第7話 老後2,000万円のウソホント 

 先日から自分のライフプランの話を考えている。そんな最中、気になる報道があった。どこかの行政機関の報告で老後2,000円の貯蓄が必要だというのである。まあ、就職して数年の俺にとっては2,000万円などと言われてもいまいちピンとこないのだが・・・どうやら世の中では、この件について多くの批判が噴出したらしい。担当大臣とかいうお偉い人が報告書を受け取らないとか言い出す始末だ。担当大臣が報告書を受け取らないって・・・・職務放棄も甚だしいと思うのだが。まあ、この担当大臣、失言も多いし、過去の国会質疑ではカップラーメンが一つ500円するとか言ったらしい、庶民感覚を全く持ち合わせない人だ。『2,000万円くらいみんなもっているんでしょ?』くらいの感覚だったのだろうか。


「なあ、雅、この前から、俺ら、ライフプランについて考え始めたじゃない?そんな中で、金融庁から【老後は貯蓄が2,000万円必要です】なんて報告書が出たらしいじゃん。あれ、どう思う?」


「あ~、どっかの大臣が『ころっ』と態度を変えたあれね?確かになんだか世間を騒がしたものね。この前ちょっと考え始めた私たちのライフプランにも関係しそうだもんね。」


 さすがは雅、相変わらず俺の考えなどはお見通しという感じの答えが返ってきた。そんな雅、今日は食事当番だ。何やらお湯を沸かしているな。


「そうなんだよな。まあ、前回はライフプランってどんなものか概要見ただけで終わっちゃっただろ。で、これから具体的に考えてみようかというところにこの問題が出たわけだ。正直、まだ仕事始めて数年の俺らにとっては2,000万円という金額は実感としてわかないけど、雅はどう感じたのかな~と思って。」


 そういう俺に対して、雅はキッチンで手を動かしながら、


「そうだね~」


 と、軽い感じで返してくる。おっ、今度は包丁とまな板が『トントントン』とリズミカルにに音を奏で始めたぞ。今夜は簡単に済ませるといっていたけど何を作っているのだろうか。


「まあ、色々と人によって感じ方は違うと思うけど、私個人的には気にしても仕方がないかな~と思ってるのよね。」


 相変わらずこっちには顔を向けずに雅が返してきた。


「それって、俺たちにはまだそんなに先のことを考えても仕方がないってこと?」


 俺は素直に感じたことを雅に言ってみた。確かにまだまだ40年以上も先の話だ。今から気にしすぎるのもナンセンスだという意見もわかる。しかし、そういうことも含めて、この前から自分たちのライフプランを考えようという話をし始めたのではなかったのか。雅もその話自体は興味を持って話していたと思うのだが。そんなことを考えながら、テレビの番組表を検索していると、雅からの答えは、


「いやいや、そういうことを言っているんじゃないよ、カズ君。って、ちょっと待ってね、今お湯が沸きそうだから。」


 と、言って雅は冷蔵庫の中から【ツユの素】を取り出した。お湯を沸かしてツユということは、今夜はお蕎麦だろうか?と考えながら


「そろそろご飯できそうなの?何か手伝おうか?」


 俺の問いかけに雅は


「そうね~、特に手伝うことはないけど、あ、今日は冷酒飲みたい感じだから、そっちの準備をしてもらえると助かるかな。」


 うん、確かにお蕎麦ならビールより冷酒のほうが合いそうだ。そう思いながら


「了解」


 と短く答え、片口(お酒を注ぐための器のことね)に氷を半分くらい入れてそこに日本酒を注ぎ込む。人によっては日本酒が薄まっちゃうからこの飲み方が好きではないという人もいるけど、俺と雅は冷えた日本酒が好きなのと、多少水で薄まったほうが口当たりが柔らかくなるので、この飲み方が気に入っている。まあアルコールが薄まるという話であれば熱燗のほうがアルコールが蒸発してしまうのではないかと思う。もっとも熱燗の場合はあの香りを楽しむという面も大きいので何とも言えないところだが、それと同じくらいの感覚に俺たちは氷入りの日本酒が好きなのである。


 そんなことを考えながら、テーブルをかたずけてお酒の用意を済ませたところで、


「できたよ~」


 と、言いながら雅が丼ぶり二つをお盆に乗せて出汁とネギのいい香りを運んできた。


「お~、いい香りだね~、って、あれ?お蕎麦かと思ってたけど、今日はうどんだったか~。」


 てっきりお蕎麦だと思っていた俺は思わずそう口をついてしまった。


「ははは、カズ君基本的にお蕎麦のほうが好きだもんね。だからあえて私はうどんにしたのよ。この前、秋田の親戚が送ってくれた稲庭うどん、おいしいのよ。ざるうどんでもよかったけど、今日はあったかいおうどんにしたよ。まあ、上にのっているてんぷらはスーパーで買ったやつだけど、二人分くらいの天ぷらなら、絶対自分たちで作るより、買ってきてしまったほうが安いし手間がないからね。」


「へ~、稲庭うどん、有名だもんね。おれ、食べるの初めてかも。楽しみだな。それでは、」


「「いただきま~す」」


 と言って二人で冷酒のお猪口を「カチンッ」と軽く合わせて乾杯をする。


「うん、おいしい!うどんって言ってもちょっと太めのお蕎麦みたいな太さなんだね。」


 という俺の感想に対して、


「そうなのよ。腰も強いし、カズ君絶対好きだと思って、お母さんに言ってもらってきたんだ。」


「うん、これは本当においしいよ、月見に乗せた生卵と絡めて食べるのもまたおいししい、長ネギがやはりいいアクセントになるね!」


 などと感想を言いあいながらしばらく食事を続けた後に雅が、


「そういえば、さっき話が途中になっちゃたよね、えっと。。。40年先のことだから考えても仕方がないと言うことじゃないよ、って所からだよね。」


 さすが雅だ。そういうところの記憶力は素晴らしい。俺なんか何の話をしているかうどんの破壊力にやられて半分忘れていたところだ。


「そうだね、我々的にはかなり先のライフイベントだから、あいまいな部分が多いとは思うけど、雅としてはあの報告書、どうとらえるべきだと思ったんだ?」


 俺は素直に自分の疑問をストレートにぶつけてみた。


「まあ、その点に関しては、いくつかに分けて考える必要があると思うんだけど、まず、あんなざっくりした報告書に対する批判はあまり意味がないってことかな?」


「それってどういうこと?」


 と、思わず口をはさんだ俺に対して雅は、


「そのまんまの意味よ。まあ聞いて」


 と言って、日本酒に軽く口を付けながら先の話をし始めた。俺も軽く日本酒を飲みながら聞くことにする。


「あの報告書のこと聞いてまずおかしいと思わなきゃいけないことがあるの。あれ、私もきちんと見ていないから間違ってるかもしれないけど、ざっと見た限り、どうやら問題にされている数値が一つのパターンのみを取り上げられているぽいのよ。それってカズ君どう思う?」


 いわれてこの前のライフイベントについて考えた時のことを思い出す。


「あ!確かにおかしいといえばおかしいね。そもそも先日の自分たちの話もそこで一度保留になったけど、持ち家か賃貸かによっても家計支出って大幅に変わるし、そもそも住んでいる地域によっても必要な住居費はかなり格差がありそうだね。」


 そういう俺に対して雅は


「そうそう、まさに一点目はそういうことね。報告書のもとになっている家計支出データ自体が全国全世帯の平均を利用しちゃっているわけだから、個人に置き換えてみた場合、それらの数字を補正して考える必要があると思うのよ。」


 まさに雅の言うとおりだ、だからこそ俺たちは自分たちの人生のミチシルベ、つまりライフプランを考えようとしていたのだ。そんなことにも気が付かないとは、などと軽い自己嫌悪に陥っていると、更に雅が続けて、


「それにね、モデル自体が【厚生年金受給者】を前提にしているから国民年金世帯のことを考えると、本当はもっと必要になるともいえるわ。」


 確かにそうだ、雅の父親は会社勤めだから厚生年金を将来受給することになるが、俺のおやじは自営業だから国民年金しかもらえないことになる。現在の厚生年金の受給平均は140万円くらいと聞いたことがある。一方で国民年金のみの場合は70万円程度、つまり倍くらいの開きがあるのだ。


「また、夫婦二人の年金収入を考えた場合、夫婦ともに厚生年金受給者なのか、妻は専業主婦で国民年金だけなのかという問題もあるでしょ?私たちの親世代より上は専業主婦世帯が多いかもしれないけど、私たちは共働き世帯のほうが多いし、あのレポート、ターゲットにしている世代も不明だったりするのよ。」


 確かにそうなのだ。言われてみればあくまで、統計結果に基づくものであり、自分にとっての報告ではないという点に注意しなければならなかったのだ。


「とは言え、全く役に立たないデータではないと思うよ。今言ったように【自分たちはどうなのか】という数値に補正して使うための基礎データとしてはそれなりに役立つかもしれないしね。それ以上に本当は見逃してはいけないことがあるわ。」


 なんだか雅が意味深なことを言い出した。


「年金って、健康で文化的な最低限の生活を保障する憲法の規定がそもそもの大きな根拠になると思うのね、まあ、それをどこまでの範囲でとらえるかにもよると思うんだけど・・・今回のレポートもそうだけど、家計の消費支出の中に【交際費】だとか【教養娯楽費】だとかの他に【その他消費支出】とかよくわからない、要は個人の贅沢と思われる項目までも消費支出に含まれているのよね。それらの金額だけでも5~10万円くらいになりそうよ。毎月それだけ遊ぶってどれだけ贅沢してるのよ!?って話じゃない。つまり、年金はそもそもの生存権を補償すれば本来十分なんだと思うんだけど、このレポートに対する批判の論調では【個人の娯楽費】まで年金で賄え!て言っているようなものじゃないかと私は思っちゃうわけですよ。」


 さすが雅さんの目の付け所は鋭い。娯楽費などは本来個人の趣味嗜好であり、そもそも働くモチベーションとなりうるものだ。そういった費用に関しては、やはり本人が老後も働くなり現役世代のうちに計画的に貯蓄するなりして賄うべきだろう。それまで国が年金として負担しろというのは制度の趣旨に反すると俺も思う。それに社会人1~2年目の我々はそもそも毎月そんなに交際費や教養娯楽にお金使えないぞ!?まあ、俺と雅はまだ夫婦じゃないけど。


「それにね、【ゆとりある生活には月35万円が必要】なんて話もあるじゃない?さっきの話に加えて月10万円もプラスで遊んじゃう訳!?更によく考えてみると、月35万円ってことは年間420万円使うってことでしょ?今の日本の平均給与って420~440万円って言われてるじゃない?これとほぼ同額使えばそりゃゆとりがある生活もできるわよね。だって、この【給料420万】って、税金も社会保険料も控除する前の金額でしょ?みんな現役時代に、その給料で住宅ローンの支払いや子供もいる広さの賃貸借りたり、もちろん子供の食費や学校の費用なんかも払って頑張ってるわけで、その分のお金、全部夫婦二人で使っちゃうっていう統計のほうが現実味がないと思う。手取りで420万円分給料で稼ごうと思ったら600万円くらい稼ぐ必要があるわ。現役時代でさえ、600万円も稼げるサラリーマンのほうが少ないわけでしょ?それはゆとりある暮らしというよりは【相当ぜいたくな暮らし】と言えるレベルだと私は思っちゃう。」


 なりほど、確かにその通りだと俺も思う。それに・・・


「確かに国の統計って、アンケート回答だよな。と、いうことは、実際に使った金額じゃないことも考えられるわけだ。そうすると、人間は何となく見栄を張ったり希望的な金額を応えたりすることが考えられる。つまり、実態より高額な数値が集計されている可能性が高いわけだ。さらに言うと、そういうアンケートに回答してくれる時点で、それなりに余裕がある人たちの意見が集まる可能性も高い。本当にぎりぎりの生活している人たちは、そんなアンケートに回答する余裕がない人のほうが多いということも考えられるな。」


 俺も思いつくことを言ってみたところ、雅は


「つまり、まったく根拠がない数値じゃないけれど、それをうのみにしてはいけないし、自分たちに合わせて利用すればいいだけでしょ?そういう意味ではそれなりに有用な資料だと思うわ。それに対して、そういう説明もできないで、世間が騒ぎ出したら、その報告を受け取らないとか言っている人たちが国のトップにいることのほうが危機的状態と言えるかもしれないわね。前にも話したけど、ホント選挙って大事ね。」


 そういえば、年金の支給開始も本格的に70歳になりそうな兆候が別の角度から出てきてるんだよな。今日はもう遅いし、たくさん話したからそろそろ寝るとしよう。




 今日のひとこと:統計数値なんてあくまで参考程度、自分のことは自分たちで考えよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る