第16話『倉庫』 ――千尋side

―― 千尋ちひろside ――



 放課後の教室。

 僕と赤井あかいさんの二人きり。

 今日は日直の仕事があり、残っている。


 僕は黒板清掃をし、赤井さんは自分の席で学級日誌を書いていた。


「こっちはもう終わりそうだけど、そっちはどう、赤井さん?」


 赤井さんは顔を上げて目を細める。


「こっちもそろそろ終わりそうだよ~」


 よかった。これなら思ったより早く終わりそうだ。

 赤井さんと二人きりになれるのは嬉しいけど、早く部活に行って絵を描きたい気持ちもあるからね。


「お、お前らちょうどよかった」


 そこに担任教師が来て、僕たちを見て言った。


「悪いが、この荷物を階段下倉庫に入れておいてくれないか? 鍵は預けるから」


 先生が目を向ける先には台車があり、大量のダンボール箱が積み重ねられていた。


「う……すごい量……」


 呟く僕の横で、赤井さんがにこやかに答える。


「いいですよ、先生。そのかわり、今度の数学のテスト問題を教えてください」


「悪いな。俺はいつもテスト前日に問題を作るんだ」


「それは別の意味でがありそう……」


「とにかく、頼んだな」


「はーい」


 というわけで、先生から一つ仕事を預かってしまった。

 台車に積まれた段ボールの山を見ると憂鬱ゆううつになる。


 そんな僕に、赤井さんが微笑みかけてきた。


「二人で運べばすぐだよ。頑張ろう、白鳥くん」


「赤井さん……うん!」


 黒板清掃と学級日誌の記入を終わらせた僕と赤井さんは、倉庫まで台車を運び、ダンボールを下ろす。

 本か教科書が入ってるのか、一つ一つが結構重かったのでヘトヘトになった。


「よいしょっと……これで全部だね」


 ようやく最後の一つを下ろし終えた。


「お疲れさま、白鳥くん。じゃあ、教室に戻ろうっか……あれ」


 赤井さんが倉庫の扉に手をかけて固まった。

 何度もドアノブをひねっている彼女に、まさかと思ってたずねる。


「どうしたの?」


「ドア、開かなくなっちゃってる」


「え!?」


「も、もしかしたら、誰かにめられちゃったのかも……っ!」


「そ、そんな……どうすれば……!」


「うーんと……誰かが通るまで、待つしかないね」


 そう言って振り向いた赤井さんの表情は思ったより深刻そうではなかった。

 いや、むしろかなり楽観的というか、嬉しそうな感じさえする。

 たぶん、僕を不安にさせまいとしてくれてるのだろう。


「一緒に待とうね、白鳥くん」


 というわけで、狭い倉庫の中、僕らは助けを待つことになった。



   ◇◆◇◆◇



「なかなか誰も通らないね」


 適当なダンボールに横並びに座って待つこと10分。赤井さんがひとり言のように呟いた。


「まだみんな部活やってる時間だろうしね」


 本当だったら僕もそうしてるはずだったんだけど。

 でも、赤井さんとこうして二人きりになれたのは、ちょっとだけラッキーだったかも。


「ねえ白鳥くん。もしこのままだったら、二人きりで一晩過ごすことになるかもね?」


 赤井さんがちらりと八重歯やえばのぞかせて笑った。


「そう……かも?」


「狭いから一緒に寝ることになるのかな?」


「そう……だね……っ!」


 一緒に寝る!?

 この倉庫では二人がゆったりと横になるスペースはない。

 少なからず触れ合うことに……っ!!


 ごくりと唾を飲む僕に、赤井さんがさらに問いかけてくる。


「トイレとかどうしよう?」


「そう……だねっ!?」


 本当にどうしよう!?

 まさか後ろを向いてもらってるうちに……っ!?

 いやいやいや! それは大問題だ!


「そんなことを赤井さんにさせるわけにはいかない……! 何としても脱出しないと!」


「えっと、じゃあ、窓から脱出するのはどうかな?」


「窓か……」


 倉庫の窓は少し高い位置にある。

 手は何とか届きそうな位置だ。しかし……。


「登ってくぐり抜けるには、ちょっと高いかもね」


 何か足を掛けられるものがあればいいんだけど。

 すると赤井さんが立って窓のところまで移動し、くるりと振り返って自分の一歩前を指差す。


「白鳥くん、ちょっとここにかがんで」


「こ、こう?」


 言われた通りにすると、赤井さんの腰の辺りが顔の前に来る構図になった。

 そのまま赤井さんが窓の方を向いて、何食わぬ調子で言う。


「うん、じゃあそのままわたしを抱っこして持ち上げて」


「はあ!?」


「抱っこして」


「言ってる意味がよく分からないんだけど……?」


「白鳥くんがわたしを抱っこしてくれたら、その窓までがれるかなって」


「そ、そそ、そんなん無理だよっ!!」


 この姿勢で赤井さんを抱っこなんてしたら……彼女のお尻を抱え込むことに……っ!

 ただでさえ、かなり密着しそうだっていうのに……!!


 しかし、何を勘違いしたのか、赤井さんはムスッと頬をふくらませて僕を見下ろす。


「むぅ、わたしがそんなに重そうに見える? ちゃんと白鳥くんでも持ち上げられるはずだよ」


「そういうことを言ってるんじゃなくてね……っ! ちょっとまずい格好になると言いますか……」


「まずい格好? ああ……」


 ようやく赤井さんも理解してくれたようだ。

 これでもう抱っこしてなんて言わないかな。


 けれども、僕の予想とは反対に、赤井さんはわずかに口元に笑みを浮かべてささやくように言う。


「わたし、白鳥くんとならまずい格好になってもいいよ?」


「えっ!?」


 それはつまりそういうっ!?

 ぼ、僕とならスキンシップをしてもいいという……っ!!

 いや、だけど、そんな深い意味は特になくて、単に脱出するためならいたし方ないとかそういう理由かもしれない! 誤解しちゃダメだ!


「と、とにかくそれは無理だからっ!!」


「うーん、仕方ないなぁ。じゃあ、これはまた今度ね」


 また今度ってどういうことですか……?

 それをたずねるなんてことは、今の精神状態の僕にはできなかった。


 それより、赤井さんに迷惑をかけずに脱出する方法を考えないと。


 窓が少し高いけど、足を掛けられればいけそうなんだよね……。

 何か踏み台のようなものでもいい。

 ……ん、それならここにいっぱいあるじゃないか。


「よし」


 僕は近くにあったダンボールを窓に寄せ、その上にもう一つのダンボールを乗せた。


 ちょっと不安定だけど、この の言ってられないよね。


「えっと、何してるの?」


 積み重ねたダンボールに足を掛けて登ろうとしたところで、赤井さんにたずねられた。

 足を下ろして彼女を振り向く。


「何って……こうすれば登れるかなって」


「え、でも危ないよっ」


 不安げな赤井さんの顔。


「大丈夫、赤井さんはここにいて。僕が一人で脱出して、表に回って鍵を開けるから」


「だから白鳥くんが危ないんだって……っ!」


「だけど、このままってわけにもいかないし、僕が何とかするよ」


「白鳥くん……」


 明るく振舞ってくれているけど、赤井さんだって閉じ込められて不安なはずだ。

 彼女にこれ以上そんな思いをさせるのは嫌だった。


 僕は再度、壁に手をつきながらダンボールに足を乗せた。


「よいっしょ」


「あ、今カチャって音がしたよ!」


「え?」


 ダンボールから降りて赤井さんの方を見る。

 彼女は扉の方へと駆け寄り、ドアノブをつかんで回した。

 すると、いとも簡単に扉が開いた。


「ほら! 鍵開いたみたい!」


「で、でも誰が……?」


「そんなことどうだっていいじゃん! 脱出できたわけだし! さあ、早く日誌を先生に届けないと!」


「そ、そうだね」


 結局、誰によって閉じ込められたのかも、誰によって開けられたのかも分からなかったけど、脱出できたのならそれでよかった。


 それに、閉じ込められたのは不安だったけど、赤井さんと二人きりの時間が増えて、僕的には少し嬉しかったりもした。


「ねえ、白鳥くん」


「えっと、何かな、赤井さん?」


 赤井さんは少し頬を赤らめて、太陽のように明るく笑った。

 その表情は、思わず心臓が飛び跳ねてしまうほど可愛かった。


「さっきはありがとう、格好良かったよ! えへへ」


「え」


 あ、赤井さんに格好良いって言われた……っ!!


 たったそれだけなのに、顔が火傷やけどしたように熱くなってしまった。


 どうしよう、赤井さんが直視できない。

 つい照れてにやけてしまいそうになる。

 え、でも何が格好良かったんだろう……?


「ほら、教室帰ろう」


「あ……うんっ」


 廊下を歩いていってしまう赤井さん。

 彼女に強烈な一撃を食らった僕は、その背中についていくのでやっとだった。

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