第32話 不要なものを見極める

「うひゃ~! 忘れてた~!」


 スマホを見ていた雅が急に素っ頓狂な声をあげるので振り向くと、なにやら懸命にスマホをいじっている。


「どうしたんだ、そんな悲しげな声出して」


 疑問に思いそう問いかけると、雅は、


「ほら、この前スマホの調子が悪くなったから買い替えたじゃない? その時に『一か月でいいのでこれらのオプションを契約してください』って言われて、色々とオプション付けられたんだけど、一回も使ってないのに契約解除するの忘れてたのよ……」


 今にも泣きだしそうな顔をしながら一生懸命スマホをいじり続けている。どうやら慌てて解約しているようだ。


「あ~、そう言えば、何とかサポートとか、何とか見放題とかいくつか無理やり契約させられてたな。でも、帰ったらすぐに解約するって言っていたのに」


 俺が料理をしながらそう問いかけると、


「う~ん、なんで忘れたのか考えてたんだけど、あの後二人で飲みに行っちゃったじゃない? それで夜、そのまま寝ちゃったのよね。お風呂も入り忘れるくらい飲みすぎたみたいで……」


 と、今にも消え入りそうな声でぼそぼそとつぶやいている。確かにオプションだけで千円超えてたと思うから結構な損害だ。おっと、俺は自分の作業に集中しなくちゃ。因みに今の作業はと言うと、とにかく具材を切る! 切る! 5㎜角くらいの大きさにそろえて切る!


 今切っているのは人参。すでに切り終わったのはピーマンだけだ。あとはほかに茄子と、難敵の玉ねぎが残っている。なんだかんだ、みじん切りはやっていて結構楽しいのだが、如何せん、手間がかかる。俺が悪戦苦闘していると、


「は~、やっと解約し終わったわ」


 と、つぶやきながら雅がこっちへやってきた。そして、


「しかし、今回のことで思い知ったけど、私たちって、結構いらないものにお金払っていること多いわよね」


 そう言いながら冷蔵庫を開けている。ビールでも飲むのかと思ったら、珍しくコーヒーを飲んでいるようだ。因みに、最近、コーヒーを水だしするという技を覚えたため、我が家の冷蔵庫には水出しのレギュラーコーヒーが常備されるようになった。これもやり方は簡単。100円ショップで大きめのお茶っ葉を入れるネットを買ってきて、その中にコーヒー5~6杯分のコーヒー豆を入れて蓋をする。それを水を入れた1リットルボトルに放り込むだけだ。


 そして、この水出しコーヒーにもいくつかのコツがある。まずは基本水道水を使うことだな。幸いこのあたりの地域は比較的山に近いせいもあってか水道水がなかなかうまい。以前都心のレストランに行ったときは水がすごく不味かった。氷があって冷えているときは良いのだが、ヌルまってくると臭いが鼻についたのだ。  


 おっと、話がそれた。そうそう、もしもミネラルウォーターを使う場合の注意点は【軟水】を選んで使うといいらしい。硬水では、水にコーヒーの成分が十分に染み出さないらしいのだ。まあ、これはTV番組で見ただけで自分で試したことはないのだが、前に会社の先輩が『ミネラルウォーターで珈琲いれたけど美味しくなかった』といっていたのはそのせいかもしれないない、と思い覚えていたのだ。


 そんなことを考えている間に手元の野菜は全て切り終わった。さて、次はフライパンを温めて……


「ちょっと~、カズ君! 料理で忙しいのはわかるけど、雅さんの話し相手もしてくださいよ~」


 と、ちょっとすねた雅にたしなめられてしまった。


「ごめんごめん、珍しく雅がコーヒー飲み始めたから、コーヒーについて色々と思いだしちゃってたんだよ。で、いらないものって例えばどんなものがあるんだ?」


 内心少し焦りながら、一応、先ほどの雅のつぶやきを覚えていた俺はそう聞き返してみた。


「そうね、例えばだけど、カズ君が契約してた、【ネットの記事読み放題月額500円】なんかって、最近読んでる?」


 おっと、先ほどの仕返しか、いきなり俺についての話をしてきたぞ。それもなかなか痛いところを突いてくるあたり、さすが雅だ。


「まあ、確かにたまには読むけど、それが必要かと言われると難しいところだな。言われてみると結構な記事は別に契約している記事じゃなくても普通にニュースサイトで無料で読んでしまう事のほうが多いかもしれない」


 そう答えると雅は鬼の首を取ったように、


「でしょ~。カズ君前にも、『ネットはスマホでいつでも読めるけど、線を引いたり切り抜いたり、もう一度見たいと思ったときに探すのが不便だ』とか言ってたしね。そう考えると、気になる記事が載っている情報誌を買って読むほうが、実は為になるという事もあるのかな~とか思っちゃったわけですよ」


「う……まあ、確かにそう言われてしまうとそうなんだよな。あの時は仕事始めたばかりで、昼休みとかにスマホで新聞読んでいるのがかっこいいとか思っちゃったんだよ。それで思い出したけど、雅だって【動画見放題サイト】みたいなやつ有料契約してなかったか?」


 そういうと今度は雅が、


「う……痛いところを突きますな~。あれは、私も学生だったし時間があったから、月数百円なら暇な時に見るだけでもいいかなって思ったのよ。確かに契約したときはおもしろくてたくさん見てたけど、就職してからはほとんど見てないわ」


 ちょっとばつが悪そうにしている雅が急に、


「ところで、今日は何作ってるの?なんかやたらと野菜を切る音が聞こえてたけど」


 と話題をそらしてきた。


「まあもう少ししたらにおいでわかるよ。まっててくれな」


 手元では、ひき肉が炒め終わったので、先ほどの野菜を火が通りにくいものから順にフライパンへ入れていく。まずは人参、つぎに玉ねぎ。ある程度火が通ったところで茄子を入れ、最後はピーマンだ。ピーマンが最後なのは、火が通りすぎると風味が飛んでしまうので、それを避けるためだ。さて、ここまで来たら、今回のメインの封を切り細かく手で砕く。すると雅が、


「お! カレーのにおいだ! あれ? でもフライパンって……」


「ふふふ、今日は初めて【ドライカレー】を作ってみているのさ。自分で作るカレーは美味しいんだけど、一度作ると量が多くなっちゃうだろ。そうなると、カレーライス、カレーそば、カレーパン、カレーうどん……と、まあ、カレー続きになっちゃうわけだ。そこでドライカレーなら、普通のカレーより量が少なく作れるし、冷凍しても保存がききそうだからね」


 そう、何となく普通にカレーを作ると、手間を省くというのもあるけど、どうしても鍋いっぱい作っちゃんだよね。


「なるほどね~。ドライカレーか~。そう言えば、あまり出してるレストランもないわね。楽しみだわ」


 と、言いながら、早速雅が飲み物やお皿の準備をしてくれている。その間に俺はカレールーをフライパンに入れ、仕上げをする。水を入れないのでどうなることかとも思ったが、意外ときれいに混ざるもんだな。そういえば、カレールーって、主成分が脂だったっけか。熱が加わるとそもそも溶けやすいのか。などと考えているうちに出来上がった。


 俺は出されたお皿の真ん中に、ご飯を綺麗に丸く、真ん中をややへこませて盛り付ける。そして、そこへ出来たばかりのドライカレーを盛りつければ完成だ。


「おまたせ~」


 そう言いながらテーブへと出来立ての、スパイシーな香りを漂わせたお皿を持っていくと、『待て!』と言われた子犬のような顔をした雅が、今にもよだれをたらしそうなくらい目をらんらんと輝かせている。


「さて、それでは……」


「「いただきま~す!!」」


 早速一口目を食べた雅が、


「ん~~!! これは美味しいよ!」


 というので、


「だろ~。でも、実はもう一工夫あるんだぜ~」


 俺はそう一昔前に流行った芸人の喋り方をまねしながらキッチンへ向かい、そのもう一工夫を持ってきた。


「じゃじゃじゃ~~ん」


 と言いながら、雅のお皿に【あるもの】を載せると、


「おお~~!なんと贅沢な! 卵の黄身だけを載せるとは!」


 そう、一工夫とは、卵の黄身だ。白身を載せてもいいのだが、あのどろっと感が、やや食感を損ねてしまうので、黄身だけを載せるのがベストだと思う。まあ、白身は白身で、ちゃんと食べるけどね。


 そして、俺は、


「そうそう、そう言えばなんだっけ。サブスクリプションサブスクの話しだっけ?」


 俺がそう話題を戻そうとすると、


「まあ、サブスクに限らないんだけど、言われてみれば、スマホのオプションも定額サービスだから、サブスクと言えばサブスクだよね」


 と、雅が、何か思い出したように、


「そうそう、定額サービスと言えば、私の先輩が、ちょっと前に『ダイエットのためにスポーツジムの契約したんだけど、最近全然いけてないわ~』とか言ってたけど、あれも行かなくなると、月額料金がもったいないものの代表格よね」


 というので、


「そうだな。そう言えばうちの上司も『メタボ検診に引っかかっちゃてさ~』とか言ってたけど、2か月もしないうちにスポーツジムに行かなくなってた。けど、『入会金がもったいない』とか言って退会しないままにしているようなこと言ってたな」


「あ~、何となくわかる気がするわ。入会金とか払うと、退会しにくいのよね~」


 というので、


「そうそう、入会金って、所謂【埋没原価サンクコスト】というんだよな」


 ちょっと経済学用語を使ったところ、雅はどうやら知らない言葉だったらしく、


「サンクコストって何?」


 と、聞き返してきた。まあ、確かに専門用語ではあるので聞き慣れない言葉ではあろうと思い、


「そうたな、経済学の用語なんだけど、日本語では埋没原価ということもあるんだ。意味としては【すでに支出してしまったもので回収できない費用】と言うことだよ。今の話は、入会金がまさにそれに相当するだろ」


 そう説明すると、


「なるほどねー、確かに入会金を返してくれるところってほとんどないからね。で、月会費はなんでサンクコストじゃないの?」


 ふむ、なかなか鋭い疑問だ。その雅の疑問に


「まあ、月会費がサンクコストにならないわけではないんだけど、会費を払ったのが月初で今が月半ばなら、まだ半月の間に利用してコストを回収できる可能性があるだろ? つまり、翌月までは回収可能、翌月になればサンクコストだな」


「確かに言われてみるとその通りだね! それにしても、このドライカレー美味しいね!」


 話をしたいんだか、ご飯を食べたいのか……


 まあ、自分でいうのもなんだが、このドライカレーはなかなか美味い。新たな和也メニューの一枚に加わったのは間違いない。などと考えていたら、


「そっかー、確かにその通りだね。今の話で大事なのは、今までいくら払ったのではなくて、これから払うお金が自分にとってどれだけ有益かということを考えなきゃ行けないということだね」


 あれ?これから言おうとしたことを言われてしまったぞ。と、思っていると続けて雅は、


「つまり、今後真面目にジムに通うなら月会費を払えば良いけど、通わないなら、戻ってこない入会金のことを考えても仕方がないということになるわけね」


 さらに結論まで言われてしまった。


「ま、まあ、そういうことだな」


 などと、取り繕うように話していると、


「この前の節約と貯金の話でも出てきたけど、所謂お得アピールしている販売戦略って、それが本当にお得になる人とそうでない人がいるのと同じ感じね。この前は人参のまとめ買いだったけど、ジムの会費なんかもきちんと計画的に通える人はいいと思うけど、仕事とか付き合いとか、なんか言い訳しながら行けなくなっちゃう人にとっては結局無駄な会費払い続けるだけになっちゃうのよね」


 そういう雅に対し俺は、


「さっきも出た動画見放題とかネット記事見放題とかも、一つ一つは大した金額じゃないと思っても、全部足してみると結構な金額になっちゃう人も沢山いそうだしね。そう考えると、なんとなくでリボ払いにしちゃってる人ほど、そういう使わなくなったサブスクとか解約してなさそうだな。もっとも、サービスの提供側からすると、そう言う人たちが一定数いないと、その値段でサービスを提供できないというのが実情らしいけどね」


 と、経営側の話をしたところ、


「いま、結構世の中で問題になっているのは自治体とかのお金の使い方、特に色々な施設を作るかどうかという話よね。たとえば、どこかの市ではスポーツ競技場を作るとか作らないとかでもめてたけど、確かにあれも、今後どの程度の有益性が見込まれるかが大事なのよね。特にここ最近オリンピックの影響もあって、スポーツ関連の施設って、【国から補助金】が出たりするのよ。そして、補助金が出るなら作ろうかという話になっているところが多いみたい。でも、よく考えると、作るときにかけたお金を回収できないなら、そもそも補助金など貰うことを考えないほうが有益だし、もっといえば、箱物は一度作ってしまうと、その後の維持管理費用も考えないといけないものね。正直今の自治体には、その辺の考え方が不足しまくっているというのは否めないわね」


 まあ、雅さんもその自治体の一員なんですけどね。自治体の職員でも、雅みたいな考え方の人はきっと出世はしないんだろうな。それが旧態依然とした日本のダメなところだと思うけど。


 それにしても、ドライカレーはあたりだったな。



 今日の一言:すでに払ってしまって回収不能な費用は【埋没原価サンクコスト】といって、今後の意思決定に関して考えてはいけない。勿体ないと思うことが一番勿体ないを生み出す原因にもなる。

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