第12話『勉強会』 ――千尋side

―― 千尋ちひろside ――



 放課後の教室。

 ほとんどの生徒たちが帰宅したり部活へ行ったりした頃。


 テキストと筆記用具を胸に抱きかかえるようにして持った赤井あかいさんが目の前に立ち、輝くような笑顔で口を開く。


「さあ、お勉強しよっか」


「う、うん」


 僕はうなずいて机を移動させ、向かい合って座れるようにした。


 今日が二人だけのじゅく――勉強会の第一回目なのである。


「あれ、いちごちゃん残ってくの?」


 赤井さんが友達の遠藤えんどうさんにそうたずねられ、思わず背筋がぴしっと伸びた。

 別に僕が質問されたわけでもないのに、変に緊張してしまう。


 けれども、赤井さんはすごく落ち着いた様子で目を細めて返す。


「うん、白鳥しらとりくんとちょっとね」


「ふふふ~楽しんでね~」


「もぉ、からかわないでよ~! 勉強するだけだって」


 どうしよう、遠藤さんから視線を感じて気まずい……。


「あはは、ごめんごめん。じゃあ、また明日ね」


「うん、また明日~」


 帰っていく遠藤さんを見送り、赤井さんに目を向ける。


 さすがは赤井さん。

 全然動揺を見せることなく対応していた。

 僕だったらしどろもどろになってしまったかも。


 ふと赤井さんがこちらに顔を向けてはにかむ。


「うふふ、何見てるの? あ、それともわたしの顔に何か付いてる?」


「う、ううん! 何でもないよっ!」


 僕は熱くなる顔を背け、椅子に座って数学のテキストを開いた。



   ◇◆◇◆◇



 二人きりの教室で、僕と赤井さんは机を向かい合わせて勉強をする。


 校舎のどこかから吹奏楽部の練習の音、グラウンドの方からは運動部の掛け声が聞こえてくるものの、おおむね静寂が支配しており集中しやすい環境といえる。


 けれども、僕の手はペンを握ったまま全く動かなかった。

 テキストの問題が全く解けなかったのである。


 「わからない問題は何でもいてね」と言われたけど、まさかはしから解らないなんて……。


 僕は申し訳ない気持ちをいだきつつ顔を上げる。


「ね、ねえ赤井さん」


「どうしたの? 解らない問題あった?」


「それが……ここからここまで全部解らないです……」


「ありゃりゃ……」


 苦笑する赤井さん。

 まさか僕が全部解らないなんて思いもしなかったのかも。

 情けなくて恥ずかしい……。


 いっそ逃げ出したくなる僕を前に、不意に赤井さんが席を立ち、隣の席に移動してきた。

 そして椅子を寄せ、肩が触れ合いそうな距離にまで近付く。

 まつ毛の本数まで数えられそうなほど顔が近い。


 え、ちょ、どうして――


「――あ、赤井さんっ!? ど、どうして隣に……!?」


 真横の赤井さんが「えへへ」と笑って答える。


「この方が教えやすいかなって。ほら、教える過程でテキストをいちいち反対にするのも大変でしょ?」


「そ、そうだけど……集中できないというかっ!」


 こんな近くで赤井さんを直視できない!


「あれれ白鳥くん、この姿勢だとどうして集中できないのかな?」


 赤井さんが楽しそうな声でそう問いかけつつ、僕の顔を覗き込んできた。

 なんとなく、なぜかは分かっているような口ぶりだ。


 あ、赤井さんの意地悪いじわる……っ!


「そ、それは……っ! ……やっぱりこのままで大丈夫ですっ」


 女の子とのこんな距離に慣れてないなんて、こんな状況で言えるわけがないっ!


 すると赤井さんは、口元を手で隠してクスクスと笑った。


「うふふ、それなら教えていくね。まずはこの問題だけど……」


「っ!?」


 テキストの問題文を指で示して教えるため、赤井さんがまた僕との距離を詰めてきた。

 そのせいでわずかに肩が触れ合い、それだけで心臓が飛び跳ねてしまう。


「本当にどうしたの、白鳥くん?」


 ニタニタとした赤井さんにそうたずねられ、咄嗟とっさに返す。


「えっと、いや、な、なんでもないですっ」


「変な白鳥くん」


 そ、そうだ、赤井さんに変な人だと思われちゃう!

 ここは平気なふりを頑張らなきゃ……!


 僕は一つ深呼吸をすると、平静へいせいを装って赤井さんの目を見る。


「ごめん、えっと、続きをお願いしても大丈夫かな?」


「うん!」


 その後もドキドキしっぱなしだったが、赤井さんから解き方を教わり、どうにかテキストを進めることができた。

 やはり赤井さんは教え方が上手だ。糸口すら見えなかった問題もすぐに理解できるようになった。


 勉強をしていくこと二時間ほど。

 下校時刻を知らせるチャイムが鳴った。


「じゃあ、そろそろ終わりにしよ――」


 赤井さんがそう言いかけた時だった。


 ――ガラァー


 突如教室の戸が開けられ、誰かが飛び込んできた。


「いっけね、いっけね! 忘れ物~!!」


 それは土汚れの付いた野球着を身にまとったみーくんだった。

 たぶん部活が終わって飛んできたのだろう。

 彼は数歩足を踏み入れたところで僕らの存在に気付き、目を大きく見開いた。


「って、千尋! それに赤井さん! こんな時間まで何をやって……あっ」


 みーくんが何かを察したように声を上げ、にやにやとした顔で僕と赤井さんを交互に見てきた。


 や、やばい……!

 今、赤井さんは僕の真横にいて、ぴったりと肩をくっつけてきている。

 教えてもらっている過程でいつの間にかこうなっていたのだけど、そんなことを知らないみーくんには、僕らがただの友達には見えないかも……!


 僕らの仲を噂されたら、もう勉強会ができなくなっちゃうかもしれない。

 そんなのは嫌だ!


「待って、みーくん! みーくんの想像してるようなことではなくてねっ! えっと……」


 慌てて事情を説明しようとするが、焦りのあまりうまく言葉が出てこない。

 そんな僕の代わりに、赤井さんがにこやかに話す。


「やっほー、緑川みどりかわくん! 今ね、白鳥くんと一緒にお勉強してたんだぁ~。緑川くんも一緒にする?」


「なんだ勉強してただけかよー。勉強ならオレはいいや! 遠慮しとく!」


 よかったぁ、なんとか納得してもらえたみたいだ。


 みーくんは自分の席へ行き、忘れ物の巾着きんちゃく袋を取ると、思い付いたように僕を見る。


「あ、ならよ、今日は一緒に帰ろうぜ千尋ちひろ!」


「うん、いいよっ」


「じゃあ、後でな!」


「うん!」


 みーくんが教室を後にし、僕は安堵あんどの息をく。

 一時はどうなるかと思ったけど、変な誤解をされずに済んでよかった。


「どうしたの白鳥くん、顔赤いよ~?」


 赤井さんがかすかに目元をにやつかせて見つめてきた。


「えっ! な、なんでもないよっ!」


「え~、やっぱり赤いよぉ~」


 僕の顔が赤いとすれば、間違いなく赤井さんとの仲が誤解されかけてたからなんだけど、そんなこと本人に言えるわけがない。


「そうだ、白鳥くんには次回までの宿題を出します」


「え、宿題は……」


 家で絵を描く時間が削られるから嫌なんだけど、今日でさえ赤井さんに端からき方をたずねるようなありさまだったから何も言えない……。


「ど、どんな宿題でしょうか……?」


「次回までに、こうやって隣で一緒に勉強したいか、最初みたいに向かい合って勉強したいか考えておいてね」


「えっ!?」


 宿題ってそれ!?

 正面がいいか……隣がいいか……。


 今も触れ合う肩の感触。そして僅かに伝わってくる体温に思わず意識が集中してしまい、脈が早まるのを感じた。


「わ、わかりました……っ」


 赤井さんから顔を背けつつ僕がそう返事すると、彼女が満足そうに笑うのが分かった。


 勉強会一日目は、すごく勉強になったけれど、結局いつものように赤井さんにドキドキさせられっぱなしだった。


 初日からこんな調子じゃ、先が思いやられるな……。

 まずは宿題をなんとかしないとだし。


 そんなことを思いつつ、僕はテキストを閉じるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る