも紹介されている番組もあった。「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」の家電三品目がそれにあたるのだそうだ。これらが当時の庶民の豊かさの象徴・憧れであったらしい。
・・・
今の時代はどうだろう。これらの家電が家にない一般家庭を探すほうが難しいのではないだろうか。
ボケ~~っとした顔でそんなことを考えていたら、後ろから
「そろそろ食べられるよ~」
と雅が声をかけてくれた。
「今行く~」
返事をして、いい匂いにつられてテーブルへ向かっていくと、湯気が立ち上る熱々のあんかけ焼きそばが用意視されていた。
「お~! すごいおいしそう! さすが雅、これ作るのに30分くらいしかかかってないんじゃない?」
と、俺が声をかけると
「そうね~、カズ君あんかけ焼きそば大好物だもんね! 頑張って作ったよ」
そんなことを言われると思わず顔がにやけてしまう。そして二人そろって
「「いただきま~す!!」」
と言ってから、熱々の焼きそばをほおばった。
「ん~、おいし~~」
一口目を味見してから、俺はお酢をドバドバと湯気が立ち上る焼きそばに振りかけると
「カズ君お酢掛けるの好きだよね~。私はそうでもないんだけど。そういえば、さっきテレビ見ながら固まってたけど何を考えてたの?」
雅の問いかけに俺は先程テレビを見ながら考えていたことを少し頭の中を整理してから雅に話した。
「ほら、平成から令和になるのに伴って、平成を振り返ろうみたいな番組が多かったじゃない? それと同時にたまに昭和の話も結構テレビでやっていたんだよね。来年は昭和三十九年以来の東京オリンピックがあるからというのもあるんだろうけど。それで昭和の話を見ていたら昔高級品だったものって、大抵今は全ての家庭にあるんだよね。ほら、家電三種の神器とか」
という俺に
「確かにね~、まあ、それこそドラえもんの四次元ポケットから出てくるアイテムって、それに近いもの今では結構あるものね~。スマホとかもよく考えたら驚きアイテムだしね」
「そうだよな~」
雅ちゃんの答えは俺の考えよりさらに上の考えが返ってきた。
「で、それがどうしたの?」
雅ちゃんの問いかけに、漸く俺が気になっていることを話し始めた。
「いやね、最近ちょくちょく貧困問題のニュース見るんだけどさ、その中で【相対的貧困】って言葉が出てくるでしょ? あれがどういう意味なのか気になってちょっと調べてみたんだよ」
「確かに、【貧困】と言えば、貧乏とか貧しいとかいう意味、生活に必要なものやお金が乏しく足りないことを意味することはみんなイメージできるけどね。そこに【相対的】って言われると何となく貧困のイメージはあるけど、ちゃんとした意味といわれるとよくわからないわね。市役所にも福祉課があるけど、私の仕事とはあまり接点がないのよね」
そういう雅は市役所に勤めてはいるが、現在は「文化スポーツ部」というところに所属している。その中でも主に市民スポーツ大会の開催準備やスポンサーへのあいさつなどがメインの仕事だ。確かにあまり接点はなさそうだが、パラスポーツなどでは福祉課との共同業務もあるらしい。
「で、俺が調べた限りでは、どうにも納得いかない定義だったんだよね。どうやら調整はするらしいんだけど、ざっくりいうと、要は【所得中央値の一定割合(50%が一般的。いわゆる「貧困線」というらしい)を下回る所得しか得ていない者】のことらしいんだ。おかしいと思わないか?」
「ん? どういうこと? だって、所得の中央値の半分以下の人が、まあ、あまりいい気分の表現ではないけど貧乏ってことよね? それほど違和感なく受け入れられそうな気がするけど……」
雅ちゃんのその感想もわからなくはない。確かにこの【相対的貧困】というイメージからすれば全体の四分の一の人を相対的貧困に区分されることになるというのはある意味納得できそうではある。しかし、そもそも貧困の定義は【乏しく足りない】ことだ。この相対的貧困の定義だと、常に人口の四分の一を貧困問題の対象として考えなければいけないこととなる。
「でもさ、この定義だと、貧困とされる人が人口の四分の一もいることになるんだよね、それも常に。ちょっと多すぎるんじゃないかと思うんだよ」
「まあ、言われてみると、確かにそうだよね」
「そのうえで問題なのはこの定義だと、【絶対に世の中から相対的貧困が無くならない】ということだと思うんだ。だって、世の中全体がどんなに豊かになっても、この定義では常に貧困とされる人が無くならないんだよね。確かに、今の令和の時代、テレビでみた戦後の昭和の時代のように、着るものや食べるものに苦労する家庭はほとんどないどころか、その時代に最高のぜいたく品とされた家電三種の神器のようなものが当たり前のように各家庭にあるでしょ? つまり、70~80年前に庶民のあこがれだったぜいたくな暮らしを、ほぼすべての国民がおくれているってことでしょ? それどころか、当時は夢のアイテムだったスマホのようなものまで国民の7割くらいが利用している。それにもかかわらず国民の四分の一が【相対的貧困】という名で呼ばれている。つまり、世の中がどれだけ豊かになっても、今の定義では【相対的貧困】はなくならないんだ」
相対的貧困なんて言葉は自分は貧困ではないという自尊心を満たしたいコメンテーターや役人たちが作り上げた幻想ではないだろうか?
俺の考察に雅は
「確かにそれはおかしいわね。世の中、どこまで便利に暮らしやすくなるかもわからないけど、【相対的貧困】と言われると貧困のイメージがどこまでもついてきちゃうものね。ようするに貧困をなくすための一番は、人は「足るを知る」ことが必要ということよね」
雅ちゃんが最後に綺麗にまとめてくれた。世の中から貧困をなくそうといっている人たちが絶対になくならない貧困を定義しているって変な話だ。
さて、話に夢中でせっかくの焼きそばが冷めてしまった。急いで食べることとしよう。
今日のひとこと:相対的貧困は「足るを知れ」ば無くせる
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